森内俊之四段(当時)「新四段の奢りでしょ」

昨日からのつづき。

将棋世界1988年1月号、炬口勝弘さんの「ズームアップ・話題の棋士 森内俊之新人王」より。

㉙新人王記念対局で、中原名人と対局する森内新人王。昭和62年11月9日、朝10時。東京将棋会館の特別対局室。昨年度、塚田泰明新人王が負かした以外は、ここのところ新人王の6連敗。果たして今年はどうなるか。40歳の名人にチャイルドブランドがどこまで通用するか?「中原研」で指してもらったことはあるが、公式戦では初めて。

㉚同日、同所の新人王記念対局控え室。日も暮れて終盤が近い。立会人の石田八段、共同通信の田辺記者らが継ぎ盤で検討している。

石田「子供は強い。少年はしぶとい。しかし淡路、森安ほどにはしぶとくない。いさぎよさもある。この手は形作りか?」

田辺「新人王、名人に善戦するも、わずかに届かず(笑)」

赤旗記者「いやあ、見出しまで作ってもらって、どうも」

㉛再び特別対局室。感想戦も終わりに近い。赤旗の奥山紅樹観戦記者が名人に尋ねる。

奥山「名人、ご自分の17歳のときと比べて、森内新人王はどうですか」

名人「ふふふ、僕はこんなには……。もっと弱かったですよ。17歳のときは、まだ三段だったし、うふふふ」

㉜自宅の自室。ベッドにひっくり返って『少年ジャンプ』を読んでいる。壁には南野陽子(好きな歌手)のピンナップが貼られており、机の側にはスケジュールがぎっしり書き込まれたカレンダーが掛かっている。

1987年11月
8日(日)島研 AM10~(島六段マンション)
9日(月)新人王記念対局 AM10~連盟
10日(火)学校
11日(水)AM10:30 将世編集部インタビュー、
     PM1 週将アマプロ戦(橋本喜晴アマ王将)
12日(木)AM10 ハチ公研
13日(金)AM10~竜王戦(小林庸俊朝日アマ名人)
14日(土)学校、県下一斉テスト
15日(日)将棋の日、渋谷NHKホール
16日(月)連盟、天王戦(対関浩四段)
(今週は特に過密スケジュールで、登校したのは火曜と土曜の2日のみ) 

㉝竜王戦の感想戦風景。連盟。大きな手で駒を動かす。敗者小林アマも、以外にさっぱりした表情、口元に笑みを浮かべている。隣でもやはり先崎・小島一宏戦の感想戦が続いている。同じ17歳の佐藤康光も天王戦(中田功四段に勝ち)を終え、途中から顔を出して両方の局面を遠くから覗き込んでいるがまったく口をはさまない。なおこの日は対局が多く、宿命のライバル羽生四段(棋王戦で神谷五段に敗れる)もいて恐るべき子供たちが全員集合していた。

(中略)

㉞晩秋の早朝。千駄ヶ谷の将棋会館の玄関。

先崎「(森内に)エエッ?これから学校へ?偉い。だけど進級できるの?こんなに休んでいて…」

森内「……」

先崎「オレも高校生になりてえや。代々木高校がいいな。入学金5万だって?いいよな高校生は」

森内「……」

先崎「学割が効くんだから。映画も、ビデオのレンタルも、ボウリングも、それに旅行するのも、みんな安くなるんだから、いいよな」

㉟森内、苦笑しながら仲間たちと別れる。朝日を受けて明るくなりかけた街を、地下鉄の表参道駅に向かって一人で歩く。ちょっと遠いが、乗れば、一本で渋谷を通り、自宅の最寄駅、田園都市線青葉台まで帰れる。駅前には通勤、通学用の自転車が停めてある。

㊱森内家食堂。同日朝7時。テニスの練習で小麦色の肌をした妹・洋子はすでに食事を終えている。制服に着替えて入ってきた兄を見て、明るく

洋子「オッハヨー。アレ帰ってきたの」

俊之「……」

洋子「寝てないのね。大丈夫?」

俊之「試験だから…。それに今日はカメラマンが授業風景をわざわざ撮りに学校まで来るというんだから、行かなくちゃ(父親に)お父さん、ネクタイの結び目を大きくするのはどうするの?」

 父親身振り手振りで教える。175cm67キロ。息子の方がはるかに大きい。かたわらで、母親と祖母が笑みを浮かべて眺めている。

㊲青葉台駅改札口。朝8時20分。黒いスーツ、濃紺のネクタイ姿の中・高生が次々とはき出されてくる。男ばかり。みなひき締まった顔の秀才タイプ。

㊳坂道を登る高校生の長い列。学校までは歩いて10分の距離。丘の上に学校が見え、朝日を浴びて校舎の上の白い十字架が光っている。

㊴学校正門。ミッションスクールである。右手に川崎サレジオ中学校、左手にサレジオ高等学校と書かれている。男子普通高。

少年A「よお、珍しいじゃん」

森内「やあ」

少年B「おはよう。おめでとう。朝刊で見たよ、読売の勝ったんだってな」

森内「まあね」

少年A「また将棋おせえてよ。紙と鉛筆で昔みたく……」

森内「フフフフ」

㊵休憩時間、教室の机の上で将棋を指す少年二人。ノートに線を引き、駒は動かすたびに消しゴムで消したり書いたりを続けている。周りで囃し立てる同級生。森内側に持ち駒がどんどん書き加えられていく。

㊶社会の授業を受ける森内。一学年、130人ほどで、しかも2年生からは、進学指導のため、習熟度別クラス編成をとり入れ、3クラスが4クラスの少人数になっている。今日の授業は20人ほどしかいない。席は一番前。若さだろう、いや勝ったためだろうか、昨夜の疲れを少しも見せず、黙々とノートをとっている。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は炬口勝弘さん。

㊷校長室。長沢幸男校長。

校長「昨年まで、調布の方にいまして、教会へはよく加藤一二三さんご夫妻が礼拝に来ておりました」

㊸応接室。担任の続木唯道先生(36)

担任「とにかく言葉少ないですね。必要なことをポソポソと言うだけで。すごく温厚というか、おだやかな感じで。ふつう、欠席なんか多いとね、クラスの中で接触がないものだから浮いてしまいがちなんですが、彼には、全然そういうことはないですね。むしろ友達も結構いるし。それにもう大人の中で、立派な業績を打ち立てているから、クラスの誇り、学校の誇りでもあるんです。生徒としても立派ですね。自分に厳しい。決して甘くならない。勉強面ではハンディがあって遅れるのはやむを得ないけれど、表面にはちっとも出さず、限りある時間の中で精一杯やってる。お母さんも心配していますが、卒業できるように、追試など学校でもできるかぎりの便宜を計ってやりたいですね。ええっ?今日は一睡もしていない?いや彼なら性格からして寝ないでも学校へ来ますよ、きっと。実は、私、高校時代、やはりプロ棋士の森信雄クンと同級生だったんです。愛媛の伊予三島高でした。彼もよく欠席して対局に出かけてましたね。元気になってますか?今度会われたら是非よろしく言っといてください」

㊹校内、受付の横に昨年度の大学合格状況が貼り出されている。99%が進学。東大、京大の各1人をはじめ、6人に1人は国公立へ進んでいる。

㊺晩秋のウイークデー。渋谷将棋センター。初老の北山和佑席主がお客さんと将棋を指している。側から新しく入ってきた馴染客が話しかける。

㊻客「やっぱり先生の言うことは本当だったですね。森内君、新人王取って」

席主「でしょう。みんな羽生羽生って言うけど、森内君の方が強いよ。そりゃ身びいきもあるかもしれないが、このまま行けば、森内君の方が、器として大きいんじゃないか。日本一ですよ」

(中略)

㊾奥の方で対局していた研究会(ハチ公研)のメンバーが帰り支度を始める。石川、森内、中川、先崎の四段、そして奨励会の小池裕樹三段(20)や愛達治二段(22),長岡俊勝初段(20),岡崎洋初段(20)の8人がカウンターに近づいてくる。

客「ちょっと成績表見せてよ。(ノートをめくる)やっぱり森内君強いね。4-1が森内と小池。ふうん。石川、先崎3-2ね……。どう先崎君、今も噂してたところだけど、森内代先生の将棋はどうかね」

先崎「えーと、ですね。ズルイ将棋でね。フフフ。勝負に辛いといいますか、いつも優勝賞金持っていかれるんですよ。粘りがある。僕とは正反対。目をつぶって突進して来るようで目があいてる将棋、実は薄目をあけてしっかり読んでるんですよ。ズルイですよ」

客「だいたいズルくないと勝てないのが将棋でしょうが。ハハハ」

 ハチ公研の面々はおしなべておとなしい。8人一緒にニヤニヤ笑いながらエレベータに乗り込む。

㊿渋谷駅前の雑踏。家路を急ぐ勤め帰りのサラリーマンやOL。その群を抜けて盛り場へと向かうハチ公研の面々。

石川「今日は新人王のおごりだな。ねえ森内先生」

森内「(苦笑して)新四段のおごりでしょ」

先崎「ありえない。新人王の一手に決っているでしょう。稼ぎが違うよ」

中川「……」

 道玄坂、ネオンが猥褻に光を増す。

(以下略)

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「壁には南野陽子(好きな歌手)のピンナップが貼られており、机の側にはスケジュールがぎっしり書き込まれたカレンダーが掛かっている」

この1年以上先の近代将棋1989年7月号で、森内俊之四段(当時)は、好きなタレント・歌手ということで「南野陽子、Wink」と答えている。Winkは1988年4月27日デビューなので、この記事の頃にはまだデビューしていなかった。

森内四段の部屋にWinkのポスターも加えられた可能性は高い。

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1987年11月13日(金)は、B級1組順位戦の板谷進八段-大内延介九段戦が21:41に千日手成立、指し直し局終了が1:32。勝浦修九段-塚田泰明王座戦が0:55に千日手、指し直し局終了が4:38と、控え室で検討をしていれば自然に朝になる展開。

土曜日の早朝とはいえ、一睡もせずに学校へ行くのは凄いことだ。

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「オッハヨー。アレ帰ってきたの」

森内九段の妹である洋子さんは、この後もたびたび、いろいろなエピソードの中に登場してくる。(とはいえ、本人自身の登場は一度だけ)

羽生善治五段(当時)「いえ、森内君の妹にはかないません」

「私、森内の妹です」

先崎学五段(当時)の「森内六段(当時)の好きなところ」

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「私、高校時代、やはりプロ棋士の森信雄クンと同級生だったんです。愛媛の伊予三島高でした。彼もよく欠席して対局に出かけてましたね。元気になってますか?今度会われたら是非よろしく言っといてください」

森内四段の担任だった続木唯道さんと森信雄七段が高校時代の同級生だったというところが嬉しい縁。

森信雄七段が奨励会入りするのは高校卒業後なので、学校をよく欠席していたのは対局以外の理由と考えられる。この辺も森信雄七段らしいところだ。

ところで、 続木唯道さんと森信雄七段は今年の5月、49年ぶりに再開をしている。

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森内九段が高校卒業後、1989年の全日本プロトーナメント優勝表彰式に聖サレジオ学園の校長先生がお祝いに駆けつけている。

羽生善治五段(当時)「いやあ、あいさつって結構上がるんだよね

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「新四段のおごりでしょ」

新四段は、先崎学四段(当時)と中川大輔四段(当時)のこと。

ハチ公研。将棋世界2002年8月号に掲載された写真、撮影は炬口勝弘さん。