将棋世界1988年2月号、高橋呉郎さんの「新春お好み対局 谷川浩司王位-森内俊之四段 恐るべき少年の勝利」より。
いま、いちばん強い棋士はだれか― 将棋の神様がいたとしても、この質問には往生するにちがいない。
なにしろ天王戦などは、決勝戦に残ったのが、森下卓五段と羽生善治四段である。羽生四段の準決勝の相手は、中原誠名人だった。森下五段も準々決勝で大山康晴十五世名人を負かしている。
ついこのあいだまでは、20代のタイトル保持者が将棋界の次代をになうだろう、とだれもが予想していた。それもつかのま、こんどは羽生四段に代表される10代棋士が猛追してきた。
この連中、まさに将棋界の「ベビー・ギャング」「恐るべき子どもたち」である。17歳の新人王・森内俊之四段も、その代表選手のひとりと目されている。
過日、河口俊彦六段と雑談したおりに、森内評を聞いてみた。
「新人王戦をいっきに駆け登ったというのは、並の力じゃないです。羽生君と同じで、やっぱり終盤が強いですね。とにかくまちがえない。1分将棋になっても、小憎らしいほど落ち着いてますよ」
その森内四段が谷川浩司王位の胸を借りる。もちろん、初手合わせである。
定刻1時の10分前、対局室に入ると、すでに森内四段は席についていた。私もこの少年とは今回が初対面だった。
体格は並みより大きいけれど、スポーツマンタイプといった印象は受けない。ごくしぜんに伸び伸び育ったというところだろう。といって、のほほんとしているわけでもない。太くて濃い眉が、容貌に格好のアクセントをつけている。心もち突きだした唇のあたりに、利かぬ気の強さを読みとることもできる。
ライバル・羽生四段のほうは、秀才タイプにありがちな”老け顔”といっていい。それにくらべると、森内四段は、まだ腕白小僧の面影を残している。
ほどなく谷川王位入室。もともと所作はゆったりとしている人だが、17歳の少年を前にすると、また、いちだんと風格を感じさせる。
あらかじめ先番は森内四段に決まっている。矢倉の注文に、ためらわずに谷川王位も乗った。
(中略)
1図までは、相矢倉戦の最新標準型のひとつと思っていただきたい。
谷川王位は昨年の夏に高橋道雄十段・棋王から、王位のタイトルを奪って、無冠を返上した。かつて史上最年少で名人位を制した男が、そのくらいで満足するはずもないけれど、ひとまず肩の荷をおろしたにちがいない。
それまで、おそらく将棋界でいちばん悩んでいたのは、この青年ではなかったかと思う。昨年は唯一のタイトルである棋王も失って無冠をかこった。勝ち星は重ねても、勝負どころの一戦に弱い、という評も聞かれた。年に似合わず、いかに落ち着いた風格をみせようと、自らのふがいなさに苛立たないほうがおかしい。王位戦を前に、楽しみながら指したい、相矢倉は指さない、と語ったのも、言葉とは裏腹に、背水の決意を表したものと受け取れる。
しかし、どうやら王位戦でなにかがふっきれたらしい。囲碁の趙治勲九段との対談でこういっている。
「今まで指し慣れていた戦法(矢倉)をやめて、他の戦法をやるのは、危険も大きいわけです。ま、そういうことがあるから、かえって勝たなければいけないという気持ちでなく、ゆとりを持って指せたのかもしれない。あまり得意戦法ばかりやっていると、『これで負けたらどうしようもない』と思ってしまいますから」(対談集『勝負の世界』より)
今期は名人戦挑戦者の最短距離にいる。群雄割拠の将棋界を制する若手棋士がいるとしたら、やはり、この人以外には考えられない。
(中略)
「谷川将棋」といえば、速攻の代名詞みたいなものである。ところが、この将棋は、押さえ込み作戦をとっている。前譜で△9五譜と突き越してからは、好むと好まざるとにかかわらず、必然の成り行きということになるらしい。
森内四段は▲1五歩から端を攻めた。じつはここでも両者の大局観はくいちがっていた。
谷川王位は「端攻めしかないようでは、こちらがいいと思っていました」といっている。森内四段は口数がすくない。ようやく「なんとかなりそうな気がしました」と感想をもらすと、谷川王位は、しきりに首をかしげていた。
このへんは、読みとか大局観とかいうより、将棋観そのもののちがいに通じるかもしれない。
3図以下の指し手
△同玉▲1五銀△同香▲同香△2二玉▲1八飛△1六歩▲同飛△2五金▲1二香成△3三玉▲1九飛△1六歩▲2一成香△2八銀▲1八飛△2九銀成(4図)森内四段は▲1五銀から、しゃにむに攻めつづける。
▲1二香成でシロウト目には端攻めが成功したようにみえるけれど、谷川王位は、飛車さえ抑えこんでしまえばいい、と読んでいる。
(中略)
△2九銀成と桂を取った局面では、谷川王位は、うまく抑え込んだ、と思っていた。うまく飛車をいじめる順がまわってくれば、入玉も期待できる。
森内四段は、すでに前譜から1分将棋にはいっていたが、巧みに攻めをつないだ。▲4六歩が攻めの急所。△4六同歩▲4五歩△同銀▲3七桂で谷川陣の一角が喰い破られた。
(中略)
谷川王位の局後の感想によれば、「相手の駒が前に出てきましたからね。抑えこんだつもりが、思ったほどよくなかった。大局観が甘かったようです」
(中略)
谷川王位は、勝ち目のない将棋をえんえんとつき合わされた格好になったが、いささかもわるびれずに指しつづけた。しかし、さすがに感想戦では、げんなりしたようにいった。
「ただ粘るだけの将棋になってしまいました。むりすれば、入玉くらいはできたかもしれませんが、大駒をぜんぶ取られて足りないでしょう」
▲4六金で投了。なんと森内四段は1分将棋で40手を指して、まったく乱れなかった。まさしく恐るべき少年である。
振り返って、谷川王位は大局観こそあやまったが、これといって悪手を指したわけではない。それをほとんど危なげなく勝ちきった、森内四段の強さが、ひときわ光る一局だった。
この日、別室で芹沢博文九段が対局していた。まさか、これが最後の対局になろうとは、神も残酷なことをなさる。ふだんは、ほかの対局をよくのぞきにくる人なのに、この日にかぎって顔を見せなかった。1週間後に急逝して、二度と元気な顔を見ることができなくなった。
芹沢さんは多彩な才能の持ち主として知られていたが、私は、将棋の話をするときの芹沢さんがいちばん好きだった。会えば、いつも飲んでバカ話をした。相当に酔っているときでも、たまたま私は将棋についての愚問を発すると、口調まであらためて、こちらが納得するまで語ってくれたものである。
芹沢さんは確固たる将棋観を自分の言葉で的確に表現しうる、唯一の将棋評論家だった、と私は思っている。あそらく、とうぶん芹沢さんみたいな人は出てきそうもない。
森内四段の将棋をどう評するか、ぜひ聞きたかったのだが、いまは、かなわぬ願いになってしまった。
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森内俊之四段(当時)がデビューしたその年に新人王戦で優勝。将棋世界誌上企画で谷川浩司王位(当時)とのお好み対局が組まれた。
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「ついこのあいだまでは、20代のタイトル保持者が将棋界の次代をになうだろう、とだれもが予想していた。それもつかのま、こんどは羽生四段に代表される10代棋士が猛追してきた」
これが、この時代のスピード感。
将棋界というものができて以来、将棋界が初めて経験することだったに違いない。
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「羽生四段のほうは、秀才タイプにありがちな”老け顔”といっていい。それにくらべると、森内四段は、まだ腕白小僧の面影を残している」
老け顔とは、老けた顔という意味とも違って、若いのに落ち着いた顔あるいは大成した顔、という意味になり、古くは中原誠十六世名人が若い頃、同じように言われていた。
歳をとっても変わらない顔と同義でもある。
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「体格は並みより大きいけれど、スポーツマンタイプといった印象は受けない。ごくしぜんに伸び伸び育ったというところだろう。といって、のほほんとしているわけでもない」
この表現は絶妙だと思う。
とはいえ、スポーツマンタイプといった印象は受けないと言われながらも、森内四段は、巨人の清原和博選手、中日の強打者だった宇野勝選手に似ていると言われていた時期があった。