将棋マガジン1991年10月号、広津久雄九段の「刑務所の将棋クラブ」より。
工場対抗将棋大会
家の前で車が止まった。耳ざとい家内が「車が来たわよ」と言った。「じゃあ、行って来るよ」と、私は紙袋を持って玄関を出た。
その紙袋の中には、11月23日に行われる『矯正バザー』に寄贈する扇子10本と、色紙が5枚。それと、きょう(7月27日)午前9時から行われる『静岡刑務所・工場対抗将棋大会』のための色紙が6枚入っている。
静岡刑務所
私は、若いころから「将棋を…」と言われると、内容をよく聞かずに「はい、いいですよ」と引き受けてしまう癖がある。今でもその癖は続いている。でも「将棋指しなんだからこれでいいんだ」と思う。
実は昨年の暮、静岡刑務所の教誨師で篤志面接委員もされている鈴木敏・常光寺住職から「将棋を指導してくれる人を探してるんですが」という電話があった。
「指導先はどちらでしょう」「それが、静岡刑務所なんです」「誰れに指導するんですか」「受刑者にです。静岡刑務所では、受刑者が出所後再犯をおかさないよう教養指導を行っています。クラブ活動もその中の一環です。受刑者に将棋は人気があるんですが、指導者がいなくてクラブは今まで見送られています。それで先生にお願いして、どなたかお世話願えないかと思いまして」「時間は…」「土、日を除いた午後5時半から、7時ごろまでです」「指導に行くのは定期的にですか」「月に一度です。しかしこれはあくまでボランティアです。それから、人柄などちょっと難しい問題もあります。それにその人には篤志面接委員を引き受けてもらわねばなりません」
「そうですか(と、私はしばらく考え)じゃあ、私が引き受けましょう、人に頼むより、一番手っとり早いですから」「えッ、先生が、でもあくまでボランティアですよ。プロの先生が指導しているクラブは日本中探しても例がありません。受刑者はよろこびますけど」「ところでいつ行けばいいんですか」「早速刑務所と連絡を取って、折り返し電話をします」
というようなことで、昨年の12月25日、鈴木教誨師と一緒に、初めて静岡刑務所へ行った。
篤志面接委員
他の刑務所のことは知らないが、静岡では、受刑者のための<ワープ口、孔版、珠算、書道、囲碁、俳句、詩吟、川柳、短歌、絵画、コーラス>などのクラブがあり、その指導に当っているのが『篤志面接委員』で、この外<算数、国語、英語>などの教科指導も行っている。
鈴木教誨師と電話で話をしている時、私は「将棋を指導に行けば」という安易な気持ちで引き受けた。ころが月日が経ち、その役がいかに社会に及ぼす影響が大であるかが分ってきて、「大丈夫かな」と少々不安になっている。
将棋クラブ
刑務所には、表・裏の門がある。私たちが出入りしている門は、写真のように明るく、後ろに見える建物も病院のように清潔で明るい。しかし受刑者の門は、テレビで見るように厳めしくて暗い。
最初の1月30日のことである。支度をして待っていると、ピンポン」と鳴ったあと、「静岡刑務所からお迎えに来ました」と大きな声がした。初めてのことで、「おどかさないでよ」と家内は言った。
刑務所に着いたのが午後5時。看守長が「先生、刑務所の食事をしてみますか」と言った。好奇心のかたまりのような私は「では」とご馳走になった。「うまいですね」と言うと、「これは職員のです」と。受刑者の飯には三割ぐらい白麦が入っているそうだ。
「クラブに全員集まったそうです」と、若い看守が連絡に来た。
廊下を歩きながら、看守長が「広津先生が指導に来てくれることになったと言ったら、信用しないんですよ。ところが、それが本当だと分ると受刑者五百数十人のうち八十何人も希望者がありました。でも、クラブには三十人しか収容できませんので、あとの五十数人は空席待ち(出所待ち)です」と。
扉という扉には鍵がかかっている。所内の配置は規則だから省略する。
クラブの部屋は、六畳間を二つ縦にしたような細長い部屋で、一間幅の机が十台置いてあり、その上に板盤が三面ずつ置いてある。
私が大盤の前に立つと、看守が「起立」「気をつけ」「先生に礼」と号令をかけ、全員がその通りに動いた。一瞬、四十数年前の軍隊生活を思い出した。
初日のことではあり、私も、受刑者も緊張していた。しかし、将棋の話をし、ルールなどを説明、易しい 詰め将棋を出題するころには、緊張もとれ、受刑者が笑顔を見せるようになってきた。
「私は、将棋の好きな人は皆んないい人だと思っています。将棋はルールを守らねばなりません。皆さんも出所されたら、二度と人としてのルール違反をしないように」
一日目はこうして無事終了した。
二度目は2月25日。この日は主として駒組みを指導し、机を三台縦に並べ、「最後まで指せないかも知れないけど、九人相手にしましょう。人間背伸びをしてはいけませんよ。皆んなが勝てると思う手合いで指しましょう」と、六枚落ちから二枚落ちまで相手をした。
2月26日は誕生日だったが、請われて、所員の方たちに『将棋と人生』という題で講演をした。
3月の指導日、「履歴書を書いて下さい」と言われた。東京の矯正管区長に提出するのだそうで、写真は看守が撮ってくれた。「横顔は」と言ったら、看守が苦笑していた。
年度が変り、所長、教育部長、厚生課長に異動があった。4月の指導日の時、東京矯正管区長名で、篤志面接委員の委嘱状と、身分証明書と、バッジを頂戴した。
5月の指導日の数日後『篤志面接委員総会』があった。名簿を見る。明治33年生れの方もいらっしるし、20数年も委員をされている方もいる。委員は十五人。
茅場・新所長の説明によると、再犯率は50パーセントだそうだ。
「人間には三つの甘さがあります。一つは―誰れも見ていないから。二つはーこのくらいなら。三つはー他の人もやってるじゃないか。私は、再犯しない人ではなく、<再犯できない人>になろう、と指導しています。委員の皆さんも指導をよろしくお願いします」
受刑者の日常生活
- 起床 6時50分。
- 点呼 7時20分。
- 朝食 平日7時20分、休日7時30分。
- 作業 7時40分。
- 昼食 12時。
- 作業終了 16時40分。
- 就寝((減燈) 21時
- 休日 日曜日。土曜日は12時まで作業。しかし隔週休み。
- テレビは指定チャンネルと自由チャンネルがあるそうで、ニュースは自由に見ることができる。また、最近では盆休みもあるそうだ。
受刑者に級位がある
受刑者には、一級から四級までがある。入所時は、刑に関わりなく四級だそうで、面会と手紙が月一回。三級になると、二週間に一回ずつになり、二級になると一週間に一度ずつになる。一級になると、毎日面会できるようになる。模範囚で、出所(仮釈)が近いのである。
工場対抗将棋大会
工場対抗将棋大会の会場は二階の講堂。看守長と廊下を歩きながら、数日前に読んだ吉村昭氏の”鋏”について語った。内容は、篤志面接委員と出所した者との関わり合いの話で、何か心を打つものがあった。
講堂に入ると、見知った顔が並んでいる。目で笑いかけると、微笑が返ってきた。親しい人に刑務所に指導に行っていると言うと、「そんな手の触れるところまで行って怖くないですか」と言う。初めは緊張したが、今では顔も覚え、親しみさえ感じている。
教育課長が開会の辞を述べ、昨年の優勝・第一工場と、準優勝・第六工場から盾の返還があり、大会長の訓辞、審判長挨拶、競技上の注意をして、競技が開始された。
出場しているのは、第一工場から第十一工場までと、舎房、炊場、外業の十四チームで、三人の団体戦。競技は一局の所要時間が三十分。時間内に終了しない時は、審判長が判定する。こうして、決勝へ進んだのは第六工場と、舎房チーム。
(中略)
以下先手方が勝って、第六工場が優勝した。
賞は一位から六位まで。所内のことで、賞品は石鹸、タオル、便箋、ボールペンなど。
刑務所全体の雰囲気はテレビで見るように陰湿ではない。何か、心にふれるような指導方法はないものかと考えている。
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刑務所というと、『ショーシャンクの空に』『パピヨン』『網走番外地シリーズ』『女囚さそりシリーズ』などの映画が頭に浮かんでくるが、今日の話は、映画の世界ではなく現実のこと。
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篤志面接委員は、国内の矯正施設内(刑務所,少年院,婦人補導院等)で、悩み事相談にのったり、また、矯正のために面談や講話を行ったりする。形態はボランティアで、法務省から委嘱を受ける。
主に、次のジャンルに分かれているという。
本当に大変な業務だと思う。頭が下がる。
- 種々の悩みごとに関する相談・助言・・・ 家庭問題,職業相談,法律相談など
- 教養や趣味に関する指導・・・ 俳句・短歌,音楽,書道,珠算など
- その他の指導・・・ 薬物依存離脱指導,交通安全指導,酒害教育など
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「茅場・新所長の説明によると、再犯率は50パーセントだそうだ」
昨年の『犯罪白書』のデータによると、出所から5年以内に刑務所に戻る確率は、覚醒剤で49.4%、窃盗は45.7%、傷害・暴力36.1%。
当時よりは再犯率はやや低くなっているのかもしれない。
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「この外<算数、国語、英語>などの教科指導も行っている」
ヤクザになる人は、主に家庭の事情で学校に行けなかった人が多く、そのような人達は、刑務所で読み書きを覚えるという。
→『極道の妻たち』の岩下志麻みたいな姐さんはいない――極道いろいろ、極妻もいろいろ(cyzowoman)
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1970年代初頭に大麻取締法違反で逮捕された、将棋の強いあるミュージシャンに話を聞いたことがあるが(非常に冗談っぽく話をされていたが)、刑務所では時間がたくさんあり、なおかつやって良いことも限られていたので、この時期に将棋の実力がかなりアップしたということだった。
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ボーカルグループのバックバンドをやられていた方に、女子刑務所の慰問に行った時のことを聞いたことがある。
舞台の最中、ほとんどの受刑者が泣いていたという。女性の受刑者は、酷い男に騙されたり、暴力を受けたり、とにかく酷い男が原因で罪を犯した人が多く、様々な思いから、歌や演奏を聞いているうちに泣いてしまうのだと。
そのバックバンドの方も、感傷的になるとともに同情心が起き、何度も涙が出そうになったということだった。
調べてみると、八代亜紀さんが、同じような経験を語っている。
→八代亜紀が語る、ホステスや罪人の哀しみも支えてきた歌手人生(cinra.net)
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昨年、森信雄七段が、網走刑務所で、指導対局と講演を行っている。