板谷進八段(当時)の百万言に相当する心のこもった一言

将棋世界1988年7月号、池崎和記さんの「棋士の女房・お袋さん 小林映子さん(小林健二八段夫人)」より。

「私が先生と初めてお会いしたのは、今からちょうど16年前、あの浅間山荘の事件の直後であった」

 と、小林健二八段は『将棋マガジン』5月号に書いている。先生―というのは、先ごろ急逝した板谷進九段のことだ。

 小林八段は香川県高松市の出身だが、縁あって「中京の若大将」の弟子になった。15歳のときである。

 4年後、四段になり、翌年、20歳のとき現夫人の映子さんと結婚している。

 夫人と最初に出会ったのは17歳、奨励会1級のとき。大阪の近鉄百貨店で将棋まつりがあり、映子さん(当時、高校2年生)はアルバイトで手伝いに来ていたのである。

 映子さん「いわゆる恋人時代というのはまったくなかったですね。だって婚約するまで、二人きりになる機会なんて一度もなかったんですから」

 本格的な交際が始まったのは、小林少年が四段昇段と同時に名古屋から大阪へ転居してから。つまり19歳のときで、この年、少年は少女にプロポーズしたのである。それまで二人は、たんなる友達に過ぎなかった。

 一度だけ、一緒にハイキングに行ったことがある。しかし、それは合同ハイキングで、映子さんは友人を連れ、小林もまた数人の独身棋士を引き連れていた。が、結果的には、この合ハイから若い二人の恋が誕生した―。

 ゴールインするまで、たいして時間は要らなかった。19歳の少年は突然、少女に”逮捕状”を突き付けるのである。

 映子さん「驚きました。”友達”から、いきなり”婚約”まで飛んだのですから。私、結婚なんて考えてもいませんでした。プロポーズされたときも、本気にしなかったんです」

 主人はきっと、表現方法を間違えたんですよ―と、夫人は青春時代を回想しながら言う。「いまから思うと”ずーっと付き合いたい”という愛情表現が、たまたま”お嫁さんになってほしい”みたいなものになったんと違いますかね」。

びっくりしたよ

 息子が結婚を決意したころ、高松のお母さんは将来を心配して、名古屋の師匠に手紙を書いている。「一度、二人に会っていただけないでしょうか…」。

 大阪の都ホテルで、板谷師匠は若いカップルに会った。そして開口一番「びっくりしたよ」。そりゃそうだろう。目の前にいるのは、まだ20歳にもなっていない少年と少女である。

 もし、このとき師匠がウンと言わなければ、小林夫妻の”早すぎる結婚”はなかっただろう。少年にとって板谷九段は実の親以上の存在だった。師匠が反対すれば弟子は従うほかないのである。

 二人は緊張しながら師匠の言葉を待った。すると板谷は映子さんを見てニヤッと笑い、弟子にこう言ったという。「なかなかええ尻をしとるね」。

 緊張の糸がプツンと切れた。板谷流の、「結婚OK」の返事だった。

 映子さん「この初対面の席で、先生は『健二は絶対、八段になりますから』と私に言ったんです。『でも、紙に書いて保証できんのが、つらい世界だけどね』とも言いました」。

 四、五段では食えない―と言われた時代である。板谷は、四段になったばかりの少年の将来に、ノータイムで太鼓判を押したのである。

 中原名人、24歳。加藤一二三九段、20歳。

 棋士の早婚は少なくないが、彼らは結婚当時、すでに高段者(つまり高額所得者)だったから、小林夫妻の場合とは事情がちょっと違う。師匠が承認したのは、愛弟子の才能を見抜き、その将来像にも確信をいだいていたからだろう。

 小林八段「板谷先生も実は早婚で、熱烈な恋愛の末に周囲の反対を押し切って結婚されたんです。たしか23歳のときです。私たちの結婚に反対しなかったのは、ご自身、そういう経験があったからかもしれませんね」。

 それはともかく「絶対、八段になる」という師匠の言葉は、一昨年、小林八段のA級昇級によって見事に証明された。

 挙式は1978年1月。ちょうど塚田正夫名誉十段が急逝した直後で、来賓の米長九段(当時八段)は紋付きハカマ姿。塚田名誉十段の連盟葬に参列し、その足で大阪まで駆け付けたらしい。

 映子さん「当時、うちの親戚の人たちは将棋指しのこと、一人も知らなかったんです。それで米長先生を見て…」

 こう言ったそうだ。

「あの人が神主さんか?」

師匠が流した涙

 もうひとつ、こんなエピソードもある。結婚2年目の春、コバケンがC級2組からC級1組に昇級したころの話だ。

 五段昇段を記念して高松市で祝賀会が開かれた。このとき師匠は夫妻の前で涙をポロポロ流し、こう言ったという。

「いまだから言うが、君たちが結婚したとき、わしはいろんな人たちから『どうしてこんなに早く結婚させるんだ』『いま一番勉強しなければいけないときなのに、いったいいつ勉強させるつもりまのか』と責められた。みんな大反対したんだ。そのたびの、わしは『いや、私が許したんだから』と言うて…」。

 結婚前、コバケンは四段ながら王位リーグで優勝するなど大活躍した。ところが挑戦者決定戦で敗れ、その後遺症からか、一時、スランプに陥ってしまった。それが運悪く新婚当時と重なったため、雑音が師匠の耳にも届いていたのである。

 映子さん「みんなの反対を押し切って結婚させたものだから、先生は、このまま主人が伸び悩んだらどうしようと、ずーっと悩んでおられたみたいなんです」。

 小林八段「そういうとき、私はようやく五段になって…(涙を流したのは)よほどうれしかったんでしょう。ホッとされたんでしょうね」。

 今年1月、小林夫妻は結婚10周年を迎えた。長男の一二三君はいま小学4年生、長女の桃子ちゃんは小学1年生である。子どもたちはすくすく育っている。でも、あの優しい師匠はもういない。

(以下略)

将棋世界同じ号より。撮影は池崎和記さん。

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「なかなかええ尻をしとるね」

現代なら、セクハラなどと言われてしまう言葉だが、この状況、このタイミングで、緊張と不安でいっぱいの若い二人を、この一言がどれほど救ってくれたことだろう。

もちろん、この時のケース限定だが、どのような言葉にも優る祝福の言葉だったと思う。