2019-08

奨励会

将棋会館が建ってから最低でも12年は続いていた恐ろしいジンクス

将棋世界1988年4月号、駒野茂さんの「関東奨励会レポート」より。  千駄ヶ谷に今の会館が建ったのは、昭和51年。それから現在に至るまで、色々な話が出来た。その中の一つを。  級位者の部屋。幹事の席から見て一番左奥の、床の間を背にした席のこ...
奨励会

「実はぼく、この中の坊瑞苑での最初の記録係なんです」

近代将棋1984年10月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。  その検討会を見ていて思い出すのが、谷川さんが王位戦で記録係をつとめたときのことだ。  あれは勝浦修八段が中原誠王位(当時)に挑んだ年のことだから、昭和51年の第17...
読む

谷川浩司名人(当時)「我ながらエキサイトしやすい性格なんだと思いました。かなりあつくなっているのが自分でも分かりましたからね」

将棋世界1989年3月号、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)の「駒ゴマスクランブル」より。  1図をご覧いただきたい。▲2六歩の誤植ではない。初手▲3六歩。これを見て「あっあの将棋か」と気のつく方は相当な棋界通である。  昭和60年1月21日...
自戦記

米長邦雄九段「嫌な男の顔を、思い出させてしまうかもしれないね」

将棋世界1989年1月号、谷川浩司名人(当時)の「名人の読みと大局観」より。 「相手はどっちの手を指してほしいんだろう」  1図の局面を前にしての、米長九段の独り言である。  矢倉を指さない居飛車党、を未だに続けている私としては、後手番で初...
読む

「中村王将は気を遣うから、それが裏目に出なければ……」

将棋世界1988年5月号、第37期王将戦七番勝負第7局「平常心で臨めた第7局」より。  5時25分、中村王将が投了を告げた。  南二冠王の誕生である。  終局直後の対局室。部屋の片隅に陣取り、2日間、対局を見守っていた大きな生け花が片づけら...