読む 「将棋連盟が甦った日」 近代将棋1988年10月号、湯川博士さんの書評エッセー「将棋連盟が甦った日」より。 悔しいが、将棋小説はあまり部数が出ないといわれている。 知り合いにSF小説の売れっ子作家がいて、将棋を少々指す。彼が出版社の奨めもあって将棋小説を書き、... 2019.09.18 読む
読む 米長邦雄永世棋聖「序盤を研究するのは、ファッションのセンスを磨くようなものだ」 将棋マガジン1991年2月号、高橋呉郎さんの「米長邦雄 サービス精神の疾走」より。 「この男、できるな」 <宿へ戻って、また室内遊戯。 僕は、そこで、非常にいい光景を見た。米長と真部とで碁を打ちそうになったので、僕、オセッカイにも、将棋を... 2019.09.17 読む
インタビュー・対談 「棋士の妻になってよかったと思っております」 将棋世界1989年4月号、炬口勝弘さんの「棋士の女房・お袋さん 原田栄子さん(原田泰夫九段夫人)」より。 お嬢さん育ち 「司令官の娘というのは、忠君愛国という思想のせいか、率直に言って色香が漂わない。結婚は同情結婚。お互いに同情、人命救助の... 2019.09.16 インタビュー・対談
読む 「タイトル戦を撮る」 近代将棋1988年2月号、弦巻勝さんの「タイトル戦を撮る」より。 タイトル戦は地方でやることが多いので前日機械の準備をします。もちろんその数日前に編集部から何ページのカラーあるいは何ページのモノクロとか、非常に簡素な電話があるわけで、その... 2019.09.15 読む
読む 林葉直子女流王将(当時)「こんなに広く愛されている私の可愛い将棋がいじめに遭った」 近代将棋1989年10月号、林葉直子女流王将(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。 私は、あることに非常に腹を立てた。 で、将棋の駒を将棋盤の上にぶちまけて、いら立つ心を抑えるため、一つ一つの駒を慈しみの心で丁寧に並べていった。 ... 2019.09.14 読む