近代将棋1990年12月号、先崎学五段(当時)の「ことしの名場面、珍場面」より。
歴史的な大トン死
棋聖戦
▲屋敷五段-△塚田八段前局と同じく屋敷の将棋になる。人選に片寄りがあるわけではなく、屋敷の将棋の作り方が特異で、奇手妙手が多いのである。
結論からいうと、本局は、歴史の残る大トン死だった。もし、将来『平成将棋大ポカ集』のようなものが編まれるとすれば、この一局は、その巻頭を飾るべき一局となるだろう。それほどの将棋である。
タイトル戦で勝つことも難しいが、負けた翌年に連続することは、もっと難しいことである。不屈の精神力と、長い間好調を持続する安定度を必要とする。前期中原に叩かれた屋敷が、またしても勝ち上がって来たのには、棋界雀のみならず、屋敷と親しい仲間ですら驚いたのである。(この忍者、思ったより渋太いのかも)
そんな雰囲気の中ではじめられた本局は、二転三転、いや、七転八起の大激戦となった。序盤は屋敷が押していたが夕休を過ぎるころから難しい局面になり、記者室も(難しい)(分からない)を連発。ようやく(塚田勝ち)の結論が出たのは、夜の8時半、すでに両者秒読みになった。
そして8図―悲劇の局面になった。記者室では、羽生、佐藤康、小倉などが、塚田と祝杯をあげようと、モニターテレビを見つめていた。屋敷の玉は、ほとんど受けなしで、塚田の玉は詰まない。研究は打ち切られていた。
そして8時56分、悲劇はおきた。
8図の桂成に対し、1分将棋の塚田は、ほとんど考えずに(20秒となかったと思う)△同玉と取った。そして、1、2秒が過ぎて、屋敷が▲6二金と打った。以下△8二玉▲7一銀△9二玉▲8四桂までの大トン死である。
塚田が玉で取った瞬間「エー」という大声が記者室から発せられた。皆がいっせいに叫んだのだ。おそらくこの声は、対局室まで届いたのではないだろうか。▲6二金と打たれて、すぐ塚田は投げた。わずか1分弱の出来事ダッタ。
終了直後、対局室に行くと、塚田が、
(ヒドイね、角でとれば良かった)
とうめいたところだった。
(ハア、そうですね。負けだと思ってました)
屋敷がこう返して、なにごともなかったように感想戦がはじめられた。
感想戦が序盤からはじまると、塚田の顔からみるみるうちに汗がふき出した。まるでサウナに入っているようだった。塚田は暑がりの汗っかきなのだが、それにしてもすごい量の汗だった。塚田は、
(あつい、あつい)
と感想戦が終わった後に呟いたが、”暑い”だけではなかったのだろう。
ご存知のように、屋敷は、この後、中原に勝ち棋聖を手にした。人間の運命なんて紙一重だな、と思った。
* * * * *
棋聖戦挑戦者決定戦の一局。
歴史に”たられば”は無意味だが、塚田泰明八段(当時)が8図で△7二同角と指していれば、屋敷伸之九段の史上最年少タイトル獲得はならなかった。
「人間の運命なんて紙一重だな、と思った」
この言葉が実感を持って迫ってくる。
それと同時に、紙一重の紙1枚は、もしかしたら、かなり厚いのではないか、と、逆のことも思えてくる。
非情の勝負の世界だ。