将棋マガジン1991年11月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
午後9時
順位戦も大きいが、竜王戦もそれに匹敵する。小林(宏)の快進撃が話題になっているが、この日は塚田と準決勝を戦っている。
小林が島に勝った日の翌朝、ヨーロッパに旅立ったとお伝えしたが、モンブランに登ったそうである。
帰国してからそれを聞き、「なんだモンブランか」と言ったら、小林はむきになって「酸素ボンベなしで4,000m以上の山に登るのは大変なんですよ」
そして高山病の話をしてくれたが、どんなに苦しい思い出であっても、楽しかったことにかわりはあるまい。小林は、おそらく人生に何度とない夏を過ごしたのである。
ヨーロッパからの帰途、飛行機がモスクワに止まると、ちょうどクーデター発生から2日目。足止めでもくらったらえらいことだったが、無事通過はなにより。
さて、控え室の空気は小林への応援が多い。やはり判官びいきというものがある。テレビの画面に、塚田-小林戦が映っているが、小林よしだから、みんな興味深そうに見守っている。優勢がいつまで続くか、というところ。
(中略)
塚田-小林戦は8図。形勢は小林必勝だ。塚田が粘れない形となっている。
(中略)
しばらくして大広間を見物がてら特別対局室に寄ると、感想戦が終わったところで、小林がインタビューに答え「ここまで勝ち進むとは思いませんでした」と言っている。
率直な小林らしい感想である。
(中略)
小林が控え室へ引き上げてくると、富岡が待っていたように「さ、お祝いをしよう」と声をかけた。
「ええ」小林はニッコリした。そして「みなさん、いかがですか。今日はおごりますよ」堂々と言った。
こんなうまい話に乗らぬ手はない。神谷と脇がすぐ応じた。小林は、継ぎ盤を囲んでいる、室岡、先崎、石川達に目を遣った。室岡達は「いや、私達はまたあとで……」とことわった。あまり大人数になってもと遠慮したのだろう。
そもそも大勝負に勝つ者はいつも決まっている。強い者が勝つのは当たり前と割り切っていても、一般の棋士の心のどこかに妬む気持ちがあり、素直におめでとうと言えない。一方、勝った側も、その気配を察して誘いにくい。勝って淋しい思いをした棋士もけっこういるだろう。いや、たかられなくて幸い、と思っている者もいそうだな。
ともあれ、そういった場面で「どうです」と言えるのが小林の人柄である。こんなに仲間から好かれ、信頼されている棋士はいない。
午前0時
うまいすしをご馳走になり、心は残るが私だけ会館に戻った。
大広間で残っているのは、田中-島戦と勝浦-鈴木戦の2局。
(以下略)
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小林宏五段(当時)は、この日の対局に勝って竜王戦挑戦者決定三番勝負を森下卓六段(当時)と戦うことになる。
(挑戦者決定三番勝負は森下六段の勝ち)
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「みなさん、いかがですか。今日はおごりますよ」
これは気持ちのいい言葉。
おごられる方も、竜王戦挑戦者決定三番勝負への出場を決めたばかりの棋士からの誘いなので乗りやすい。
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富岡が待っていたように「さ、お祝いをしよう」と声をかけた
室岡達は「いや、私達はまたあとで……」とことわった
富岡と室岡、漢字の雰囲気がやや似ているので、急いで読むと、なぜ「さ、お祝いをしよう」と言ったのに「いや、私達はまたあとで……」となるのだろうと思ってしまうが、当然のことながらそうではない。
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「こんなに仲間から好かれ、信頼されている棋士はいない」
山男でアスリートということもあるのだろうが、小林宏七段は爽快で懐の深い人柄のようだ。
それは過去の記事からも読み取れる。
→郷田真隆五段(当時)「小林宏五段は、私の好きな先輩のひとりです」
→「尊敬する棋士は米長邦雄三冠王。スケールの大きなところが好きで、あこがれます。ただこれは将棋のことだけで、米長先生のなにからなにまで好き、ということではありません」
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昨年行われた叡王戦(小林宏七段-小林裕士七段戦)の対局前の映像を見ても、いかに小林宏七段が爽快かがわかる。
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師匠の真部一男九段との思い出。
→小林宏七段、10歳差の師匠と酒を飲んで語り合った日々(NHKテキストビュー)