郷田真隆五段(当時)「小林宏五段は、私の好きな先輩のひとりです」

近代将棋1994年1月号、郷田真隆五段(当時)の順位戦自戦記「小林五段と戦う」より。

 今期の順位戦も早くも6局目を迎え、中盤の難所といえる辺りにさしかかってきた。

 ここまでの私の成績は4勝1敗。

 まずまずの成績ではあるが、やはり順位戦での1敗は痛く、もう負けられないといったところである。

 対戦相手の小林宏五段は、私の好きな先輩のひとりであり、過去の対戦では結果はともかく気持良く対局することができている。

 この先輩に関して、私は何より素晴らしいと感じるのはその対局姿勢である。

 対局中は胡座はおろか、くずれた姿勢というものをほとんどされない。

 それは、将棋に対する姿勢そのものである様に私には思える。

 私にもいつの間にか後輩ができ、こうした先輩を見習ってほしいということを、最近、思うようになった。

 私自身もまた、そうあるように努めたいと思う。

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近代将棋1993年2月号、福本和生さんの「第61期棋聖戦第1局 谷川棋聖横歩取りで快勝」より。

 打ち上げの宴のあと郷田は浦野六段らとマージャンをやっていた。去年まではへぼだったのが急に上達して、雀聖浦野もたじたじという場面があった。将棋は不出来であったがが、とにかく敗局は早く忘れることが肝要である。マージャンで喜んでいるとことをみると、敗戦の痛手はいくらか薄れたようだ。谷川はこのマージャンを観戦していた。

 そんなときに小林宏五段の富士山での遭難のニュースがNHKテレビで放送されて、夕方から心配していた全員から「無事ならいいが・・・」の祈るような声がでていた。翌日、小林五段の無事は確認された。

近代将棋の同じ号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

 いつものように何気なくニュース・ステーションを見ていたら、「日本将棋連盟所属の小林宏さんが富士山に入山したが、予定の日を過ぎても帰らず、遭難の恐れもあると心配されている」と報じられ、飛び起きた。

 富士山で大規模な雪崩と土石流が発生したと伝えられた翌日のことで、報じられたのは冬山登山を趣味とする小林宏五段に間違いなく、師匠の真部さんもいつも心配してたなあ。今ごろは富士山の雪でかまくらでも作って夜を明かしているのだろうか―など、私なりに眠れぬ夜を過ごしたものだ。

 翌朝「中年太りのこの身体、捜索隊は無理としてもその運転手くらいはできるから」と連盟に電話すると、数時間後には連盟から「出てきました。多少のけがはしていますが、命に別状はないそうです」との知らせで一安心した。

 事件の顛末を整理すると、「やまねクラブ山岳会」の友人と日帰りの予定で山梨県から入山したが、下山予定時を過ぎても戻らず、所属するクラブが山梨県警富士吉田署に行方不明の通報をした。前日に雪崩等の通報もあり、遭難の恐れが強いと判断したニュース・ステーションが報じ、各新聞もこれに習ったという経過のようだ。

 一方の小林君たちは、雪崩とは直接関係がなかったが、下山予定の道が凍っていたためルートを変更してビバーク。翌朝下山を始めたが、沢に転落し足を痛めたため大事をとって岩屋でさらに一泊し、痛い足を引きずって夜明けとともに下山。五合目まで降りて道を歩いているときに出会った車に乗せてもらったところ、途中山岳会の乗った車とすれ違い救助されたということらしい。

 富士吉田病院に収容され、かかとの「きょ骨」骨折で全治3ヵ月と診断されたが、真近に対局の予定はなく、自宅近くの病院に転院できる見込みだという。

(以下略)

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本格的アスリート、小林宏七段。

五合目(車で行ける所)まで自力で降りてきたわけなので、厳密な意味では遭難にはあたらないのだろう。

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小林宏七段の父親は、大学教授だった小林察さん。

小林察さんは大学卒業後、光文社に入社。

その時、高橋呉郎さん、作家で元・将棋ペンクラブ会長の高田宏さん(高田尚平六段のお父さん)が同僚だった。

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小林宏七段は、察さんに連れられて小学生の時から山へ登った影響で、中学1年の時には一人で山へ行くようになっていた。

奨励会時代には登山用品店に通ってザイルやハンマーなどを少しずつ買い集めた。

一時は月に3回も登山をしていた時があったという。

奥様とは山登りで知り合い、四段になって2年目の23歳の時に結婚している。

小林宏七段は1991年のインタビューで、どんなに辛いことがあっても、「冬山で吹雪かれた時のことを考えたら比べものになりません」と答えている。

この不屈の精神力が、富士山で助かった原動力なのだと思う。

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私の知り合いで、登山が大好きな人がいる。

ある休日、彼は家のそばの小学校の校庭の砂場で、登山の基礎トレーングをやっていた。

石ころが満杯に詰め込まれているリュックサックを背負って、砂場に作った小山を登り降りする。

何度かやっているトレーニングだったが、その日はバランスを崩して足を捻ってしまった。

砂場に倒れて動けなくなった彼は、校庭で遊んでいた小学生に「誰か呼んでくれ」と助けを求めたが、子供たちは遠巻きに見ているだけで決して近づこうとしなかったという。

たしかに、大きなリュックサックを背負って砂場に倒れている大人を見たら、子供だったら誰もが「アブない人」と思って近寄らないだろう。

足首の骨折で全治1ヵ月となった彼を見舞いに行った時、その話を聞いて、笑いをこらえるのが大変だった。