林葉直子さん-木村晋介弁護士戦

私が書いた観戦記四作目は、林葉直子さんと木村晋介弁護士(将棋ペンクラブ会長)の飛車落ち戦。

林葉さんが1995年に日本将棋連盟を退会して以来、初めて掲載されることとなった棋譜。

将棋ペンクラブ会報、2010年夏号より。

—–

林葉流とキムラ流の激突

2月14日午後3時30分、新宿駅から新宿御苑の方向へ向って歩く。

これから林葉直子さんと木村晋介弁護士の対局が、新宿御苑にある木村晋介法律事務所で行われる。

午後3時45分、地下鉄新宿御苑駅の上で待ち合わせていた林葉さんと会うことができた。

少し痩せた感じだが元気そうだ。林葉さんに会うのは3年振りだ。

「今日はバレンタインデーですよね。私チョコレート買ってくるの忘れちゃった」

「大丈夫ですよ。皆、今日がバレンタインデーって忘れているはずですから」

今回の対局を行うことになったきっかけは、昨年の12月に遡る。

木村晋介弁護士と将棋ペンクラブ前会長の高田宏さんの対談(将棋ペンクラブ会報春号に掲載)が自由が丘の酒場で行われ、打ち上げの席で林葉直子さんの話題が出た。4年前に高田さんが林葉直子さんと対談をした場所が、この日と同じ自由が丘の酒場だったからだ。

「そうだったんですか。じゃあ、僕も来年の対談は林葉さんにお願いしようかな。いや、駒落ち対局がいいかな」

木村さんの目が大いに輝いた。

翌週、打ち上げに同席していた湯川恵子さんが林葉さんへ連絡をすると、林葉さんは快く誌上対局を引き受けてくれたのだった。

対局は、木村晋介法律事務所応接室で行われた。

応接室には、中原誠十六世名人と二上達也九段の詰将棋が書かれた色紙、日本将棋連盟カレンダーが飾られている。

林葉さんと木村さんは久々の再会を喜び合い、間もなく対局が開始された。手合いは飛車落ち、立会人・記録係は湯川博士さん。

木村晋介弁護士

木村さんには、今年から、将棋ペンクラブの会長をお願いすることになった。

地下鉄サリン事件、オウム事件があった一九九五年、坂本弁護士一家救出運動に尽力していた木村さんをテレビで何度も見た方は多いのではないだろうか。

現在も、サリン事件等被害者支援基金理事を務め、また日本尊厳死協会理事、リカバリー・サポート・センター理事長、日本カンボジア法律家の会共同代表など、木村さんは各方面で活躍をしている。また法律関係とともに法律以外の著書も多い。

木村さんが本格的に将棋を指しはじめたのは、司法試験の勉強をしていた大学生時代。勉強の合間の退屈まぎれと頭の切り替えを兼ねて、友人達と将棋を指した。

弁護士になってからは、弁護士会の中の将棋クラブに入り木村さんの将棋熱は更に高まったが、2,3年すると仕事が忙しくなり、その後は空白期間が続いた。それでも将棋には興味があって、タイトル戦があると新聞で観戦記を読んだりしていた。

木村さんの将棋熱を一気に復活させるきっかけを作ったのは、15年ほど前のフジテレビの「THE WEEK」という土曜日の番組だった。

木村さんはこの番組でコメンテーターをやっており、「今年の10大ニュースを予想する」というコーナーで羽生七冠誕生を予想した。

番組プロデューサーは将棋はマイナーなのでそのような大きなニュースにはならないと言っていたが、大ニュースになった。

木村さんの言うことは当たるということになり、番組で島朗八段(当時)を呼んで、二枚落ちの目隠し対局をやることになった。

羽生七冠にかなわない島八段に木村さんがコテンパンに負けて、羽生七冠の強さを引き立たそうというのが番組サイドの狙いだったようだが、木村さんが勝ってしまった。

詰みを発見して、木村さんは番組の主旨との関係を考えて長考してしまったが、島八段が小声で「木村さん、遠慮しなくていいんですよ」と言ってくれたので、木村さんは詰ませにいった。

木村さんが将棋界に関わりを持つようになるのはそれからのことになる。

風雲巻き起こる序盤戦

木村さんは振飛車党で、駒落ちの時も定跡には拘らず振飛車で押し通すという明確な方針を持っている。自分が指し慣れた得意形で戦えるわけなので、一理も二理もある考え方だ。

一方の林葉さんは、奔放な序・中盤の指し回しと鋭い終盤力で数々のタイトルを獲得してきた。

戦前から、飛車落ちの定跡形にならないことは予測ができたが、思っていた以上の力戦形となった。

第1図までの指し手

△3四歩  ▲7六歩  △4四歩  ▲5六歩  △4二銀  ▲5五歩  △4三銀  ▲6八銀  △6二玉  ▲5七銀  △7二銀  ▲5六銀  △6四歩  ▲6六歩  △6三銀  ▲4六歩  △3二金  ▲5八金左 △7四歩  ▲4七金  △1四歩  ▲7八飛  △7二金  ▲4八玉  △7三玉  ▲7五歩  △同 歩  ▲同 飛  △7四歩  ▲7八飛  △4五歩  (第1図)

photo

出だし、木村さんは、早々に5筋の位を取った。

木村さんが独り言を言う。

「僕も65歳になりましたから、年寄りは苛めないでね」。

林葉さんは3手目の△4四歩を指しながら「思い出せない」、9手目の△6二玉で「将棋大観を読んでくれば良かった」とつぶやく。

この辺の指し手は木村さんが早い。何度も経験した形なのだろう。

木村さんが、7筋へ飛車を振り、玉を囲いはじめようとした時、△7三玉という林葉さんらしい手が出た。

故・森安秀光九段が、穴熊に入城する過程でこのような玉形をとったことはあるが、この手は顔面受けの意味合いが強い。

「初王手をかけたくなった」

△7三玉を見て、木村さんは▲7五歩から飛先交換に行った。

しかし、ここでは▲3八玉と、玉を奥へ寄せておくほうが安全だった。7筋の飛先交換はいつでもできる下手の権利なので急ぐ必要はない。

これから玉を囲って、という矢先に、林葉さんから△4五歩と仕掛けてきた。

まずは5筋の位を奪還しようという狙いだ。

変幻自在、臨機応変の林葉流。

「私って、自分から動いちゃう上手なんです」

第1図からの指し手

▲同 歩  △5四歩  ▲5八飛  △5五歩  ▲同 銀 △5四歩 ▲4六銀  △6五歩  (第2図)

林葉流全開

△4五歩は悩ましい手だが▲同歩の一手。続く△5四歩は、取ると△同銀左から5筋を好き放題にされてしまうので、▲5八飛と援軍を送らなければならない。

そして5筋の折衝が一段落する間もなくの△6五歩が、大胆かつ厳しい第二弾の仕掛け。

玉のコビンが開いて危険が伴うが、▲同歩だと角交換後に下手が王手飛車取りを食ってしまう。

序盤から、このように積極果敢に仕掛けてくる飛車落ち上手はなかなかいない。

木村さんは長考に入った。

「取ってください」

林葉さんが微笑む。

「こういうふうに指す人もいるんだ…プロにこんな手、指されたことがない」

木村さんが嘆く。

photo_2

第2図からの指し手

▲5七銀  △6六歩  ▲同 銀 △6五歩 ▲7七銀  △6四銀  ▲3八玉  △5五歩  ▲9六歩 △5四銀 ▲5七歩  (第3図)

臥薪嘗胆の歩

ここから木村さんの辛抱が続く。

5六や4六の好位置にあった銀が7七という不本意な場所に押し込められた。この間に上手は6筋と5筋で位を張り、二枚銀で厚みを作る。

下手は凝り形で、駒組みの立て直しが難しいかに思われた。

しかし、ここで木村さんに▲5七歩という燻し銀のような好防手が出る。

第3図から▲5七歩を取り除いた局面を思い浮かべていただきたい。上手から△4五銀と出られてしまうと、5六や4六の地点でいろいろなアヤをつけられる。これを一手前に防いだのが▲5七歩だった。

辛抱した上に、熊の胆を嘗めるような手だ。

「ショックだな、こんな手、見たことがない」

今度は林葉さんが溜息をついた。

photo_3

第3図からの指し手

△4五銀  ▲4六歩  △5四銀  ▲2八玉  △4三金  ▲3八銀  △6三金  ▲9八香  △4四角  ▲7六銀  △1五歩  ▲7八飛  △3三桂  ▲9七角  △5六歩  ▲7七桂  (途中図) △5七歩成 ▲同 金  △1六歩  ▲同 歩  △1七歩  ▲5五歩  △同銀直  ▲6五銀  △1六香 (第4図)

矢倉崩し定跡風攻撃形

▲5七歩は耐えるだけの手ではなかった。上手からの捌きを押さえて、後願の憂いなく玉を固め攻撃形を築くための辛抱だった。

局面は鎮静化し、下手は高美濃囲いに囲った後(▲3六歩が突いてあればもっと固かった)、▲7六銀、▲7八飛、▲9七角、▲7七桂と、「攻めは飛・角・銀・桂」の格言通りの攻撃布陣を完成させることができた。▲5七歩のご利益だ。

上手は、急な動きには出られなくなったので、自陣を整備する。銀矢倉が空中に浮んだような陣形になった。

そして林葉さんは、「しっかり辛抱されると勝ちにいけない」と言いながら△4四角、「どこから攻めようかな」とつぶやきながら△1五歩を指した。攻め気120%の上手である。

木村さんが湯川さんに話しかける。

「下手はどこかで無理しなきゃいけないからね」

「そりゃ上手の話ですよ」

「あれれ、そうだっけ。ところで、これは矢倉崩しの形ですよね」

下手の攻撃形は、四手角矢倉崩しの定跡形を裏返ししたのに近い形だ。【途中図】

photo_4

上手が、端からアヤをつけにいく。

「プロは端攻めがうまいからな。どっちみち来ると思ったから端歩を受けなかった」(木村さん)

5五歩が好手。下手の攻撃布陣に一気に活気を与える。

「どうしましょう」(林葉さん)

「僕は中盤まではいつもいいんだ。ゴルフでもパーオンするまではいい」(木村さん)

△同銀直に、木村さんは「ちょっと考えさせてくださいね」と長考に入る。

序盤・中盤派の振飛車党にとって、将棋において勝つ次に楽しいのが、中盤での攻撃を考えている時間だ。

そして指された▲6五銀を見て林葉さんは、「△5三歩とマネしようかな、わからなくなっちゃった、まあいいや」と△1六香と走った。

photo_5

第4図からの指し手

▲8五桂  △6二玉  ▲6四銀  △同 銀  ▲6五歩  △5三銀  ▲6四銀  △1八歩成 ▲同 香  △同香成  ▲同 玉  △1六歩  ▲6三銀成 △同 玉  ▲2六香  △1七歩成 ▲同 玉  △4八歩 (第5図)

攻撃開始

下手優勢。第4図の局面は攻める手が何通りもあり迷うところ。しかし、迷わせるのも上手のテクニックかもしれない。

攻め方の例では、▲6四銀△同銀▲6五歩△5五銀の後、▲6四銀あるいは▲5二銀という手がある。

木村さんは、▲8五桂と跳ねる順をとった。

「2回王手をかけられればね。谷川先生には5回王手をかけたし」

しかし、この手順は争点となっている6四の地点から玉が遠のき、当りが弱くなるという欠点がある。

「位をいっぱい取られていた恨みを晴らそう」(木村さん)と打った▲6四銀の瞬間に、林葉さんからの反撃が開始された。

1筋を清算してからの△1六歩が急所。▲6三銀成△同玉を経て、下手玉には詰めよがかかってしまった。

木村さんはここで▲2六香と受けたが、この手が敗着となった。▲2六歩と受けていれば、まだまだ玉は安全だった。

林葉さんは「いっちゃえー」と△1七歩成、そして決め手となる△4八歩が指された。痛打だ。

photo_6

第5図からの指し手

▲同 飛  △1六歩  ▲2八玉  △1七銀  ▲同 桂  △同歩成  ▲同 玉  △2五桂 ▲1六玉  △1一香 (第6図)

上手の逆襲

△4八歩に▲同金または▲5九金は、△3九銀で寄ってしまう。

▲同飛に対し、玉を吊り上げてからの△2五桂。▲2八玉なら△1六桂▲1八玉△1七歩▲2九玉△2八銀までの詰み、▲1八玉なら△1一香▲2九玉△1七桂成で上手の攻めが切れない。

▲1六玉に対する△1一香が第6図。

△1一香に▲2五玉は、△3五歩で寄りなので、木村さんは▲1五歩と受けたが、

ここでは▲1二歩からの連打であれば、もっと粘りの利く形になっていた。

photo_7

第6図からの指し手

▲1五歩  △2四銀  ▲6四銀  △5二玉  ▲5三銀成 △同 金  ▲同角成  △同 玉  ▲5四銀  △同 玉  ▲4五金  △6三玉  (投了図) 115手で上手勝ち

型破りな将棋

林葉さんは△2四銀を打つ時に、悩ましげな感じで「うーんと」と小さくつぶやいた。

1996年の近代将棋に、故・小室明さんが林葉さんについて次のように書いている。

『盤上に極上のトリックを盛り込んで敵を幻惑し、悩まし気な溜息を何度かついて、きれいに詰ます。そしてキツネにつままれたような短い感想戦をもって対局を終える。これが林葉の将棋に対する流儀であり後にも先にもないユニークな存在であった』

最終盤に林葉さんから悩ましげな溜息が出たら、誰も助からない。

△2四銀で下手玉に必至がかかった。

「マズかったか。全部縛られちゃったか」(木村さん)

▲6四銀以下は木村さんの形作り。百十五手で林葉さんの勝ちとなった。

木村さんにとっては中盤が優勢だっただけに惜しい一局だった。

わずかな隙をとらえて一気に勝利を得た林葉さんの、技と鋭さと独創性には目を見張るものがあった。過去の実績を考えれば当然かもしれないが。

それにしても、林葉さんも木村さんも型破りな将棋で、面白い手が随所に出ていた。お二人の人柄同様、魅せる将棋だったといえる。

photo_8

打ち上げにて

対局後の打ち上げは、木村弁護士お薦めの中国料理店で楽しく行われた。

「中盤までは良かったのになあ…」

「でも、面白くていい手の連続でしたよ。▲2六香が惜しかったですけど」

「ああ、あの手だよねぇ」

飲みながらの感想戦、いわゆる感想戦の二次会も趣があってなかなか面白い。

紹興酒のボトルが一本空いた。

大山十五世名人の思い出話や近況のことなど、話に花が咲く。

紹興酒の二本目が空いた。

私が初めて林葉さんにお会いしたのは4年前の対談の頃になる。何度か会って感じることは、素顔の彼女は、将棋が大好きで中学の制服を着て東京へ出てきた頃のままの純粋な心を持ち続けているということだ。本当に将棋が好きなのだと思う。

そのようなことを考えながら飲んでいるうちに、紹興酒の三本目が空いた。

林葉直子さんの近況

林葉さんは、マスコミで既報の通り、4年前の将棋ペンクラブ会報の対談があった年に自己破産をしているが、そこから再出発。林葉さんが原作の漫画「しおんの王」がフジテレビ系でテレビアニメとして放送され、DVD化、ゲームソフト化もされた。

ところが、「しおんの王」の原稿を書き終えた2年前、林葉さんは外科系の手術をすることになる。その際に、肝臓が悪いことも診断され、入院を1年ほどしていた。

退院後は福岡へ戻り、お母様と一緒に過ごす生活をした。

食事内容に起因する体調不良だったので、お母様の手料理や玄界灘の海の幸などにより、元気になった。あれほど大好きだった激辛料理も、今では全く食べたくなくなったという。

林葉さんは、現在は仕事の関係で東京に住んでおり、今後も何らかの形で将棋に関わっていきたいということだ。

4年前の高田宏さんとの対談でも林葉さんが語っていたことだが、女流棋士と女流棋界を様々な形で応援したいということと、将棋を好きになってくれるファンを増やしたいという二点が、林葉さんの将棋に対する思いだ。

5月14日に、林葉さんがLPSA公認棋戦「日レスインビテーションカップ・女流棋士トーナメント」のアマチュア枠で出場することが発表になった。

林葉さんの新たな活躍を大いに期待したい。

コメントを残す