一般的には森下八段(当時)が羽生五冠(当時)を誘ったこととして知られているが・・・
近代将棋1995年10月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
午前十時ごろ、森下八段から電話があって「一緒に食事でもどうですか」。
前日、関西将棋会館で谷川-森下のA級順位戦があった。私はたまっていた原稿があったので見にいけなかったが、森下さんが負けたことは知っていた(毎日新聞の朝刊に結果が出ていた)。
順位戦の翌日というのに、森下さんはあいかわらず元気だな、と思った。結果はどうあれ、勝負が終わると(少なくとも表面上は)ケロリとしているのが森下流なのだ。
(中略)
羽生さんの婚約の話題も出た。週刊将棋に「(羽生六冠王は)畠田さんの出演する芝居を森下さんと観劇、ここから付き合いが始まったという。『森下さんには非常に感謝している』と笑う」と出ていたので、森下さんに事情を聞くと、なんでも羽生さんから「畠田さんの芝居を見に行きませんか」という誘いがあり、二人で畠田さんの楽屋を訪ねたんだそうだ。
私「羽生さんはなぜ森下さんを誘ったんですかね」
森下さん「一人では行きにくかったんでしょう」
私「ウーム。ということはつまり、森下さんは当て馬だったんですね」
森下さん「そうなんですよ。ひどいでしょう」
ともあれ森下さんはいま、人に会うたびに「縁結びの神様ですね」と言われているそうである。
—–
羽生善治六冠と畠田理恵さんの婚約が発表されたのが1995年の7月末。
当時の報道によれば交際期間が10ヵ月。芝居を観に行ったのは1994年の9月か10月ということになる。
畠田さんの芝居へ行った後、羽生五冠は竜王を獲得して六冠に、森下八段は棋王戦と名人戦の挑戦を決めている。
畠田さんの芝居が直接影響しているかどうかは別として、観劇後、二人とも調子が更に良くなっている。
なぜ羽生五冠が森下八段を誘ったのか。
やはり事が事だけに、同世代の棋士ではなく、4歳上の森下八段になったのだと思う。
血液型がAB型同士でもあることも関係しているのかどうかはわからない。