ザ・王将戦(王将戦陣屋の段)

近代将棋2001年2月号、元毎日新聞記者の故・井口昭夫さんが王将戦の歴史を綴った「ザ・王将戦」より。

 名人に香を引いて指す、故郷を出たときの誓いが今実現されようとしているのに、升田幸三八段の心は晴れなかった。

 昭和27年2月17日夕、升田は神奈川県鶴巻温泉「陣屋」の玄関に立った。二度、三度ベルを押したが、迎えは出てこなかった。人がいないわけではない。行き来している仲居さんの姿が見えた。それなのに誰も升田の到着に気づかない。今様に言うなら気持ちがプツンと切れた。彼は対局場でなく、隣の旅館に入り、電話で毎日新聞の担当者に「旅館の対応が悪いので指せない。対局場を変えるか、そうでなければ対局を延期してもらいたい」と告げた。

 これが戦後の将棋界をゆるがした「陣屋事件」の発端である。

 もっとも「陣屋」の中で何かが起こったわけではない。騒ぎはそれ以後も旅館の外で広まったのである。「まるで旅館の中で事件があったようで、陣屋に悪い。陣屋騒動と呼んだらどうか」と真面目に言う人もいたが、事件を騒動に言い換えても五十歩百歩で、幕末の「池田屋騒動」を思い浮かべてしまう。それなら「王将戦陣屋の段」ではどうか、と書いたのは渦中の村松喬氏である。

 この対局は王将戦が公式戦となった第1期6局目で、このとき升田は4勝1敗で木村義雄名人を指し込み、王将のタイトルを獲得していた。そして規定によって、升田が香を落として指すはずだったのである。

 彼にとっては晴れの舞台に、なぜすんなり対局に臨めなかったのか。ベルを押して誰も出てこなかったのならガラッと戸を開けて「升田が来たぞ」と怒鳴ればよかったのだ。それが升田らしい。

 いろいろ考えられるが、対局をためらった理由の一つは、升田が朝日新聞の嘱託であり、朝日新聞主催棋戦の名人を傷つける香落ち戦を指したくなかった。

 もうひとつ、毎日新聞との葛藤もあっただろう。毎日が名人戦を主催していた当時、毎日嘱託の大山康晴七段との名人挑戦者決定三番勝負を雪の高野山でやらされ「病弱な俺を殺すつもりか」と激怒したときから、それほど日時はたっていない。そして今回は東京駅へ着いて毎日へ電話をかけたら、村松記者は道順を教えただけで送るとは言わなかった。冷たいではないか、の思いも強かったに違いない。

 また、観戦記者の故倉島竹二郎氏は後年、テレビの「徹子の部屋」に升田が出演したときのことを挙げている。

 升田の話によると、指し込んだとき、彼の母は「これを機会に将棋指しをやめてほしい」と言ってよこしたそうだ。

「歴史と伝統のある名人の尊厳を傷つけるものだし、向こう様の屈辱も考えなければいけないという意味らしかった。母はそんな心のやさしい、思いやりのある人だった」と述懐したそうだ。

(中略)

 すっかり悪者にされた陣屋だが、半世紀ちかくたって、当時の大おかみ宮崎かずゑさんが真相を語った。週刊将棋連載「将棋界つれづれ草」で観戦記者の山田史生氏が紹介している(平成10年3月)。

 一部を引用させていただく。

「問題のあの日、升田先生が入口前の小道を行ったり来たりしているのを私は部屋の窓から見ていました。下を向いて何かを思案している様子。どうされたのかなあと見ているうち引き返していかれました。私はいろいろ難しいことがあるんだろうなと思っていました。ベルが鳴らなかったと言われたようですが、もともとベルなんてありませんでしたよ。だいたいベルを鳴らして入る旅館なんてあるんでしょうか。あれこれ書かれましたが、陣屋の私が悪者になって黙っていればいいんだからと、何も言いませんでした」

 これは説得力ある話だ。

 その後、わだかまりはとけ、升田八段は陣屋を訪ねて「強がりが雪に転んで廻り見る」と書いた色紙を渡した。それは今も玄関ロビーに飾られている。将棋も碁もたびたび行われるようになり「陣屋」は今も健在である。

 ともあれ、生まれたばかりの王将戦は、ドラマを背に長い歴史を歩んでいくことになる。

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「徹子の部屋」が開始されたのは1976年で、升田九段(当時)が出演したのは引退する前年である1978年のことだった。

升田幸三実力制第四代名人のお母さんはカツノさん。

東公平さんの「升田幸三物語」より。

 自ら語るところによれば、父の榮一は、若いうちに米の仲買に手を出してアブク銭をつかんだ時にバクチの味を知り、幸三が物心ついたころは「女房子供をほったらかしでバクチ場を渡り歩き、時には何ヵ月も帰って来ない」有様だった。いわゆる女癖も悪い人手、升田家について悪く言う人がいたのも、すべてはこの風変わりな父のせいである。

 一家を支えたのは非常に聡明かつ気丈な母だ。

升田実力制第四代名人は「母が私の故郷」とも語っていたという。

カツノさんは、1957年2月24日、升田王将(当時)が九段戦第1局を塚田正夫九段と戦っている最中に亡くなる。虫が知らせたのか、中盤から升田王将の指し手は乱れ敗れることになる。

升田王将は、この年の名人戦で大山康晴名人を破り、初めて名人位を獲得する。

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