谷川浩司名人(当時)「彼とは何れタイトル戦で戦うことになる」

将棋マガジン1990年1月号、谷川浩司名人による竜王戦(島朗竜王-羽生善治六段)第2局観戦記「幸福の基準」より。

 羽生五段が今期竜王戦本戦に出た7月頃、私の気持ちは複雑だった。

―ちょっと挑戦者になるのは早いんじゃないの。

 だが、南王将に勝ち、大山十五世に勝った時点で心境が変わった。

―彼とは何れタイトル戦で戦うことになる。それなら、彼の初舞台を早目に見ておいた方が良いのではないか、と。

 行かなければ、と思った。

 今回の相手は島竜王だが、自分も対局場に出向いて、対局しているつもりで観戦しよう、と。

 川崎、天童、福岡、下呂・・・。

 七番勝負を前にして、依然調子のもどらない島竜王も気になっていた。

(中略)

 12月号の「月刊プレイボーイ」に島竜王の記事が掲載されている。

 題して「しあわせの基準」

―棋士にとっては将棋に勝つことが一番のしあわせ。ただ半面、個人としてのしあわせというものもあると思う。

 その反面、彼はこんなことも言っている。

―毎朝、起きるたびに圧迫感がある。竜王戦まで何日に迫っているんかを実感する。

 この一年間彼は、竜王として世間から脚光を浴びながらも、その竜王としての責任を果たすだけの成績を残せなかった。これは、私も五年前に経験した事だった。

 その島朗が、最高の挑戦者・羽生善治を迎えて、目覚めた。

 対して、羽生六段はどのような気持ちでこの七番勝負を迎えたか。

 棋王戦、棋聖戦、そして竜王戦。ファンの期待を背負いながら、三度目の正直でやっとかち取った挑戦権だった。

 そして、七番勝負も大方の予想は羽生乗り。とても私が初めて加藤(一)名人に挑戦した時のような、気楽な雰囲気ではないはずである。

 その羽生六段が第一局に負けた。

 いくら彼が、「公開対局は全く気にならなかった」と言っても、普段の対局なら最後の勝ち筋△6七銀は発見していただろうから、影響があった事は否めない。

 苦しい将棋を逆転して、結局最後は羽生勝ちに終わるのか、という空気が控室に流れていただけに、意外だった。

 もっとも、これが第二局以降に響くとは思いにくいが・・・。

(中略)

 第11図からは完全に駒取り勝負である。大駒を取られないように注意しなければならない。

 衛星放送では、解説の森下六段が駒の取り方について熱弁を振るっていたが、私は別の事を考えていた。

 この素晴らしい将棋が駒数判定のようなつまらない形で決着がついてはいけない。持将棋であってほしい。

(中略)

 終局は午後八時ちょうど。

 疲れを感じていたはずだが、仲の良い二人でもあり、また、勝負がつかなかった気安さもあり、感想戦は活発だった。

 いつものように島竜王は、断定的な表現で指し手を進める。

「どうでしたかね」と言いながらも、羽生六段も言葉程には自分の指し手に不安を感じていない。

 周囲の口出しを許さないような厳しさの中での感想戦。

「俺達が一番強い」の自信に満ち溢れていた。

 打ち上げの後、島竜王はスタッフの方と麻雀、羽生六段は森下六段と囲碁を楽しんでいた。

 勝負の余韻が残っていたのかもしれない。

 翌日は、二人仲良く山寺へ行った後、羽生六段は午後の飛行機で帰京した。

 島竜王は寄り道をしたので、帰宅は日付が変わった頃だろう。

 勝負の世界での幸福とは、もちろん勝つ事だが、もう一つ挙げれば、自分の実力を100%発揮できる相手と戦う事だと思う。

 竜王・島朗、挑戦者、羽生善治。

 この二人は今、一番充実した、そして幸福な時を過ごしている。

 この七番勝負で、たとえ最終的にはどちらかに、勝利の女神が微笑むとしてもである。

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この期の竜王戦は熱戦が続き、羽生善治六段が4勝3敗1持将棋で、初のタイトルを獲得することになる。

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「彼とは何れタイトル戦で戦うことになる」。

このような思いは、大山康晴十五世名人が中原誠十六世名人に、中原誠十六世名人が谷川浩司九段に対して、同様に感じていたことなのだろう。

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明後日のA級順位戦一斉対局では、羽生善治二冠-谷川浩司九段戦が行われる。

羽生二冠が勝てば名人挑戦決定、谷川九段が勝てばプレーオフの可能性が残る。

棋士別成績一覧によると、羽生-谷川戦は2年振りに行われる。

2005年以降、対戦成績は、羽生二冠の13勝1敗。