橋本崇載八段が2006年に将棋ペンクラブ大賞一般部門佳作を受賞した自戦記。
観る将棋ファンが増えてきている現在、当時よりも更に高く評価されても良い作品だと思う。
週刊将棋2005年10月19日号・26日号、橋本崇載五段(当時)の自戦記「週将アマプロ平手五段戦第2局 橋本崇載-天野高志」より。
〔上〕 親友と弟分と魅力的な街
「ねぇねぇ、○○ちゃんてさぁなにげハッシーのこと気に入ってるっぽくない?」
「やっぱり? オレもそう思う。モテる男はツライよ、なんちゃってね。アハハハ」
対局前夜、私は仲の良い佐々木慎と酒を飲みながら、共通の女友達の話などをして盛り上がっていた。
佐々木慎は昔からの親友である。幼いころ海外で育った彼は、整った顔、スラリと伸びた背、ワイルドな髪型、ピアス。どうみたって棋士には見えない。だから気が合うんだと思うし、何でも話せるんだと思う。
午前3時を回ったころ、私はふと思い出したように彼に聞いた。
「明日さぁ、アマチュアの人と将棋をやるんだけれど、どれぐらい強いのかなぁ? なんか未知数すぎて怖いんだけれど・・・」
私が彼に将棋の話をするのは珍しい。
「オレもよく分かんないけど・・・。まぁハッシーなら普通に指せば楽勝じゃん」
「そっか、そうだよね」
私は少し安心した。自分の実力を評価してもらうのは、どんなときでもうれしいものである。
「話戻るけどさぁ、マコトだって、絶対××ちゃんに気に入られてるべ」
「そんなことあるよ―。ハハハ」
「アハハハ」
楽しい時間は過ぎていく。じゃあ、またねと言って彼と別れたのは、外も明るくなってきたころだった。
***
目覚ましの音が鳴る。
あーもう、うっせえーなー、もうちょっと寝たいんだよと文句を言うも、もう昼前なので起きるしかない(編集部注・対局開始は午後1時)。だいたいこんな時間までだらだら寝てられるのは棋士ぐらいしかないだろう。
よっこらしょとベッドから起きあがると軽い眩暈がして倒れそうになる。あれっ昨日そんなに飲んだかなぁ? ビール3杯にワインが2本でしょ、焼酎ロックが5杯で仕上げにまたビール。結構飲んだか。まあ二日酔いも体調悪いのもいつものことだし、飲まなきゃもっと体調悪いんだよね。
とりあえず吐いてくるかとトイレに行きシャワーを浴びて、冷蔵庫から野菜ジュースを取り出して一気に飲み干した。体調は悪いけど何だかいい気分。昨日が楽しい酒だったからだろう。
私はお気に入りのピンクのシャツとロザリオのネックレスを身につけて、鼻歌まじりに部屋を出た。
***
時間が早いので大好きな歌舞伎町をのんびりと歩く。男と女の欲望にあふれた魅力的な街。勝ちたかった勝負に負け、悔しさのあまり家に帰ることができずに何度ここへ足を運んだかわからない。
ただ昼間は人通りも少なく、静かな街である。このギャップがまたいい。
そして私はポツンと目立たない場所にある喫茶店に入り、エスプレッソを注文した。
今日の作戦を考えようと思ったが、隣に座っているホストとキャバ嬢の会話がうるさくて集中できなかった。うぜーな、こいつら生きてて悩みとかあんのかなーと思いながら、運ばれてきたエスプレッソをすすり、十数分で飲み終えると仕方なく店を出た。
もう少しゆっくりいたかったなと少し憂鬱な気分になったが、気を取り直しタクシーで千駄ヶ谷へと向かう。鳩森神社の前で降りて将棋の神様にあいさつをし、いつも通りの道順で将棋会館の門をくぐった。
絶対勝つんだという闘志を胸に秘めて。
***
シンと強さを感じる
「天野です。よろしくお願いします」
私の待つ対局室に天野さんは丁寧にあいさつをして入ってこられた。私もペコリと頭を下げて駒箱を開けた。
外見ではお医者さんか、学者さんかと思ったのだが、そうではないらしい。物静かではあるが、キリッとしまった口元にシンの強さを感じる方である。
(中略)
大作戦勝ちに
▲1五歩が大事な一手。後手は銀冠に囲っても、将来桂交換から▲1六桂と打って攻める筋がありまずい。
玉が囲えなくなった後手は△4四歩から△4二飛としてきた。これに対してはしっかりと読みを入れて▲4七銀と上がり、さあ△4五歩と突いてこいやと思っていると、天野さんは苦笑しながら△5一玉(3図)と寄った。これではひどい。序盤の指し手に全く関連性がない。3図の大作戦勝ちの局面を前にして、私はある思いが頭をよぎった。
「なぜ、亮介は負けたのだろう」
亮介のバカたれが
中村亮介は私の弟分である。彼と出会ったのは私が奨励会三段、彼がまだ級位者のころだっただろうか。何となく自分と似た雰囲気を持っていて気になっていた。
彼が三段になってからよく遊ぶようになった。まだ修行中の身の子を遊びに連れていくのには抵抗もあったが、彼ほどの才能があれば大丈夫だろうと思っていた。
「橋本先生は本当に尊敬してるっす。自分も早く出世して橋本先生にご馳走できるように頑張るっす」
その言葉通り、彼は四段になってくれた。その日は私も我がことのように喜び、対局前日なのも忘れて朝まで飲み明かしたのを覚えている。
***
「今度、アマプロ戦に出るっすよ」
彼からこのアマプロ戦の話を聞いたのは4月ごろだっただろうか。
「だって対局料ももらえるし、だいたい自分がアマチュアに負けるはずないっすよ」
そうか、まあ油断するなよとだけ彼に言い、まさか亮介が負けることはないだろうと思っていたのだが、ある日亮介が負けたことを知って呆然としてしまった。
「亮介のバカたれが・・・」
このとき私に”敵討ち”という言葉が頭に浮かんできた。
4図の局面を迎えた。依然として優勢だが、ここで私はとんでもないことに気づいてしまう。
(次週に続く)
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佐々木慎五段、中村亮介五段のキャラクターが活き活きと描かれている。
橋本崇載七段と佐々木慎五段は、四段昇段が同期でもある。
中村亮介五段の「自分も早く出世して橋本先生にご馳走できるように頑張るっす」などは泣かせる言葉だ。
「亮介のバカたれが・・・」も最高にいい。