将棋マガジン1988年1月号、「インタビュールーム’88 第1回 大山康晴十五世名人」より。
そして、その現役50年、Aクラス40年を振り返った時、十五世は言う。
「何といっても、升田さんに尽きる」
「升田さんとは、昭和10年から数年間、木見先生の家で一緒に寝起きし、そして戦後は二人が軸になってセリ合い、それが昭和40年近くまで続いたわけだから―。その中で一番印象に残っている将棋は、名人戦で負けて、名人位から落ちた一戦ですね。こっちが名人になったとか、名人位を取ったのは、それほどじゃあない」。
喜びよりも悔しさ、”忍”の十五世ならではだ。一時の敗北に屈せず、その悔しさをバネにする。勝ったからといって浮かれない。
「167局戦ったが、升田さんと指している時が、一番おもしろかった。相手にとって不足なし。常に一生懸命戦ったもんですよ。対局中はお互い無言。周囲の人に対しても、必要最小限のことしかしゃべらない。思いを、感情を、グッと胸のうちに秘め、死力を尽くした。そういった相手に恵まれたというのは、幸せなことですよね。勝っても負けてもやりがいがあった」
大山の眼前には常に升田がいて、升田の眼前には常に大山がいた、のである。
(中略)
「ほかの人とやる時は、どこかで何とかなるし、何とか勝てるだろう、という安易感がありましたね」。
一番強い二人がシノギを削り合い、技を磨き合うのだから、他が追随できぬわけだ。
「本当の意味でのライバル。こうした関係は他の世界でもないでしょう。それが中原さんとなると―可愛い坊やですよ。そんな一生懸命になれない。歳が24も違えば、どうしてもそうなりますよ」と、笑う十五世だが、言外に私達の将棋は”鍛え”が違う、と言っているようでもある。
その鍛えの入った目に、”七大タイトルを七人で”という現棋界の勢力分布は、どう映っているのだろうか。
「本当に強い人、ズバ抜けた人がいない。ということですよ。ドングリの背比べ(笑)」と手厳しい。いずれ誰かがまとめて、少なくとも三つや四つは取る時期が来なくてはいけない。それが本来の姿だという。
「皆んなで仲良く分け合って(笑)、というもんじゃないでしょ。今タイトル持ってる若い人達には、より一層努力してもらいたいと思いますね」と期待する一方、若い世代の将棋を評して”荒っぽい”とズバリ。
「あんな荒っぽい将棋で、いつまでも続くとは思えない。勢いで指している感じで、その勢いが落ちたらすぐダメになるんじゃないかな、というような」。
だから、今はその勢いに押され気味の、中原米長も、十分に巻き返しは可能、と十五世は見ている。
総合的な最近の傾向は、皆んな”攻め将棋” これを”ヨーイドン!”で競争するような将棋、と形容する。なかなか言い得て妙だ。
「両方がヨーイドンだから、速い者勝ち、になるのでね。じっくり腰を落として、というような人が出てくれば、そう易々と勝てるもんではないし―。そのあたりを今の若い人には期待したいですね」。
こうした”ヨードン将棋”は、持ち時間が短くなったため、時代の流れ、豊富なデータのお蔭で研究が進んだ、などの理由によると、分析しながらも、それだけでは”アマチュアの将棋”、じっと耐えることができる将棋の実力を身につけて欲しい、と十五世は望む。
さらに、自身の経験を顧みて「トップの座を持続しようと思えば、ヨーイドンでは続かない」と言う。
「それ以下の立場ならヨーイドンでもいいんですけど、”一番”ということになると、受け止めてハネ返す、横綱相撲のような感じの棋風にしないとダメなんですよ。
私自身、世間で”受け将棋”と言われ出したのは、名人になってからですよ。なるまでは、そうじゃなかった。どちらかと言うと、ヨーイドンのほうでしたよ(笑)。それがトップに立ってからは、これじゃあ続かない、という気持ちが強くなったためにね。だから”受け”じゃなくて、”慎重な”ということですよね」。
トップになるだけではダメ。トップをどれだけ長く保ち得るか。続ける、ということを価値あり、とするのが、十五世の勝負哲学であり、人生哲学でもある。
(中略)
戦法的には、現役でいる限り振り飛車を続ける、と宣言。
一時の振り飛車ブームが下火になったことについては「結局、下手な、ということと、負ける、ということで、やめちゃうんでしょ(笑)。何でも指して指せないわけじゃないもんね。工夫が足りないだけですよ。そんなに振り飛車がダメなもんでもないですよ」と、サラリ。世の振り飛車党にとっては、力強い励ましの言葉だ。
そこで十五世のワンポイント・レッスン。
「振り飛車は自分の方から動くのではなく、相手が動いてきた時の捌き、反撃を狙う。王様を右へ持っていくから、左側に遊び駒を作らないよう努めるのがコツ。難敵の左美濃や、居飛車穴熊に対しては、動き過ぎるのが一番いけない。相手が動いてこないから、どうしても動きたくなるのだが、動くとやはり無理が生じる」。
(以下略)
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居飛車穴熊や左美濃を打ち破るために考え出されたのが「藤井システム」。
居飛車穴熊に組ませないための「ゴキゲン中飛車」や「早石田」。
居飛車対振り飛車はこのような変遷を経て現在に至るが、大山十五世名人は、居飛車穴熊に対しても、普通の振り飛車で対抗して勝っていた。
石田流しか指さない私だが、棋王戦第4局を見て以来、升田式石田流を指せなくなってしまっている。
郷田九段(当時)が指した手順が、升田式石田流殺しの決定版のように思えたからだ。
あれをやられては、升田式石田流で良くなるのは難しい。
この大山十五世名人のインタビューを改めて読んでみて、私も”昭和の振り飛車”党に戻ってみようかと考えている。
事実、将棋倶楽部24で、大野流三間飛車を何局か試してみたが、連勝を続けている。
あまりに古い指し方で、最近の本には対策が載っていないので、アマチュア同士であれば、非常に有効な手段かもしれない。
大野流三間飛車は、私にとっての憧れの戦法だ。
もっとも、大野流三間飛車は20世紀の頃いつも指していた戦法なので、私の芸域が広がったわけでは決してない…
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大野源一九段、神業の捌きの数々。