将棋マガジン1994年5月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。
タマ「あれ、牛は?」
谷川王将「牛?なんですかそれ」
阿部六段「牛、どこ行った?」
タマ「うん、私も探してんねん」
谷川「???」
阿部「おーい、ウシ」
森内六段「あ、はい」
阿部「どこ行っとったんや。ほれ、行くで」
森内「はあ」
(森内六段は、その食べっぷりの良さから、一部で牛と呼ばれており、森内六段の食べ方を牛食いと言われております)
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「牛?なんですかそれ?」、「???」、「あ、はい」
この3年後に十七世名人となる谷川浩司王将(当時)と、13年後に十八世名人となる森内俊之六段(当時)が交錯する感動的な一瞬。
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森内俊之名人は若い頃「ウシ」と呼ばれていたが、理由は食べっぷりから来ているものではなかった。
2年前のブログ記事で載せているが、今日の話に大きく関連してくるので、再び取り上げてみたい。
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近代将棋1998年11月号、中井広恵女流五段(当時)の「棋士たちのトレンディドラマ」より。
関西の鹿野圭生女流初段もオメデタで、来年1月に出産予定だそう。
あんなに吸っていたタバコも、子供が出来るとわかったとたんに、ピタッと止めたというので、皆一様に驚いている。
森内八段が大阪へ行った時、阿部七段と一緒に鹿野さんの家へ電話して、いつものように麻雀に誘った。
「鹿野さんの様子がいつもと違っていたから冗談で『子供でも出来たんとちゃう?』って聞いたら、あっさり『うん、うん』って返事が返ってきたから『こんな雀荘の空気の悪い所にいたらアカン』て、すぐ解散したわ」
と、阿部七段。
後日、鹿野さんに電話したところ。
「あの日はちょうど、うしの日だったんよ。うしの日にウシから誘われて、行かんわけにはイカンやろう」
森内八段は、なぜか仲間うちで”ウシ”と呼ばれている。
「いつものように徹夜するもんだと思って、ダンナ様にもそう言って気合い入れて行ったのに、妊娠してるって言った瞬間に解散なんやもん」
「だから私も言っといたよ。『妊婦は運動もできないし、室内競技しかできないんだから、誘ってあげた方がいいんだよ』って」
「よく言ってくれた!」
でも、徹夜はどうかと思うが……。私の性格に似た男の子ならいいが、私に似た女の子だけは困るという姉御。元気な赤ちゃんを産んでね。
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近代将棋1998年5月号、故・池崎和記さんの「普段着の棋士たち 関西編」より。
千駄ヶ谷の将棋会館で全日本プロの藤井-森内(準々決勝)を取材。
(中略)
全日本プロは森内さんが勝った。百七十手を越す熱戦で、双方秒読みが六十手以上続いた。午後七時前に決着して感想戦が約二時間。
私は翌日、大阪で竜王戦の観戦があるが、もう最終の新幹線には間に合わない。連盟の宿泊室が満杯だったので、新宿で遊んで翌朝、のぞみで帰ることにした。それまで時間はたっぷりあるので千駄ヶ谷で森内さんと遅まきながらの夕食。女流の鹿野さんが対局で来ていたので彼女も誘った。
鹿野さんは森内さんのことを、ウシという。昔からそうだ。森内さんは食欲が旺盛で、ウシみたいによく食べるから、と私は(鹿野さんも)理解していたが、森内さんに聞くと由来は全然違うらしい。
森内「昔、トランプでひどい手をやったんです。それでウシみたいな手だと言われて……」
鹿野「変だなァ。大阪ではそういうの、ブタみたいな手、といいますけどね」
鹿野さんの言うとおりだ。もしかして”ウシ”というのは千駄ヶ谷用語なのかもしれないが、いずれにしても本物のウシさんとブタさんにとっては、失敬な話である。
(以下略)
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カードゲームをやったおかげで、長い間の渾名がついてしまった棋士は他にもいる。
中田宏樹八段の「デビル」。