泉正樹六段(当時)「続・さわらぬ彼に不満あり 完結編」

将棋世界1994年5月号、泉正樹六段(当時)の「後手必勝 急戦矢倉」より。

 お酒に浸っていると時の経過は本当に早い。グッタリの彼女では、カラオケや夜の散歩などとても不可能。

 そこで、きりなく飲める野獣も冷静な判断でタクシーを捕まえた(クイズの正解は3番)。

 勢いよく乗り込むと、気分は一新というか目が覚めた。考えてみれば、このコースを最初から念願していたのだ。

 相手はこちらの狙い筋に文字通りはまってきたぞ!しめしめ?なんて”にやけ顔”でこの後の指し手を検討していると彼女は、私にもたれたままの”ムナャムナャ語”で、「バカ者め。あたしそんな簡単女じゃないわよ、ヘエッヘエッ」ですと。

 小心者の私は彼女の寝言に悩まされ、ひしひしと緊張の糸に包まれてゆく。彼女はそんな私の感情を一部始終見届けているようで、「こんな楽しい気分てないわネ。さて、これからどうなりますことやら」と男心をくすぐると、突然、パッと目を見開いて今度は、「これでUターンじゃ可愛そう。さあ、どうする」なんて恋愛ものの女優さながらの演技を醸し出すのであった。

 もてあそばれていようがいまいが、ここで”送り狼”にならなきゃ男がすたる。

 運賃精算の際、五千円札でカッコ良く「つりは結構」のポーズをとったが、運転手さんはあたかも私の苦戦を予想してか一言、「無茶攻めするな」と心配の仕草。

 それと同時に、「新渡戸稲造」さんも哀れな男を見透かして別れを惜しんでいるようであった。

 車からおりて彼女の部屋へ入るまで、心の中は揺れ動き、まるで薄氷の上を歩いているような心細さに苛まれた。

 自問自答を繰り返していると、彼女はなぜかナベを取り出し、「お酒飲んだ後って温かいものが欲しくなるのよネー、なんでかナ~」と私に対して御意見伺い。

 正直いって私にはどうでもいい問題であったが、なんらかの解答を示さなくては場がしらける。「そうそう、こういうときは、カラ~イ オロチョンラーメンなんか最高なんだよネ」。当然の答えを返したはずだが、彼女はすぐさま「泉ちゃんて本当に真面目なのネ」と言いながら肩を落とした。

 スープを飲みながら彼女は「どうも最近肩が凝るのよネー」なんて言うもんだから、ハイそうですかとばかり「よし、僕がもんであげよう」と点数を稼ぐべく”終盤のマッサージ師”を買って出た。

 もみ始めると、たしかに彼女の肩は凝っていて、なんだかやけに良い行いをしている錯覚に陥った。ただ、これとは裏腹に心の片隅で、「俺は一体全体どこをもんでいるんだ。ガオー」といった焦りも騒ぎ出すから頭の中は支離滅裂。

 彼女は心地よさそうに「ウッアア~」と極楽の極致に浸っていたが、数分後に「もういいわ、ワインでも飲もうか」と急に意気軒昂を装い私の手を振りほどいた。

 部屋に侵入したはいいが、当初の目論見である詰み筋はなかなか発見できず、相手の言いなり状態を継続中。やがて、ワインは体内を猛スピードで駆けずり回り、吐き気をもよおしたから最悪。白眼をむいてヨタリながらトイレに辿り着くと、きれいさっぱり怒とうのごとく胃物をうめきながら吐き出すのであった。

 うがいをしてドアをひらくと、そこには、それはそれは恐ろしい顔の彼女が突っ立っていた。心配してもらえるかとの甘い期待も一刀両断、「だらしない!もう完璧にぶち壊し、帰ってよ!!」と怒り爆発。

 真っ逆さまに奈落の底に転落した私は背中を丸めてトボトボ歩き出すよりなかった。帰路、情けないやら悲しいやらで自身の風采を罵ったが、疲れとアホらしさで意外と早く気を取り直し、この屈辱を明日への活力に転換していけばいいと思った。そして、「もう馬鹿はやめた」と叫ぶと、「三国志」に登場する呂布の剛毅を想い浮かべ、彼女をあっさりあきらめた。

 数日後、この失敗談をマリオ先輩(武者野六段)に話すと、頭に手をやり髪を掻き毟りながら、まるで自分のことのように嘆き、「まっちゃくもう。部屋入って肩もんで、オエオエ吐いて帰って来るとは何たる能なし。だいたいがダナー他にももむ所が山ほどあるだろうが」。さらに私が呑気そうな顔をしていると、続けざまに「あのね泉ちゃん、女というものはアレコレしてなんて言えない性質のものなんだよ。だからさ、男の方が色々と気をくばり、チョッカイをかけてあげて戯れることが必要なんだわな」と持ち前のマリオ節で達人の域を得々と語るのだった。

 私は相手に誠意を尽くしているつもりだったが、実はとんでもない大ぼけを繰り返していたのだろうか。 女性というものをもっと様々な角度から研究しなくてはの思いから、鈴木先輩(輝彦七段)にも講義をお願いした。すると先輩はいつもと変わらぬ口調で、「男と女というのは所詮縁で結ばれるものでね。一方がよくても相手の意向もあることだから、そう簡単に事が運ぶ訳はないよネ。だから焦ることはないし、自分の心に忠実に生きていけばいいんじゃないの」と勇気づけてくれるのだった。

 親しくしているファンの方々にも色々と教えを頂いている。人生の先輩とは本当にありがたいもの。やはり人間は一人では生きられない。

 ともあれ、失敗の数はハチの巣状態だが、くじけるものか。もしかすると、次の列車はもうそこまで来ているかもしれない。三十路を過ぎて同士の方々。頑張りましょう。

—–

本当に相性が良く「縁」がある女性だったなら、トイレで吐いてしまっても破局にまでは至らなかっただろう。

あるいは、泉六段(当時)が「あの日はゴメン」と言って後日修復をはかったなら想いは成就できていたかもしれないが、泉六段がそうしなかったのも縁の無さ。

短期的・戦術的には武者野六段(当時)のアドバイスが、中長期的・戦略的には鈴木七段(当時)のアドバイスが的を得ていると思う。

—–

1994年、泉七段は、女性に対する将棋普及を目的に「美女と野獣の会」という無料将棋教室を立ち上げる(2000年頃まで数ヵ月に一度開催)。

この会は、将棋イベントに来ていた複数の女性の「将棋を指したいけど道場は女性が入りづらい雰囲気で・・・」という声を聞いた泉七段が「僕に任せろ」と言って始まった教室。

純粋に将棋普及を目的とした会だったが、結果的に、泉七段は、この会のメンバーの一人の女性と結婚をすることになる。

当時の奥菜恵さんに似た雰囲気の美人女医。

皆が祝福した。

泉正樹七段の「美女と野獣の会」