石田和雄八段(当時)らしさ満開

将棋世界1991年3月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時・・・in 大阪」より。 

 夕食休憩時の棋士室。歳をとったせいだろうか。名前も知らない奨励会員が増えてきた。

 「キミは何ちゅう名や?」

 「ハイ、◯◯です」

 「そうか、頑張りや」

 そう言って、次に会った時はもう忘れている。印象に残るような子供が減ったからかもしれない。(有森とか村山などは一回見たら一生忘れられんような気がした)。

 そんな子供達にまじって石田八段がテレビを見ている。私が近づくと、「やあ、アータはいつも幸せそうですなあ」

 「先生も幸せで?」

 「いやいや、アタシはダメですよダメ。今日も湾岸危機で株はダメだし。上がったと思えばすぐ下がる。棋士はたくさん株をやってる人がいますけどね、幸せな人はいないですよ。まあ、こんな事で一喜一憂しているのはダメなんだけど」

 「そんなダメな事ばっかりじゃないでしょう。今日は大きい一番やってるじゃないですか」

 「いやいや、でもね、田中さんはまだ完全に体が治っていないみたいでやりにくいですよ。勝っても負けてもバツが悪くてね」

 しゃがれた声でボヤく石田八段。やはりこの先生はこうでなくてはいけない。

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将棋世界1991年4月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時・・・in 大阪」より。 

 某月某日、関西将棋会館。大阪へ遠征して来た石田八段、どうも隣の対局が気になるようで、自分の対局をそっちのけに隣の将棋を見ている。そのうち席を立って対局者の後ろで考え出した。仮に隣の対局者がN六段としよう。そのN六段の後に立って、タバコをはすかいにくわえ、体を前後に振りながら考えるのである。若手のNも後から見られているのは気になるはず。顔を後に向けると、前後に動く石田八段がいる。想像していただければわかるだろうが、結構不気味である。

 しかし、大の石田先生に自分の将棋を一緒になって考えてもらっているのだからと、Nは気づかないふりで盤上へ。その瞬間である。いきなり後から肩の辺りをバンバンとはたく音がした。驚いたNが振り向くと、そこには長時間吸っていたタバコの灰をNの肩に落として慌てて払う石田の姿があった。

 「いやいや灰がね」とバンバン・・・。やはりこの先生は並みのキャラクターではない。

(以下略)

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石田和雄九段の誰からも愛されるキャラクター。

石田和雄九段は、1990年代後半に『平成教育委員会』などの民放の番組に出演したことがあったが、今の時代、テレビのバラエティ番組に出演すれば絶対に人気が出ると思う。