将棋世界1991年3月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時・・・in 東京」より。
6時になると米長先生まで現れて、「中原先生と飲むと遅くなるから」なんて、微妙な手渡しをしている。
「どうしようかと思っているんですけど」と名人が言ったが、結局3人で新宿に出た。
この店に後から羽生、先崎、森内の3人が偶然来て吃驚した。これがめぐり合わせと言うものかもしれない。
もう一軒という事で6人でスナックに行く。
今日も遅くなりそうだ。こうして棋士の一年はまた始まった。
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将棋世界1991年4月号、島朗七段(当時)の第16期棋王戦〔南芳一棋王-羽生善治挑戦者〕第1局観戦記「一手多く読むということ」より。
翌日、私は東京に戻った。羽生くんは今日もTVの対局らしい。
忙しくて大変だ、と新幹線の中で考えていると、夜自宅に電話がかかかってきた。
森内くんからだった。「TVの将棋が終わりました。これから羽生くんと中田(宏)さんと遊びにいきますので」
若いとは疲れないことらしい。
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1991年当時、羽生善治三冠と森内俊之名人は一緒に遊ぶことが多かったことがわかる。
二人とも20歳。
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当時のタイトル・段位でいえば、中原誠名人・米長邦雄王将・鈴木輝彦七段・羽生善治前竜王・森内俊之五段・先崎学五段の6人の飲み会。
二次会で行ったスナックは、中原名人も米長王将も行きつけだった新宿二丁目の「あり」であった可能性が高い。
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島朗七段(当時)の家へ、羽生前竜王、森内五段、中田宏樹五段が遊びに向かったのは、モノポリーが目的であったと考えられる。
結婚してから1年ほど経っているとはいえ、新婚の島家へ遊びに行くのだから、なかなか大胆な森内五段の電話だ。
森内五段は、やはり新婚だった植山悦行・中井広恵夫妻の家にも何度も遊び(泊まり)に行っているので、このへんは森内定跡なのかもしれない。