「陣屋」女将、紫藤邦子さんのエッセイ

将棋世界1991年5月号、「陣屋」女将の紫藤邦子さんのエッセイ「ふくまんの宿」より。

 本年は

  鶴巻に「ふくまんの宿」あり

と米長先生の下さった年賀状に、気を良くしたお正月でした。

 私と将棋の対局との歴史は、大山名人に始まり、ずっと続いているのです。陣屋事件が起きたのは、私が子供の頃でしたから、升田先生とは一度もお話をした事がありません。たった一度だけ、対局室を歩きまわるお姿を庭から拝見したのですが、使ったチリ紙を部屋中に捨てながら、行ったり来たりの袴姿が、あまりに強烈な印象でしたので、陣屋事件をお客様と語る時はいつも、あの升田先生なのです。

 当時、知られざる一旅館の名が全国に知れ渡り、30年以上たった今でも客室では、其の真相をめぐって話に花が咲くのが有り難く、升田先生には心の中でお礼申し上げております。お目にかかってしまうと、陣屋事件がなくなってしまいそうに思えるのです。

 母について対局のお手伝いを始めた頃は、いつも大山名人の対局でした。対局といえば上座に大山名人。名人が総て決めて指示をなさり、名人の体力と食欲にあわせて、私達も働きました。名人の方が指し手が早いのですから追いかけて行くしかありません。なにしろものすごい食欲で、なるべく寝ない人(かた)というイメージでした。調理長もびっくりする量でしたが「もう駄目だ、苦しい苦しい」とおっしゃりながら皆様、良く召し上がりましたヨ。私達もほとんど寝てはいけないのが対局でした。あの猛烈な名人の教育があって、この私なのです。大山名人にはこの度、文化功労者に顕彰されましたこと、ほんとうにおめでとうございます。

 陣屋のロビーに、対局の度に戴いている色紙を飾る壁面があります。書き初めの会で来館された書道の先生が、ちらっとご覧になって「何と、下手くそな字ばかりだ!」と大声でおっしゃったのが傑作でした。書家が見ればそうなのでしょうか。私達にとって、毎日拝見しても飽きない作品ばかりなのですが。色紙は先生方の個性の強さ、そのままなのです。この個性軍団がとても良い人間関係で、対局が行われる。不思議に思えます。対局者の個性中心により良い戦いが出来る環境が、つくり出されます。対局者のご人徳もあり、多勢の人達が目立たない心遣いをなさるからなのでしょう。

 同じ館内で今、対局中ということはお客様にとって意外性のある感動のようです。「女将、大変でしょう」と言って戴くのですが、私は将棋のことがわからないのですから観察により情勢をよみとるほかありません。でも、よめるはずもありません。苦しそうに見える方が勝ったりなさるのですから。もっともわかってしまうと、苦しんでいる方の先生に対して精神的に疲れがひどく、お見送りをするまで身がもたないかもしれません。両先生に茶柱をたてる方法はないかなどと考える余裕がほしいのです。戦術家の皆様が陣屋を良い人間関係の一員として、上手に扱って下さるのですから、私にとってとても居心地の良い職場なのです。

 ところが最近、十代・二十代の対局者が多くなって、少しとまどっております。対局室は確かにすごい男の戦場なのですが、お世話したいと思っても個室の鍵がかかってしまう。もっと我儘をおっしゃってほしいとお願いしても「どうもすみません」とかえって気を遣われてしまう。親子程の年の差があるのですから、先生方もやりにくいのでしょう。うざったがられないように、「ふくまん」になれますようにと思います。

 25年以上の間に、思い出やエピソードが沢山あって、書き留めておけばよかったのですが・・・。中原先生と加藤一二三先生の対局だったと思います。「にんにくを焼いて食べたらうまそうだ」ということになって、コロコロ焼いては全員が山盛り召し上がってしまいました。さあ対局室もトイレも臭くて臭くて水屋にまで流れ込んで来るのですから、私達だけが息を吸えなくて死にかけました。

 少しタイミング遅れに笑ったり驚いたりなさるのが楽しかった中原先生が、そうでなくなった経過と、すっかりあく抜きが済んで、すがすがしい感動を与えた米長先生、其の理由。谷川先生に意外な変化が起きるのが待ち遠しい等、楽しみが多くて退屈致しません。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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紫藤邦子さんは現在の(株)陣屋取締役社長で大女将。

宮崎駿監督の従兄妹にもあたり、映画「千と千尋の神隠し」の「湯婆婆」のモデルとなったとも言われている。

対局場となる旅館の女将のエッセイは数少なく、非常に貴重だ。

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使ったチリ紙を部屋中に捨てながら、行ったり来たりの升田幸三九段(当時)。

昼食休憩中のことだったのだろう。文字にしただけでも相当な迫力だ。

猛烈に読んでいる雰囲気が伝わってくる。

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山口瞳さんの「『血涙十番勝負』では、「熱いものは熱いうちにどうぞ」と仲居さんが言う前に熱いものを食べ始めている大山康晴名人(当時)の様子が描かれている。

対局後の宴席での大山名人はせっかちだった。

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ニンニクは焼くとほくほくして匂いもせず美味しいと言われている。

しかし、大勢の人が焼きニンニクを食べてしまうと、食べていない人からすれば、ここで書かれているような惨劇になってしまうのかもしれない。

中原誠名人も加藤一二三九段も焼きニンニク。

ふと思ったことだが、タイトル戦一日目の朝食、二日目の朝食に大量のニンニクを対局者の一方が食べたとしたら、相当強力な盤外戦術になるのではないだろうか。