稽古名人

将棋世界1991年5月号、内藤國雄九段のエッセイ「名人」より。

 ところで、強いとか弱いとかいう言葉の意味は勝負事の場合ははっきりしている。勝つことが強く、負けることが弱いのである。

 しかし、これが勝負事以外に使われると、意味をどっちにとったらいいのか迷う場合も生じてくる。

 一般に”強い”のほうは、優れている、上手い、価値がある、といったプラスの意味合いを持ち、”弱い”のほうは、その逆のマイナスの意味合いを持たせていることは分かる。

 たとえば、味覚に強いと言った場合、味に敏感、味に対する識別力を持っているということだろうし、経済に強いというのは資金が十分にあるとか、損得計算に聡いといった意味合いで使われいると考えていいだろう。

 一方、風邪に強いとか、誘惑に強いという場合は、ウィルス菌とか、誘惑物にたいして敏感ではなく逆に鈍感であること、抵抗力があるという意味で用いられている―ということは感じでつかめる。しかし「借金に強い」とか演歌に出てくる「女に弱い」などは、はてどういう意味か、と一瞬とまどう。そして、この場合は強いは弱いということであり、弱いは強いということだろうか、などと考えてわけが分からなくなってしまう。

 タバコに強いという表現は、ヘビースモーカーのことかと思ったら、そうではなくタバコを簡単にやめられる人のことだと若い人がいった。

 酒豪を意味した「酒が強い」も今に意味が180度逆転してしまうのかも知れない。すでに、若い人と意味が一致しなくなっている言葉でもって、そうと気づかずに喋っているのかと思うと、酒の味もまずくなっていけない。

    

 「酒をたくさん飲んでも酔わない人のことを酒に強いというが、それは間違っている。少量の酒で見事に酔っ払う人は酒に弱いというべきではなく、酒の達人というべきである。酒の名人ともなると、お銚子を見ただけで酔い、コロッと横になって寝てしまう。永年、血のにじむような酒の修行を積んではじめてその域に達することができるのである。云々」

 こんな話を聞いたことがある。どこまで本気で聞いていいのか分からないが、なかなか味のある話である。

 音楽でもクラシックファンは音が流れだすやいなや直ちに恍惚とした表情になる。それは丁度匂いだけで酔いしれる酒の達人と同じ風だ。

 クラシックといえば、若い頃そのマニアにつれられて梅田近辺のクラシック喫茶店へ行ったことがある。そこでは皆がただ静かに陶然として音楽に聞き入っていた。私はいつのまにか詰将棋の創作にふけっていて、音楽のことは念頭から消えていた。それ以来クラシック喫茶には行っていない。

 一つの道をたしなむということは、それに酔うことを学ぶ、酔えるようになるということなのだろうか。一献傾けるやたちまち相好あいくずれ、談論風発するという人が、ありがたいことに棋界にもいる。

 原田泰夫九段であるが、この先輩と同席するといつも”酒品”の良さに感心し、ひいては我が身の酒に反省させられる。私の修行はどこかで筋を違えたようだ。将棋では初段のことを入品というが、どうも私の酒は達人はおろか入品の域にも達していないと思えるのである。

 稽古名人という言葉のあることを、私は師匠から教わった。

 名人というのは単に強いだけでは足りない。

 それ以上のものがなければならない。

 若いころ、いわゆる代稽古ということで師匠にかわって稽古先へ行くこともあった。

 そこで、私としては普通に指しているつもりなのだが、傍からみるとむきになって初級の人達をコテンパンにやっつけているように見えたらしい。そういう噂が師匠の耳にとどいた。

 「あのなぁ、稽古将棋というもんは勝てばいいというもんではない。相手はんの自信というものも考えてあげないかん。負けてやれというのではない。それではかえって失礼や。相手がなにを望んでいるか、それを読んで実現させたげる。もてるだけの力を発揮させたげるんや。それで自信をつけて上達しはる。素人はん相手に意地悪な手を指してはいかん」こう、やんわりと師匠にたしなめられた。

 道場にくるお客と稽古将棋をしたとき、師匠は相手をホメることを忘れなかった。

 緩い手を指す人には、「含みのある手をよう指しはる」。力の弱い人には「あんたの将棋は筋がいい」。筋の悪い人には「力があるからすぐ強なる」。

 ある日、この人の将棋だけはホメようがないだろうと思って見ていたら、

 「あなたの将棋は銀の出足がいい」これには感心した。

(中略)

 昔の棋士がそれぞれ独特の人間味を持ち、表現が豊かなのも、アマとの稽古将棋を大切にしていたことに関係があるように思う。

 話を戻して、お爺ちゃんが小さな孫を相手に相撲をとり、いい勝負をした末に負けてやる。すると孫は喜んで幾度も挑戦してくる。

 そういう気持ちにさせることが稽古の大切なところなのだろう。

 しかし当時は自分が強くなることしか頭になかったので、師匠の言葉も殆ど意に介さなかった。が、今にしてしみじみ思いかえされるのである。

—–

お銚子を見ただけで酔い、コロッと横になって寝てしまう”酒の名人”。

たしかにコストパフォーマンスは非常に良さそうだが、美女を見ただけでコロッと横になって寝てしまうのと同様、とても勿体ない感じがしてしまう。

もっとも、このように考えてしまうこと自体、名人の域には遥か遠いということなのだろうが・・・

”酒の竜王”というと、酒を限りなく飲みながら火を吐いている光景が思い浮かんでくる。

—–

古来より、筋の良い将棋を指す人は力弱く、剛力の将棋を指す人は筋が悪い、と言われている。

長所の裏返しが短所、短所の裏返しが長所。

稽古の時は「長所の部分」を誉めることが大事ということになる。

小学校の先生が通信簿の連絡欄に、

明るく活発なお子さんです(=騒がしい子)

好奇心が旺盛なお子さんです(=落ち着きがない子)

穏やかなお子さんです(=ボーッとした子)

小さなことには拘らないお子さんです(=いいかげんな子)

意志が強いお子さんです(=頑固な子)

などと書くのと同じ要領だ。

—–

私の場合だが、たしかに、プロ棋士や女流棋士に指導対局を受けると、やりたいことをやらせてくれて、その上で、疾風のごとく斬りつけて来られて、あっという間に気持よく詰まされる、ということが多い。

負けても非常に爽快、というのが指導対局を受けた時の印象だ。

そういう部分にもプロの技を感じる。