団鬼六さんの好きな観戦記、嫌いな観戦記(前編)

近代将棋1994年4月号、団鬼六さんの鬼六将棋面白談義「酔いどれ三流文章論」より。

 拝啓 鈴木輝彦先生

 高輪プリンスホテルで行われた大友昇九段昇段披露パーティーの折は色々とお気遣い有難うございました。

 大友九段と私とは同年輩にて、彼の若年の頃は彼の師、飯塚勘一郎先生に数々のご指南受けたる事もありなどと申すと、俺もオジンになったものや、と慨嘆せざるを得ませんが、とにかく、大友九段とは因縁浅からぬ間柄にて、最近は滅多に横浜から飛び出る事はないのですが、これだけは何をさておき出席したる次第です。

 閉会後、顔馴染の連中達を誘ってその辺の居酒屋で一杯やって引き揚げようかと思ったところ、鈴木先生より、一杯やりませんか、と、声をかけられ、のこのこと後に従ったる所、ホテル1階の豪奢な酒場に案内され、そこでしこたま御馳走になるなど、思ってもみなかった事にて真に恐縮の極みであります。最近は吉野家の酒に馴染んだ故か、このような歓待を受けると、戸惑うものにて、その戸惑いを覆い隠すべく、スコッチやらバーボンやらあれこれ勝手に注文し、意地汚くガブ飲みするなど、今、思い出しても汗顔の至りであります。

 これまで、鈴木輝彦先生とは酒席を共にした事は一度もなかった筈、ほとんど個人的な接触もなかった筈であるのに、どうぞ、遠慮なく召し上がって下さい、などと、かかる歓待を受けてほんとうにいいやら。鈴木先生の何人かの取巻き連中の中に加わって、大きな顔して一緒に酒を飲んではしゃぎながら、なあに、相手は売れっ子のプロ棋士、観戦記者なんだから、この際、うんとこさ、御馳走になろうじゃないの、と、厚釜しさを発揮したものの心中、不安と気兼ねが交錯しておりました。そんな時、鈴木先生は、ふと私に向かって、「どうすれば、先生みたいに面白い文が書けるのでしょうか」と、何やら真面目な口調になって、何だか、私の卓見を聞かせてほしい、といった調子になられたので面喰らいました。冗談じゃない、売れっ子の観戦記者に何で私ごときが面白い文の書き方など講釈出来るものですか。第一、私は面白い文を意識して書こうと思ったことは一度もありません。ただ自慢するわけではありませんが、私は一方では、変質軟派文学の巨匠などといわれている男でありまして、もし鈴木先生がポルノ作家に転向する声明を出されるとしたならば濃厚な官能描写のコツを御教示出来るかもしれません。

 しかし、私がその時の鈴木先生に一種の感銘を受けましたのは、その酒場における鈴木先生を取り巻く人々、酔っていたのではっきり思い出せませんが、読売の将棋担当記者の小田さんを始め観戦記者が何人かいらっしゃったようで、それらの人々と酔談しながら真摯な態度で、観戦記論的なものを話題にされていた事でした。色々な観戦記者を論評したり、それが一種の文章論に展開したり、鈴木先生の観戦記文に対する並々ならぬ熱意というものを感じて私は感動したのです。鈴木先生はプロ高段棋士ですが、伊達や酔狂で観戦記を書いているんではないという事がはっきりわかるのです。そういえば、今、私がオニの五番勝負でお世話になっている将棋マガジンに鈴木輝彦の連載エッセイが掲載されていて私も愛読させてもらっていますが、それにもしばしば現代観戦記論のようなものが登場します。特に印象に残っているのは去年の11月号でしたか、鈴木輝彦の「枕の将棋学」。加藤治郎名誉九段と今昔の観戦記について語り合ったもので、私はその昔、加藤先生のあのわかりやすくて面白い観戦記のファンでしたので、あれ、非常に楽しかった。鈴木先生は奨励会時代から可愛がってもらっていただけあり、コツがわかっている故か、加藤先生の口から面白い所をうまく引き出していました。

 加藤先生は今はアマチュアの心境になって将棋を楽しんでいると語っておられましたが、もうおいくつになられたのでしょうか。観戦記の性格というものをどうお感じになるか、という鈴木先生の質問に対して、加藤先生の答えられた言葉は私は観戦記として一番、要点をついた感想ではないかと思います。

 一番大切な事は観戦記は面白くなければいけない。読む人を楽しませなければいけないと思う。その一番の要素はユーモアがあると言う事だね。私はそういう観戦記が好きだな。アマチュアとしては。

 まあ、何だかんだとむつかしい観戦記論を並べ立てるより、要約すれば私はこれが一番的を射ているように思われるのです。それに加藤先生の創作したチョンマゲ美濃とか、ガッチャン銀とか、ダンスの歩なんていう駒囲いや、指し手に対するユーモラスな新語が飛び出して来たりして、これがまた、結構、楽しめたものです。

 とにかく、あの日、鈴木先生にあの豪奢なホテルの酒場で御馳走になった時、私は段々と、俺は観戦記論酔談のゲストとして呼ばれたんだな、という思い上がった気持ちになり、何だかんだと勝手な事をしゃべっておればそれだけここに腰が据えられてスコッチのお代わりを頂戴出来る事になるのだとさもしい事を考え、釈迦に説法のような真似を致したのではないかと今、思い出しても赤面の至りです。

 それで、今、改めまして、あの時に御馳走になったお礼がわりと申しては何ですが、私の意見も聞いとくれ、と申すのも失礼ですけれど、私なりにそういう話題に対する感想をちょっくらのべさせて頂きたいと思います。というのはあの時、酔っ払っていて何を自分でしゃべっていたか、覚えていないので、恐らく失礼な事を申し上げたのではないかと今、恐懼している次第なのですが今度は言葉ではなく文にしてやり直して見ようというものであります。

 文にしてと申しましても、ここまでお読み下さいまして、何やら少し、文体の乱れをお感じになりませんか。何やら慇懃無礼な、とお感じになったかも知れませんが、実はこれが口述筆記による文章なのです。将棋雑誌に口述筆記による原稿を送ったというのは近代将棋のこの一篇が初めてで」、つまり、これは一つのテストケースになるわけですが、今、僕の傍には山口和美さんという44歳のベテラン速記者がつめ寄るように座って、僕のしゃべる言葉を何やらアラビア文字みたいなようなものでせかせかと書き写しています。

 次に如何にすればスラスラと面白く書けるか、について、私の意見も聞いとくれ、に入ってみます。

 書くものの題材にもよりますが、いささか、邪道にはなりますけれど私の場合は酒を飲んで少し酔っ払って書くべし、という事になります。もう、お気づきかと思いますが、この口述筆記にしても、最初は妙に神妙な出だしになっていますが、次第にトーンがくずれてきている筈です。つまり、僕はこの口述筆記に入る前に階下の台所から山口さんに、ロングサイズの缶ビール、3本をこっそり上に運ばせ、口述筆記開始と同時に缶ビールの栓を開き、ヨーイ・ドンで飲み始めました。

 ここまで口述した間にロングサイズの缶ビール、1本はすっかり飲み乾しました。つまり、これも一つの臨床実験を行っているようなものでして、飲酒による大脳の乱れが口述筆記にどう反応してくるか、文章の脈絡が吉と出るか、凶と出るか、口述ですから同じような事を二度も三度もくり返していい出せば勿論速記者である山口和美さんが、ワープロで書き直す際にそこをカット、訂正してくれる筈ですが―もうそうなればこれは飲酒口述は失敗であって、仕事は中止しなければなりません。つまりこの場合、自分をほろ酔い加減の状態にしておくというのがコツなので、なんでホロ酔い加減になって原稿を書いた方がええのかといいますと、そら、書くものは穴熊みたいにコチコチの文章だけど、酒に酔わせてしゃべらせれば案外と柔軟でおもしろい事や気のきいた事をいって、一座をわかす観戦記者がよくいるでしょう。あれと同じで、僕は将棋ライターが雑誌に随筆めいたものを書く時はそう気取ったりせずにしゃべりまくるように書いたらどうかと思うんですわ。段々と関西弁になってきましたが、これ、少し酔って来た証拠で、これも実験ですから、今回はこのまま訂正抜きで進行させて頂きます。

(明日に続く)

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団鬼六さんが観戦記への思いを語った貴重なエッセイ。

「観戦記は面白くなければいけない、読む人を楽しませなければいけない、一番の要素はユーモアがあるということ」

これが、団鬼六さんの観戦記への思いだ。

団鬼六さんはベストセラー作家だし、書くエッセイも最高級に面白いのだが、観戦記については”読む側としての将棋ファン”の立場を貫いている。

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将棋ペンクラブを創立したのは河口俊彦七段と東公平さん。

そのきっかけとなったのが、団鬼六さんが「将棋ジャーナル」誌上のアマ・プロ平手戦の最優秀観戦記に賞金30万円を贈るという企画だった。

この時に最優秀賞を獲得したのが河口俊彦六段(当時)と東公平さん。

二人は、賞金を有効活用することとして、将棋ペンクラブの発足へ至った。

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観戦記も、音楽などと同じようにいろいろな形があり、読む側にも様々な好みが存在する。

ジャズが好きな人もいれば演歌が好きな人もいる。

クラシックが最高という人もいればディスコ音楽が最高という人もいる。

要は好みの問題となってしまうので、”あるべき姿”はいくつもあるのかもしれない。

その中での、団鬼六さんの思い。

明日からの中編、後編はもっと踏み込まれたことが書かれている。

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ほろ酔い加減の状態になって、しゃべりまくるように書く。

このブログでもぜひ一度試してみたいが、いつになるかはわからない。