鋭より鈍

今日から行われる竜王戦第4局、一日目のニコニコ生放送の解説は田中寅彦九段(聞き手は鈴木環那女流二段)。→ニコニコ生放送竜王戦第4局(初日)

今日は、田中寅彦九段に迫ってみたい。

将棋世界1992年4月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『栄光』」より。

 「周りからチヤホヤされ騒がれるような『栄光』は、大したものではない」

 田中寅彦(八段・34歳)はつくづくとそう思う。

 1981年、第12回新人王戦優勝、翌82年、第1回早指し新鋭戦優勝。84年、第34回NHK杯戦優勝、また第17回日本将棋連盟杯優勝。さらにA級八段昇段。将棋大賞の数々。

 1986年、第20回早指し戦優勝。88年、第52期棋聖位を獲得。今期A級へカムバック・・・。

 24歳からはじまった棋戦優勝、昇級、降級体験の十年をふり返って、

 「栄光の山と失意の底・・・両方を味わい、くぐり抜けたその先に、本当の『栄光』がある・・・騒がれて舞い上がるようでは人間が甘い。その点、大山康晴、中原誠、谷川浩司・・・あの人たちは『栄光』の何たるかをよく知っていますよ」

 ことばを区切りまた区切り、自分をたしかめるように言う。

 さる1月24日(金)午後10時35分。B級1組順位戦、田中寅彦-小野修一(七段・33歳)戦が終わった。相掛かりの序盤から、中盤で優位に立った田中がそのまま押し切り、123手で小野を降した。

 この時点で田中は8勝2敗の単独トップの位置にいる。残る2局の結果を見ることなくA級復帰決定である。

 「おめでとう」

 「良かったじゃない」

 この夜、やはり順位戦の最終盤をたたかっていた大内延介(九段・50歳)、真部一男(八段・39歳)、森けい二(九段・45歳)、島朗(七段・28歳)らが、田中に声を掛けた。相手の小野も「おめでとうございます」と律儀にあいさつした。

 最悪のコンディションだった。

 10歳、5歳、3歳、1歳・・・田中は四人の子持ちである。昨年12月、次男が入院したのに続き、今年に入り対小野戦の直前になって、小学4年生の長男が腹膜炎で緊急入院した。学校でクラスメート四人に囲まれ、けられたのが原因だった。

 担任教師や校長との話し合いが続く。病院への付き添いに手を取られる妻をカバーし、下の子の面倒を見て・・・対局のための事前研究どころではなかった。

 相手の小野にとっても大きな一局。もしも対田中戦を制すれば6勝4敗となり、今期大混戦「地獄のB1」で昇級の目をつかむことが出来る。

 終盤に入る直前、局面を見ながら、

 ―相手は、先行きダメなのを分かっていて頑張っているな・・・。

 田中には相手の心理状態が読めた。

 「ああ・・・ゆるめてくれよ」

 思わず、声が出た。半ば冗談、半ば本気の独り言である。

 「こっちも・・・おねがいします」

 小野もすぐに言い返して頬をゆるまたが、視線は盤上に釘付けであった。

 ―われ、優勢・・・。

 の自覚はあったが、ふしぎに雑念はわかなかった。意識がヘンに澄み切ったまま夜戦に入った。相手が投了した瞬間、

 ―これでA級復帰。

 とは思ったが、こみあげてくる喜びはなかった。妙に淡々としているのが、自分でも不思議であった。

 「将棋の神様が・・・四人の子供で悪戦苦闘しているトラを見て、あわれと思い早目に上げてくれたのでしょう」

 田中寅彦の述懐である。

 だが、3年前はこうではなかった。第53期棋聖戦で防衛をかけて中原誠(名人=当時王座・41歳)と対決。天王山の第4局。中盤で田中断然優勢の局面になった。

 雑念がわいた。

 ―こうやっても勝ち、ああやっても勝ち。相手投了後の第一声でどう言おうか。「運良く、拾わせてもらいました」と言うか。「ずっと優勢を確信していました」と言うか。それとも・・・。

 「じっくり勝ちを読み切ることが出来ない。手を読むのがこわくなっている。早く勝利を手に入れ、楽になりたい。勝ちだ、という意識が先行して腰が浮いたようになった」

 と田中は回想する。中原が捨て身の勝負手を連発し、田中に疑問手が続く。夕刻すぎに大逆転が訪れた―。

 「本当の勝負師というものは局面の優勢・敗勢に気分を左右されない。中原名人は、不利な局面で鈍に徹している・・・じゃあ感受性は鈍いのかといえばそうではない・・・相手に一手の疑問手が出ると、直ちにつけ込む。すばらしく敏感でなければ逆転は出来ない。しかし指している間は鈍に見せている・・・大山・中原・谷川、三者三様の個性ですが、共通しているのは自分を図太くコントロールする方法を知っていることです」

 「感受性が鋭敏に過ぎると逆に自分を斬ってしまう。鋭さに酔うってことがある。勝敗に左右されない自己管理能力・・これが『栄光の座にすわる棋士』の条件でしょう。棋聖位防衛に失敗したあと、そのことを考えさせられました」

 田中寅彦のことばである。

 一つのエピソードを思い出した。加藤治郎(名誉九段・81歳)から聞いた「大山康晴はなぜ、升田幸三(実力制第四代名人・故人)に負けないのか」という話。

 ―大山やや優勢、の局面。升田が長考に入ろうとする。大山の左手がそっと自分の駒台にのびる。左手の薬指でチョンチョンと駒をそろえる。一番使いにくい指で駒をそろえる、ほんの少しだけぎこちない動作になる。これが、升田だけに通じる合図なんだ。『左手の薬指で駒をそろえる・・・それほど私は余裕がありますよ』、大山はそう語りかけているんだねえ。

 ―升田さんは神経が鋭い。そういう仕種を見逃さない。ピッと合図を読み取る。しだいに額に青筋が立ってくる。よし、一気に粉砕してやるぞ・・・と無理攻めをする。大山さんはそれを待っているんだ。結局、升田が自滅する。攻防に自信があるからこその「升田対策」だ。

 また、棋界にこんな小話がある。

 ―ある時、升田幸三、大山康晴、中原誠の大名人三人が集まって「先手勝ち」の棋譜を並べながら、「どのあたりから先手が勝ちになったか」についての感想を述べ合った。「40手過ぎたところで将棋は終わっとる。先手勝ち」と言ったのが升田。「100手過ぎ」が大山。「後手の投了する3手前」と答えたのが中原・・・。

 出来過ぎた小話だが、三者の棋才優劣を言っているのではない。おそらく三人とも、40手過ぎたあたりで「先手勝ち」を認識しているのだろう。が、それを表現する鋭さと鈍さのコントラストが、面白い。

 これは実話―。

 テレビ東京の「早指し戦」。序盤から40手を指して「封じ手」。そこからテレビ放映となる。

 ある若手棋士とぶつかった大山康晴が41手目を封じずに指してしまった。あっそうか、封じ手だったの? と言って紙片に指し手を書く。放映までのメイク(化粧)の時間、若手棋士は先刻指された41手目の「手」を胸に刻みつけ、けんめいに対策を考えた。

 放映開始。封を切られた大山の一手を見て、若手棋士は目をむいた。先刻指された「手」とはまったく違う指し手が記されていたからだ。若手棋士の頭の中がその瞬間、沸騰しパンクしたことは言うまでもない。大名人を信用したのが甘かった・・・。

 棋界「栄光の人」には、どこかこうした悪魔性がある。「人を見て勝ち方を変える」巧妙と言おうか。君は、この私に勝てっこないんだよ・・・のささやきを相手に執拗に植えつけていく、その催眠性妖しあやかしの術。

  

 ―あの程度の・・・。

 田中寅彦の爆弾発言が棋界を騒然とさせたのは7年前の本誌誌上だったか。時の名人・谷川浩司を名指し、あの程度の強さで名人という栄光の座に居られるのでは困る、という趣旨の発言であった。

 名指しされた谷川浩司が愉快でなかったことは想像がつく。が、田中寅彦の周囲に谷川以外からの”不快の波”が押し寄せた。

 波は先輩棋士の忠告であったり、心ある将棋ファンの叱責であったりした。青臭い。生意気千万な。棋界最高の名人位をみずから汚すとは。ウヌボレルナ。谷川に謝れ。そんなことは自分が名人になって立証せよ。口先八段め。批判の小石がアメアラレと降り注いだ。

 田中寅彦という棋士を、ふだんからじっと見ている人間は、陰ながら拍手を送った。彼でなければ言えないセリフだと共感のエールを送った。田中発言の眼目は谷川批判のように見えて、実はそうではなかった。彼はみずから背に河を負って、のっぴきならないところに自分を追い込もうとしたのだ。栄光の座には、この田中寅彦が一番ふさわしいのだ。生まれてはじめてA級八段になったくらいで目尻を下げ、安逸をむさぼるな!と自分で異聞に発破をかけたのである。

 しかし―。

 日本という国は、江戸時代からの教条的な儒教道徳の価値規範(モノサシ)が、人の心を支配している。

 「沈黙は金」と言う人は多いが、「沈黙は自信のない人間が用いる安全帽である」と見抜く人は少ない。

(中略)

 田中発言への共感にくらべ、これを批判する小石の数は数百倍も多いように見えた。たとえ、一人が小さな石を投げつけるだけであっても、それが数百人の投石ともなれば、ゆうに人を殺す力がある。栄光の座を真剣に目指した者でなければ、投げつけられる小石の痛さと怖さは分からない―。

 毎日、関係者からの苦言を電話口で受ける妻の、細く丸い肩を見るのが田中には辛かった。

 自分は一人で棋士をやっているのではない。自分への風当たりはそのまま家族にも来るのだ・・・それが身に沁みた時、27歳の田中寅彦は折れた。と同時に、「外柔内剛」のうさん臭さと真実、暗黒と光明を彼は見た。

 あれから7年。A級カムバックを果たした田中の目に、いま谷川将棋はどのように映っているか?

 「技術の面で言えば、終盤の強さ。早さと正確さが一手に化合している・・・それが自信となって序盤から『相手の手の中に自分を入れる』柔らかさ、幅の広さが生じている。柔道で言えば組み手がうまい」

 「基本的には人間が出来ている。自分の鋭さに自分で酔うってことがない。相手と足並みをそろえながら、共に前進し、最後で抜く・・・相手の実力の『底』も、自分の『底』も、全部見えている・・・見えているが、それを表面に出さないで最終盤まで持っていく。7、8年前に比べて大変な強さです」

 「谷川将棋と相見えて、これを倒すためには、私の生活を変えなくっちゃいけない。妻と四人の男の子にとって、良い夫であり父親でありながら、将棋に集中し、栄光の座を目指す・・・これをどのように両立させていくか、人間として大切なことが問われています。生活の、どこをどう変えるかは企業秘密です。が、A級カムバックの今年からを『勝負の年』にしたいですね」

 田中寅彦がA級入りするのは、これが三度目。最初は2勝しか挙げられず、陥落。二度目は4勝5敗で順位のシワ寄せを食ってB1へ。三度目の今年は「まず6勝すること、栄光はその先・・・まずA級残留です」

 暗黒と光明の間で、棋士も一皮、二皮と渋くなっていく―。

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鋭敏よりも鈍感の方が良いとされることが多い。

渡辺淳一さんの「鈍感力」がベストセラーになるのが2007年のことなので、その15年前にこのようなことが語られていたとは興味深い。

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田中寅彦九段は「序盤のエジソン」として有名だが、サービス精神にも非常に溢れている。

16~17年前に仕事などでご一緒させていただくことが何度もあった時に感じたことだ。

1984年の谷川浩司名人(当時)に対する発言も、自らを背水の陣の気合いに追い込むとともに、ファンを楽しませるためのパフォーマンスもあったのだと思う。

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司馬遼太郎『項羽と劉邦』で言えば、項羽が鋭敏、劉邦が鈍感。劉邦が天下を獲ることになる。

しかし、その劉邦(高祖)も、天下を統一してから腹心の部下たちに疑いの目を向けるようになり、粛清を行ったりしている。

いつまでも鈍であり続けるのは困難なことなのか・・・

 

     

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