2013-11

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『兄弟子の秘密は何でも知っている』

将棋世界1997年9月号、神吉宏充六段(当時)の「今月の眼 関西」より。 桂三枝さん。大の将棋ファンでいつも仕事に遊びに仲良くして下さる師匠である。「ああ神吉さん、いらっしゃ~いオヨヨ!谷川さんやりましたなあ。竜王位と名人位の二冠王ですか。...
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井上慶太七段(当時)「ワシ、こんなん一回でええからやってみたかったんですわ」

将棋世界1997年1月号、神吉宏充六段(当時)の「今月の眼 関西」より。 11月17日は将棋の日。関西将棋会館は空前の賑わいをみせていた。「こんなにファンが来てくれたのは、初めてじゃないですか」。若手棋士は誰もがそう口を合わせる。黄金時代を...
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藤井猛四段(当時)「いや、少数派でありたいですね。いつもいつも相矢倉だ、では将棋ファンはうんざりでしょう」

1990年代前半、振り飛車党にとっての冬の時代に振り飛車復興の狼煙を上げた棋士たち。 将棋世界1992年10月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『少数派』」より。  藤井猛(21歳、四段)が飛車を振るようになったそもそもは、大内延介と...
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スーパー四間飛車と世紀末四間飛車

1990年代前半、振り飛車党にとっての冬の時代に振り飛車復興の狼煙を上げた棋士たち。 将棋世界1992年10月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『少数派』」より。 小林健二(35歳、八段)はオール四間飛車でA級にカムバックした。199...
振飛車党の古き良き時代

振り飛車党受難(2)

将棋世界1992年10月号、奥山紅樹さんの「棋士に関する12章 『少数派』」より。 将棋戦法の隆盛と衰退は、時の棋界第一人者の動向とぴったり一致している。  かつて大山康晴・升田幸三の両巨人が健在だった1960年代後半から70年代前半にかけ...