近代将棋1994年8月号より。
5月29日、林葉倉敷藤花が将棋連盟の勝浦理事「休養願い」を提出して、その後、連絡が途絶え、”林葉さん、失踪”という記事がテレビ、週刊誌、スポーツ紙で取り上げられて大騒ぎになった。詳しいことはマスコミ各方面をにぎわしているので、ここでは触れないが、その後、将棋連盟から「休養願い」が公表されたので、左に掲げます。
休養願い
私、林葉直子は、これまで対局、イベント、執筆、芸能活動を自分なりに精力的にこなして来ましたが、最近は心身ともに疲労の限界を感じるようになり、現在は精神的にも肉体的にも極限状態にあります。
このまま、これまでのように活動を続けることは、自分自身の心労・ストレスが増すのみならず、関係各位にも迷惑が及ぶであろうと思われます。
つきましては、これまで従事させていただいたすべての活動を停止し、しばらく休養したく思います。
ただ気掛かりなのは倉敷藤花位のことです。こんな素晴らしいタイトルを預からせていただいたのに、このようなお願いをするのは、関係者の方々の労苦を考えると胸が張り裂ける思いです。
しかし、今の状態では将棋も指せず、皆様にもっとご迷惑をかけてしまうはずです。そこでお預かりしていた藤花のタイトルを返上させていただくようお願いいたします。さらに私の処遇についても、すべて理事会の決定に従います。なお、理事会には近況を定期的にご報告いたします。
それから、この休養宣言によって将棋連盟の棋士の先生、職員の方々、女流棋士の皆さん、将棋ファンの皆さん、報道関係の方々、ならびに私を応援して下さった皆さんに心から御詫び申し上げます。
私は将棋を愛する人を愛しています。将棋を通じて素晴らしい方々に巡りあえたことを感謝しております。
突然こういう形での休養宣言をすると男性問題であろうなどと推測されてしまうかもしれませんが、私もそれほど馬鹿ではありません。そんなことではなく、美しい景色を見ても美しいと思えぬ自分の心境が人間として情けなく思えてきたのです。仕事ばかりで走りすぎてきたせいかもしれません。
これからは、自分自身を成長させるためにも栄養素をためる事が必要な時期になってると確信しました。
自分勝手な行動でたくさんの方々にご迷惑をおかけしますが、林葉直子という人間がもっと輝くために選んだ選択です。
こんなわがままな休養願いですが、私の苦しみをお察しいただきとうございます。
すべてにおいて、感動のできる人間になって戻ってこれるよう努力しようと思っています。
本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません。
平成6年5月30日 林葉直子
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近代将棋同じ号、永井英明近代将棋社長(当時)の「編集手帳」より。
”林葉さん、イギリスにいた”というスポーツ紙の大きなタイトルを眺めながら、この手帳を書いています。林葉直子さんが失踪、というのでマスコミは大騒ぎ。私のところにも取材の電話がいくつもありました。が、考えてみれば”失踪”というのは少し大げさ。林葉さんが可哀そうです。忙しい彼女が、長期の休養をとるのだったら、将棋連盟に「休養願」を出してから旅立つしか、他にいい方法がないではありませんか。
林葉さんだから事件になったのです。「公式棋戦は現役棋士の第一の公務」ですから、当然、不戦敗二局が問題になりますが、その点は林葉さんも相当に悩んだことは間違いありません。
今月号の小誌表四に「ショーギであそぼ」の全面広告が出ていますが、林葉さんと神吉五段が出演しています。旅行?に林葉さんが出かける数日前に発売元の五郎丸(NHK衛星放送、将棋番組の制作社)にたずねてきて、チラシの広告から”女流棋士”の肩書をはずすよう依頼して帰ったそうです。タイトル(倉敷藤花)返上はもとより、女流棋士でなくなることも考えていたのではないでしょうか。
そういう彼女の心情が一番よくわかるのは5月29日に勝浦理事に提出した「休養願」ではないか、と思います。
◯
明るい彼女のことですから、笑顔で成田空港?へ降り立って、手を振ってくれることでしょう。その日をお待ちしています。
(以下略)
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将棋世界1994年8月号、旅先から届いたファンへのメッセージ「林葉直子からの手紙」より。
6月3日、アイルランド・ダブリンから
将棋ファンの皆様
突然のことでビックリなさった方がたくさんいるのではないでしょうか。
ホントにごめんなさい。
将棋は誰よりも愛しているし、将棋を愛している人は、それ以上愛しています。
けれど2年ぐらい前から、勝負師としての自分の勝ちたい、という意欲のなさに悩んで……悩みぬいた結論です。
人間ってぜいたくになりすぎるとダメなんですネ。
プロである以上、負けてもどうでもいい、という精神は最低ですから……。
私のこの気持ちをご理解していただければと思っております。
ちょっとだけ休養しながら、将棋を知らない周囲の子供やおじちゃん達に一人でも多く教えようと思っています。
5/15高橋戦は、一番私らしい初手は何か考えぬいての一着です。普通の手で指せるよう修行してきます。 では……。
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将棋世界1994年8月号、河口俊彦六段(当時)の第64期棋聖戦〔谷川浩司王将-羽生善治棋聖〕第1局観戦記「谷川の錯覚」より。
棋聖戦第1局が行われる6月11日の朝、家人がスポーツ紙を持って私を起こしながら、「林葉さんが出てるわよ」と言った。
私は聞きながし、新聞も読まずに対局場にかけつけた。羽生名人がまたなにか変な手を指してくれるのではないか、とそちらの方に興味があったのだ。
控え室に着くと当然、スポーツ紙が拡げられており、報道関係の常連達が「困ったことをしてくれたねえ」なんてささやき合っている。私はそれも聞きながし、継ぎ盤を見ると、見たことのある「横歩取り」なので、ここで大いにがっかりした。
そうしているうちに昼休みが過ぎ、午後になると、控え室がちょっとざわつきだした。米長とか中井とかの名が聞こえる。私はまだ何のことか判らない。
やがてロビーで中井広恵女流名人のテレビ取材が始まった。今にして思えば、この辺りが騒ぎの発端であった。それに全然気がつかなかったのだから、私のカンのわるさはどうしようもない。せめて中井さんになにか聞いておくのだった。
ただ、千駄ヶ谷村(将棋連盟)内部の感覚からすると、個人的な理由で、将棋を指したくなくなり、休むなんていうのは、よくある事ではないが、ないわけでない。その時は、休場届けを出し、不戦敗を承知すれば、一件落着、なんのおとがめもなし、となる。プロの勝負の世界で試合放棄は大事件だが、囲碁将棋界は特別なのである。その点で全体がファンのお叱りを受けるのはやむを得ない。
そういう感覚であるから、なんで林葉さんの休養届けがこんな騒ぎになるのか、今もって判らない。
ともあれ、騒ぎは日を追って大きくなり、私のような事情をまったく知らない者の所にまで、取材の電話がひっきりなしにかかる有様になった。
お陰で仕事が出来ず大弱り。どうやっても締切に間に合わない。ついにヤケを起こし、編集者氏の恨めし気な顔を思い浮かべてそれに手を合わせ、銀座に遊びに出た。それが6月23日。数件回ったが、どのバーのホステスさんも、あきれるくらい事情をよく知っている。話をしていると、となりのお客さんまで加わって話はますます盛り上がった。
私はただ聞くばかり。もう他の世界の出来事になっている。酒場で将棋が話題になるのは、私の永年の夢だが、こんな形で実現するとは思わなかったなあ。
(以下略)
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将棋世界1994年8月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。
大激震…林葉直子ちゃんが、休養願を残して消えてから三週間が過ぎた。もう雑誌やテレビで、何度も何度も経緯は報道されているから、知らないファンは存在しないだろう。
とにかく凄い報道合戦である。当初は事実だけを追っていたマスコミも、いつしかエスカレートして魑魅魍魎、有象無象が跳梁跋扈するような怖い報道合戦に変わっていった。
もちろん、マスコミが行方をくらました原因を調べようとするのは当然だが、それにしても奇怪な情報が出てくるわ、出てくるわ…。サイババさまが登場している時はまだ面白かった。恋愛報道もよくわからんかったけど、そんなことはないやろと思って楽観して見ていた。
ところが、その後は書くのも忍びない誹謗中傷の連続である。それはあまりにひどく、事実と全く違う報道も多かった。そんなときワイドショーからインタビューが二本来た。
ここで全然違った方向の報道を、私なりに否定出来ると思ったのでインタビューに応じたが、いざ次の日テレビを見てみて愕然。否定どころか、肯定しているように見える作りになっている。
私が「それはないはず」なんて言ったところはキレイにカットされていて、深刻そうな表情だけが映っている。
…何か悲しくなった。空しさを覚えた。あまりに思っていた作りと違ったので、怖さも感じた。
なるほど、これがワイドショーなんやな。こんなんじゃ真実がわかるまで大変でっせ。おおこわ。
この直子ちゃんの休養を心配してんのは我々だけではない。芸能界にもたくさんいる。
桂三枝さんもその一人。先日お電話したら、
「どないです。今から会いまへんか」
で、早速伺うと、第一声が、
「どないなってんの?」
「私の知る限りではかくかくしかじか」
「…そうでっか、わからんのですか。そら心配してまっせ。なんせ林葉さん、関西お笑いの将棋同好会”横好き会”の副師範でっからな。もし、私に出来る事があるんやったら何でもゆうて下さい。直子ちゃんのためになんでもしまっせ」
その三枝師匠にも取材が殺到したらしい。
「いやあ驚きましたわ。直子ちゃんが心配やし、頑張って帰って来てほしいってゆうたら、三枝は居場所を知ってるになるんやから」
師匠すんません。ほんまにご苦労さんです。
(以下略)
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今見ても、「休養届け」であったことが、なぜ「失踪」と報じられてしまうのか、非常に疑問だ。
当時のテレビのワイドショーやスポーツ紙芸能欄や週刊誌などでの取り上げ方に一番の問題があったということだろう。
それは、神吉五段(当時)が書いていることを見ても明らかだ。
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ちなみに、失踪報道の4日前(6月7日)に名人戦で羽生善治四冠が米長邦雄名人を破り、羽生新名人が誕生している。翌週の週刊誌は、羽生名人誕生のニュースをあたかも吹き飛ばすように、失踪報道が誌面を占めることとなった。
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故・永井英明さんの温かい文章が、心を打つ。