将棋世界1995年8月号、タレントの友田幸岐さんのエッセイ「将棋を勉強して3ヵ月」より。
NHKテレビ「将棋の時間、「終盤の勝ち方・羽生の法則」(6月25日まで放送)の収録が終わった。
3月に入った頃、もともとスポーツが好きで、Jリーグなどスポーツ番組の多かった私に、このお話がやってきた。
今度は教育テレビで、しかも講座もの。将棋は初心者だし、講師はあの羽生名人。天才と呼ばれる人と仕事ができるのはうれしいんだけど、将棋はもう15年ほど指していない。
ということで、まずは駒の動きに慣れなくてはと、プロデューサーから将棋盤と駒を借りてきて(結果的にはもらってしまった♡」家で練習を始めた。仕事先では別の番組のスタッフを相手に練習してみたり、スーパーファミコンの、羽生先生の名前のついているソフトを買ってきては、夜な夜な研究してみたが、そう簡単には上達しないんだよな、これが。
それで何とか将棋のニュアンスとか羽生先生が講座でやりたいことの雰囲気だけでもつかんで番組にのぞんだという感じだった。
それともう一つ。今や日本中の視線が集まっている羽生さんが毎週出演されるテレビはこの番組だけということで、将棋をまったく知らない人や将棋を始めたばかりという人たちが見るであろうことは予想できたので、講座も大事だけど、羽生さんのファンやにわか将棋ファンの声にも応えられる番組にしたいな、と考えていた。そういう私自身も、羽生さんがどれだけスゴイ人で、何を考えながら生きている人で、ごはんはどんなものを食べていて、どんなお友達がいて、なんてミーハーっぽいことを知りたかったから。
ところで、同年代の棋士達のあいだで、羽生さんは”無口”と捉えられているようだ。たまたまお母様とお会いした時にも「毎週テレビを見ていますが、善治があんなにしゃべるなんてびっくりしました」と言われたので、そうなのかと思ってしまうのだが、実は普段の羽生さんはよくしゃべる。”おしゃべり”という意味ではなく、普通によくしゃべる。控え室や、みんなでお弁当を食べている時、「きのうモノポリーをやって」とか、「なんとかさんのおばあちゃんは」とか、「自分を見失うぐらいの恋というのもいいですよね、せっかくの人生ですから」とかポンポン出てくる。他にもいろいろありますが、羽生さんの過密スケジュールのためたった5日間(全13回)の収録ではあったが、私の印象は”よくしゃべる方”だった。羽生さんごめんなさい。
そんなことはまあいいとして、番組が始まってみると、視聴者からの反応は予想以上で、毎週番組に寄せられるハガキはウン千通。詰将棋の解答だけでなく、ファンレターやイラスト、羽生先生への質問、将棋に関する素朴な疑問などワンサカ来る。特に多かったのが初心者、小中高生、女の子。中には子供につられてというお母さんからとか外国人からのもあった。目の中にキラッと星が光っているような少女マンガチックな似顔絵もずいぶん目立った。これらの反応は従来のものとはぜんぜん違うということだ。
「友田さんも5級の問題ができなかったと聞いて、私だけじゃないと安心しました」なんていうおハガキもたくさんあったので私も少しはお役に立ったのかな。
なんかサッカーでいうところのサポーターが増えたというか、将棋が強くなりたいだけのファンじゃない、新しいファン層が広がっているのを感じたおハガキだった。
羽生さんも、名人位防衛戦の真っ只中での収録で、初めてとは思えないなかなかの講師ぶり。とにかく一生懸命、一生懸命話してくれて、教えてくれた。初心者の子供たちにもわかるし、楽しめる。そして、従来の将棋ファンにも、何かひとつ壁をのりこえるためのヒントが出てくる、そんな講座だったように思う。
でもどうして名人が講師をしなきゃならないのか、というギモンもあるけど、まあ、ファン層も広がったし、イメージも”おじさん””暗い”から”カッコイイ”とか”頭脳”に変わったみたいだし、注目度もアップしてテキストも飛躍的に売れたというのだから、オッケーオッケー。
(中略)
おかげ様で、私は生徒じゃないと思いつつも、詰将棋5分で5級がスムーズに解けるようになり、「上達しましたね」のお言葉を先生から賜って番組は終了。私を含めて駒の動かし方レベルの人達と、将棋界の頂点に立つお方という両極端を見ることができて、実におもしろかった。羽生さんにはこれからも勝ち続けていただいて、子供たちに夢を与えてもらいたい。
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友田幸岐さんのプロフィールは、この記事の最後に載っている。
大橋巨泉事務所所属。テレビ東京「ビジネスマンニュース」などを経て、平成5年よりNHKBSスポーツキャスターとしてJリーグ、ワールドカップサッカーなどを担当。現在は文化放送「夕焼けアタックル」他で活躍中。
昨日の記事の通り、友田幸岐さんは、1993年の「ドーハの悲劇」の時、NHK BS1 での実況中継番組でスタジオ司会を務めていた。
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実家では無口だけれども外では普通によくしゃべる、というのが男性の一般的な姿かどうかは分からないが、私もそのパターンだ。
実家では無口だったけれど、実家を出てから結婚をして、家でも外でも普通によくしゃべるというバリエーションもある。
- 実家では無口だけれども、外では普通によくしゃべる
- 実家でも外でも変わらない
- 実家では普通によくしゃべるけれども、外では無口
それぞれのタイプの日本人の中での比率はどのようなものなのだろう。
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羽生善治六冠(当時)と畠田理恵さんの婚約が発表されたのが1995年の7月のことなので、「自分を見失うぐらいの恋というのもいいですよね、せっかくの人生ですから」と羽生六冠が話したのは、婚約発表の少し前のこと。
自らのことを語っているようにも思えるが、前年の9月に畠田理恵さんと知り合って以降、羽生五冠から羽生六冠になっているので、少なくとも将棋に関しては、自分を見失うようなことは全く起きなかったことがわかる。