将棋世界1983年11月号、共同通信記者(当時)の田辺忠幸さんの「浪速だより」より。
9月5日の昼は、サンケイ会館パーラーで、森安秀光棋聖の就位式。関西将棋会館で対局中の大山康晴連盟会長が、昼休みを利用して駆けつけ、新棋聖に贈位状を手渡した。
こういう会合によく顔を出す大島靖大阪市長が、祝辞の中で「大阪に”将棋公園”を作るべく計画中です。完成の暁には緑の木陰で棋聖戦を…」とぶち上げた。
これはリップサービスか。
将棋公園は結構な話だが、プロのタイトル戦と縁台将棋を一緒にしてもらっては、ちと困る。
パーティーに移ると、就位式では珍しい歌の競演と相なった。いかにも神戸組らしい演出だが、仕掛け人はサンケイ新聞の福本記者か、永松記者あたりだろう。
トップバッターは神戸組ではなく、大阪城の隣に住むという小林健二七段だったが、マイクというか、とにかく機械の機嫌が悪いようで歌声が聞きとれない。
ところが、谷川浩司名人ら神戸組が歌い出すと、機械の調子も直り、御大の内藤國雄王位・王座と新棋聖のデュエット「憧れのハワイ航路」でお開きとなった。
と思いきや、それが違うのである。神戸組の面々は、寿司屋に繰り込んで延々とカラオケ合戦。全く神戸組は歌が好きで、うまいねえ。歌の歌えない拙者は、この二次会だけで夜陰に乗じて姿をくらませたが、三次会、四次会と深夜まで続いたとか。
9日の夜は、タイガースパブ「虎」(梅田店)なるトラキチのたまり場で、神吉宏充新四段の昇段祝賀兼後援会発足記念パーティーが開かれた。
師匠の内藤王位。王座夫妻をはじめ、例によって神戸組が勢揃い。それ以外では、新婚ほやほやの福崎文吾七段・睦美初段のカップル、南芳一六段、西川慶二四段らの顔が見えた。後援会の会長は、漫才界の大御所、喜味こいしさんである。
神吉四段は105キロの巨体を誇っている。将棋記者ではかつて108キロというひどいのがいた(実は拙者のこと)が、超100キロの将棋指しは史上初であろう。
目方が重いからといって将棋の強さとは直接関係ないが、同じ体型の拙者としては、神吉君に盛大な拍手を送りたくなるのだな。
それはともかくとして、ここでも当然カラオケが始まる。神戸組大シンパの西川四段が「柳ケ瀬ブルース」を歌ったあと、福崎夫妻がマイクの前へ引っ張りだされた。司会者はいつの間にか喜味こいしさんになっている。
新妻の睦美さん、質問に答えて「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」とのろける。さらに、子供は一人でいい」。ところが文吾七段は「三人でーす」。二人は仲睦まじく「岬めぐり」を歌った。「あなたがいつか話してくれた…」。
”高槻組”もやるもんだね。
拙者が福崎夫妻の席の前に陣取り、生ビールのがぶ飲みをしていると、谷川名人が「”浪速だより”のネタさがしですね。メモを取らなくていいんですか」とおっしゃる。
これだから参るね、将棋指しは。すべてお見通しなのだから…。
翌10日、谷川名人、福崎夫妻、そして拙者の関西勢が大挙して(といってもバラバラだが)上京、渋谷ビデオスタジオに集結した。早指し選手権(テレビ東京)の録画で、谷川名人は解説、福崎七段は対局、拙者は聞き手。福崎女流初段の方はなんでもないが、一刻でも愛する文吾さんと離れてはいられないらしい。
大内延介八段-佐藤大五郎八段戦の後、田丸七段-福崎七段戦。
田丸七段は「向こうは応援付きだからかなわない」と言うが、田丸の奥さんも女流プロの谷川治恵二段ではないか。夫人同伴で来ればいい。
この、女流棋士を奥方に持つ同士の一戦はすこぶる面白い(関西的表現だと、ごっつうおもろい)大激戦の末、その道の先輩、田丸七段に軍配が上がった。
録画が終わると、一同はNHK放送センター前の「うな将」へ。将棋関係者が最も利用するうなぎ屋さんである。名人の兄、谷川俊昭氏や、なぜか塚田泰明五段も一緒だ。
ここでは歌なしで乾杯、また乾杯。しかし、福崎夫妻の姿はなかった。
最初は”神戸だより”のようなもので始まり、最後は”東京だより”になってしまった。純粋の”浪速だより”はないものかね。
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福崎文吾九段の奥様の「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」という有名な言葉が発せられたのが、神吉宏充四段(当時)の昇段祝賀会の場であったことが意外で面白い。
また、神吉宏充四段の後援会長が喜味こいしさんだったというのも、新しく知る事実。
夢路いとし・喜味こいしは、上方漫才の宝と呼ばれた漫才コンビ。
喜味こいしさんの名人のような芸が、このような名言を引き出したのかもしれない。
相方で兄の夢路いとしさんは、「ふたりっ子」で通天閣将棋センターの席主を演じている。
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この頃の就位式やタイトル戦の前夜祭や昇段祝賀会では棋士が歌っている場面が多く登場するが、よくよく見てみると、歌っているのは神戸組(内藤國雄九段、谷川浩司九段、森安秀光九段、淡路仁茂九段)が中心。
カラオケで歌える寿司屋があったというのが驚きだ。
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渋谷ビデオスタジオは、2007年まで渋谷区宇田川町にあったテレビスタジオ。
場所的にNHKの至近距離であるため、収録が終わった後は「うな将」へ行くのが定跡だったのだろう。
「うな将」は、やはりNHK杯戦の対局後に棋士が行くことの多かった店。数年前に閉店しているのが残念なところ。
私も「うな将」に一度だけ行ったことがある。
その時の話は、また別の機会に書きたい。