対局室に知らされた奨励会員の死

将棋世界1993年6月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 東京」より。

 私の所は9図に進展。先手の▲8二歩成も速いが、一時的にしろ銀香得も大きく、指せるのではと思っていた。

 午後3時頃で、激しい終盤に緊張感を覚えていた。時間を知っているのは、時計を見たからである。世の中の時間とは関係ない世界にいるので、あまり時計を見る事はないが、この時は世の中の現実に引き戻されていた時だった。

 めったにない事だが、勝又三段が対局室に入ってきて「奨励会の金子2級が山で遭難し亡くなりました」と大広間中に聞こえる声で言った。それが、9図の終盤とどう関係あるのかと、とまどっていたが、直ぐに事態は飲み込めた。同時に暗い気持ちになってしまった。これは、全員が同じだったと思う。特に記録の子のショックは大きかったようだ。

 私はどんな子だったか判らなかったが、続けて「中原門下で19歳、告別式は明日です」に「ああ」と心の中で呻いてしまった。

 師匠が誰でも辛い気持ちは同じだけれど、12日からの名人戦を前にして名人もマイッているだろうなと思った。

 トイレに行って気を静めたが、動揺は少なからずあった。

(以下略)

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将棋世界1993年7月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 東京」より。

 この欄の書き出しは、その季節なりの雑感から始めている。これは、連載が始まった当初からの事で、今月もそれなりのものを予定していた。

 ところが、今回はお詫びに代えさせて頂く事になってしまった。

 先月号の『対局室25時』の文中で、金子2級の死を知らせたのを「勝又三段」と書いたのは私のとんでもない勘違いだった。

 奨励会の人であった事は何人かの証言でハッキリしているが、勝又くんではない。その証拠に、取材当日勝又君は横浜に行っていたのだ。

 これが、ただの報告ならまだ許される余地もあったかもしれない。しかし、事が後輩の大事件であっただけに罪が大きくなってしまった。

 誌上を借りて訂正とお詫びをさせて頂く。

 今回の事で強く思ったのは、人間の思い込みの怖さである。というのも、今でも対局室で勝又君が話している姿が浮かんでくるのだ。事務局の意を体して何か報告する奨励会員は、手伝いをしている彼ぐらいしかいないと思っていたのも災いしたようだ。

 もっとも、優れた手品のトリックの多くは、この人間の思い込みを利用している。なくす事はできないが、できるだけ冷静な観察眼を持ちたいと思っている。

 これが、ひいては将棋にもいい影響をあたえてくれるだろう。思い込みや常識が邪魔をして最善手を逃す事はプロでも多いものなのだ。

(以下略)

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金子2級が亡くなったことが対局室に知らされたのが1993年4月9日。

師匠である中原誠名人と挑戦者の米長邦雄九段の名人戦第1局(宇都宮市)は4月12日から。

この時の名人戦で中原名人は米長九段に4連敗で敗れ、名人位を奪取されてしまう。

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対局中、なおかつ終盤の最中にそのような衝撃的な知らせを受けたなら、本当に驚くとともに、景色も正確には憶えていないだろう。

昔、心理学者が集まる学会で、主催者側がある仕掛けをした。

主催者側の人間がスピーチをしている最中に、暴漢が襲いかかってくるというもの。(もちろん、暴漢は主催者側が雇ったアルバイト) どっきりカメラのようなものだ。

出席者はみな驚いたが、種明かしをされて一安心。

ここで主催者から質問が出された。

「暴漢が来ていた服の色は何色でしたか?」

ほとんどの人が当たらなかったという。

突然のことが起きた場合、人間は驚くほど物が見えていないものらしい。

 

「対局室に知らされた奨励会員の死」への2件のフィードバック

  1. 私めの記憶では、人の生死の報は、それが対局者の親のものだとしても対局中の対局室に知らされたことは一度もありません。
    奨励会員の死の知らせが対局室にもたらされたのはなぜなか。不思議です。                
                                    きたろう

    1. きたろうさん

      たしかに、言われてみれば本当にそうですね。不思議ですね。

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