将棋世界1981年1月号、能智映さんの「棋士の楽しみ―(酒)」より。
このように棋士たちは対局中には互いに刃をむき出しにしているものの、相手に対して繊細な神経を払っている。
芹沢八段もそうだし、歌手の内藤國雄九段は美声をもって三の宮の夜を呑み歩き、貴公子・二上達也九段も「内藤クンには負けられぬ」とマイク片手に新宿で夜を明かす。
こうした華やかな連中とは一味違って忘れられないのが、3年前に亡くなった故・塚田正夫九段だ。
すし屋のスミの席で、ほおを染め、おちょこをチビチビと運んでいる姿は、まさに酒仙を思わせた。―その好きな酒が、生命を縮めさせたかと思わなくないが、それがまた塚田九段らしく、思い出は尽きない。
もう10年近く前になろうか。帝国ホテルでの七番勝負、塚田九段に願って立会人になってもらった。
和服姿で飄々と館内を散歩する勇姿(?)を見て、外人客が「オー・サムライ!」とカメラを向けたというが、これはどうやら、若武者の米長邦雄現棋聖に対してであったらしい。
その勝負の一日目の昼食後だった。塚田九段は「ちょっと疲れたから」と自室に引きとった。
この時刻は立会人などあまり用がない。だれも気付かず、小一時間ほどたったころ、立会人はほおをちょっぴり紅く染めて控え室に帰ってきた。
「いや、失敬。自分の部屋に戻ってちょっと横になろうと思ったら、ウイスキーがビンの底に残っていたんだ。だから、もったいないから呑んじゃって―」
しきりと恐縮していたものだが、この「もったいない」という表現が、いかにも塚田九段らしく、みなくすくすと笑い出してしまったものだ。
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塚田正夫九段(当時)に対して、「顔が赤いですね、飲みました?」などと聞く人は誰もいないと思うので、塚田正夫九段が聞かれてもいないのに自白してしまったということなのだろう。
王位戦七番勝負の1日目、その日も同じ部屋に泊まるわけで、ウイスキーがビンの底に残っていたとしても、それがどこかへ逃げていくわけでもない。
とはいえ、ついつい飲んでしまうところが、酒飲みの酒飲みたるところ。
塚田正夫名誉十段らしい微笑ましいエピソードだ。
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帝国ホテルで飲んだ酒というと、立食パーティーのような時に飲んだウイスキーの水割りがほとんどだが、いつも美味しく感じられた。グイグイと進む。
いつものウイスキーを、自宅で飲む時よりも美味しく感じさせるのがホテルや客単価の高い酒場の付加価値。
塚田正夫名誉十段の飲んだウイスキーは、本当に美味しかったのだと思う。
それにしても、ビンの底に残っていたとは、どれくらいの量だったのだろう。