将棋世界2000年10月号、加藤一二三九段の「わが激闘の譜」より。
私は6月24日に日本シリーズの対局で岡山に行った。着いてすぐに私は山陽新聞の記者に将棋の話をいろいろとした。記者は私の紫綬褒章受章、おめでとうございますと言って下さり、新聞の記事にもしたとの事だったので、私は気をよくして、将棋が芸術にまで昇華出来る事を力をこめて語った。その夜の日本シリーズ関係者の集いで、私は自分が一分将棋の神様と言われる事は全く不本意で、一分将棋の達人とか、名手とか呼んでほしいと話をした。考えてみると、神様と言う言葉は大切なものであって、将棋の芸のすばらしさを表現するにはいくらでも適切なものがある。また私が最近芸術と言いだしたのは、以前から経験していた事ではあるが、将棋の本当の価値を認めてもらい守るためには、気づいたものが使命感を持って話していくべきであると考えるようになったからである。将棋の楽しみ方とらえ方はいろいろありえるが、深い感動を経験したものは、くり返しくり返し話をした方がよいと思うようになった。今月解説する一局も、私の会心譜である。
(以下略)
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「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」という一節が、旧約聖書(出エジプト記 20 章)に記されている。
これは、モーセの十戒の戒律のうちの一つ。
カトリック教徒であり、1986年に聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章している加藤一二三九段が、「一分将棋の神様」と呼ばれることに全く不本意であると述べているのは、そのようなことが関係していると考えられる。
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私は幼稚園がカトリックで、高校はプロテスタント、実家は真言宗智山派のお寺の檀家という、極めて日本的な環境で育ってきた。
高校の英語の時間、次のようなことを先生(洗礼を受けている)が教えてくれた。
「アメリカの俗語で、Jesus Christと言うと”こんちくしょう”を意味する」
これは、
神の名をみだりに唱えてはならない
→みだりに唱えてはならない言葉の代表例は「こんちくしょう」
→同じみだりに唱えてはならない言葉だから、「こんちくしょう」と言う代わりに「Jesus Christ」と言う
のようなロジックでそのようになっているということだった。
しばらくしてから見た映画で、窮地に立った主人公が「Jesus」と嘆くシーンがあって字幕には「こんちくしょう」と出ていた。
なるほど、スラングだから「Jesus Christ」とフルに言うのではなく「Jesus」の方が実戦的なんだな、と勉強になったなような気分になったものだ。