将棋世界2001年1月号、「山崎新人王に、”直撃”インタビュー」より。
―優勝おめでとうございます。一夜明けましたが、ぐっすり眠れましたか?
山崎 はい、よく眠れました。
―プロ3年での初優勝ですが、改めて心境を聞かせてください。
山崎 優勝というものがどういうものなのか分からないので、、まだ実感がありません。ただ、番勝負が初めてだったので、それが終わっちゃったんだなあっていう気持ちです。
―山崎さんにとっての三番勝負はいかがでしたか。
山崎 1回負けてもまだ指せるので、随分とたくさん将棋が指せるなあと思って楽しかったです。もちろん負けるのは嫌ですけど(笑)、3局指せればいいなあと思っていました。
(中略)
―そして第3局は振り駒。先手で三たび角換わりになりましたね。
山崎 ぼくが先手なら、角換わりで行こうと思っていました。第2局を負けたので、第3局は逃げられないぞって。もう一度やってやろうと。
―▲8三銀不成~▲7二銀不成~▲8三銀成という銀の使い方に控え室はびっくりしていました。特に▲8三銀成の手は北浜六段は全然見えていなかったそうです。
山崎 ▲8四銀は北浜六段が長考しているときに”もしかしたら、あるかな”と考えていました。▲8三銀成は▲8三銀不成としたときからの予定で、指した瞬間”まだ何かありそうだけど、こちらが良くなったかな”と感じました。ただ、(▲8三銀不成からの構想は)実際には▲5六歩というもっといい手がありましたからね。
―どのあたりで勝ったと思いましたか。
山崎 ▲5二成銀と寄ったところですね。”間違いがなければ勝てる”と思いました。
(中略)
―羽生五冠以来の十代での新人王です。
山崎 新人王というよりも、ぼく自身がまだ新人という感じなので(笑)。
―歴代新人王の中に、師匠(森信雄六段)の名前も見られます。テレビのインタビューで「真っ先に師匠に優勝を知らせたい」とおっしゃっていましたね。
山崎 師匠には、打ち上げの時に電話したのですが、「連絡が遅いから、負けたかと思うたやないか」とおっしゃっていました。自分にしては早く知らせたつもりだったんですが(笑)。
―山崎四段の戦い振りに、関西では大変盛り上がっていたそうです。先輩棋士や関西ファンの皆さんにひと言。
山崎 ぼくは、研究よりも実戦が主なので、先輩の方たちには、これからも実戦をたくさんお願いしたいと思います。ファンの皆さんには「最後まであきらめるな」とか「油断するな」とかいろいろアドバイスをしていただいたのが励みになりました。ありがとうございました。
―プロ3年目の今期は、勝率が7割を超えています。調子はどうですか?
山崎 例年に比べればいい方でしょうか。ぼくは、あまり調子のことは考えていません。それよりも、今期は対局をたくさん指したいです。勝率ももちろん7割は超えたいですけど、とにかく対局をたくさん指したいです。
―対局が好きなんですね。
山崎 昨年度は、対局がない時期がありましたので、つらかったです。
―つらい?どういうつらさなんでしょうか。淋しいんですか。
山崎 淋しいどころじゃないですね。棋士として生きている実感がないっていうつらさです。
―これで、棋士として一つキャリアができたわけですが、次の目標は?
山崎 目標はたくさんありますが、まず、タイトルに挑戦したいです。そして、タイトルがほしいです。
―これをきっかけに活躍を期待しています。ありがとうございました。
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「連絡が遅いから、負けたかと思うたやないか」と言いながらも、電話の向こう側で本当に嬉しそうな顔をしている森信雄六段(当時)の姿がすぐに頭に浮かんできて、ほのぼのとしてしまった。
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この対局は東京の将棋会館で行われているので、感想戦終了後、すぐに打ち上げとなる手順。
もし師匠に電話をするとしたら、4階の対局室から5階の打ち上げ会場まで行く間に3階の事務室へ降りていって電話をする、ということになるが、このタイミングを逃すと、打ち上げの最中に電話をすることになる。
19歳の山崎隆之四段(当時)が、4階から5階へ向かうこの怒涛の流れを振り切って3階へ行くのはかなり難しい雰囲気だったかもしれない。
そういう意味では、山崎隆之四段の「自分にしては早く知らせたつもりだったんですが(笑)」は、かなりベストを尽くした結果だったとも考えられる。