滝誠一郎五段(当時)の絶妙な自戦記(対 小池重明アマ戦)

将棋世界1980年1月号、滝誠一郎五段(当時)のアマプロオープン戦〔小池重明アマ-滝誠一郎五段〕自戦記「これがプロの実力だ!」より。

陽の当たる場所

 いよいよ五段陣の登場となりました。

 アマ強豪のお手並み拝見といきましょう。

 この「強豪」の看板には偽り無し、とは皆さん先刻御存知のところでしょう。

 この日が来るのを首を長くして待っていた私でした。私のような下級棋士、しかも三十の声を聞き、いつまでも若手ではない、との事実を知ってしまった男を、陽の当たる場所に出してくれた編集部に感謝しなければなりません。

 しかし、それは重大な過失でもありました。初めて陽の当たる場所に出た私は、興奮のあまり、この自戦記を軽薄色に塗りつぶすことになりそうだからです。

アマの限界

 私はアマトップクラス(自称トップクラスが多すぎる気もしますが―)の実力を高く評価する者でありますが、皆一様に限界に突き当たるようです。

 二度目のアマ名人位を獲得した加賀六段にしても、昔の方が強かった、と断言できます。何故加賀さんは弱くなったのか?(名人になった人にこう言うと、不思議がる方もいらっしゃるでしょうが、軽薄な私は断言してしまうのです)答えは簡単です。

 自分より強い人と指せないからです。

 もっとも強くなり過ぎた本人が悪いという説もありますが……。

 その意味でこの企画は将棋界のために大いに有意義と言えましょう。

 しかも滝五段の登場ともなれば、相手のアマの方も、これ以上の勉強の場はない、と大喜びのことでしょう。

 もっとも、あまり喜ばれるのが不愉快な意味もありますが……(笑)。

アマ連盟

 相手のアマの方は小池重明五段。その活躍の程は省略しますが、アマ将棋連盟の目玉商品ともいえる人です。

 アマ連とプロ連は現在、悲しいかな冷戦状態にあります。とすれば、絶対に負けられぬ一番なのですが、小池さんと私は酒を飲んではカラオケ合戦に熱中する仲なのです。

 対局前夜になっても、どうしても燃え上がらない自分を感じました。

(中略)

私の決意

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 序盤の図面を掲載しても面白くない、と思われますので長手順進めました。

 振り駒で後手番になり、正直言って良かったと思いました。この心理は容易に理解してもらえるでしょう。

 小池さんの四間飛車は、おそらく得意戦法と思われます。その指し手から気合が伝わってきました。

 殺気を感じた私は、こそこそと香の下に玉を隠して、この駒だけは取られまいと決意しました。

 御存知居飛車穴熊戦法。この戦法には、いろいろと批判もあるようですが、プロで30歳を超えたら解禁に、というのが私の持論。

 アマ強豪やプロの若手にこんな優秀な戦法を使われたらかなわんもの。

 ▲3七桂の応手にちょっぴり知恵を使いました。ほっておいて▲4五桂の両取りをくらうような甘い私ではありませんが、△4四銀では△4四歩も考えられます。

 もちろんそれも一局ですが、あえて▲4五歩を誘う△4四銀を選びました。

1図以下の指し手
▲2七銀△4二角▲8八飛△7四歩▲3八金△7二飛▲6八角△7五歩▲同歩△同飛▲7六歩△7四飛▲9六歩△3二金右▲7八飛△9四歩▲4五歩△3三銀引▲1八香△2四歩▲6五歩(2図)

プロ棋士の陰険さ

 小池さんは誘いに乗らず▲2七銀ですが、▲4五歩も一局です。△5三銀と手損で引いておいて、後に△7四歩から△6四銀をねらいます。角道が開いているだけに迫力があります。

 わざと手損をしておいて、後でみてろという訳で、プロ棋士の陰険さの一端をお見せしました。

 また本譜の進行なら、3三の地点に銀を引けることになり、これはこれで、えらく堅固な要塞ができます。

 まずまず思い通りの進行となりましたが、△7五飛の瞬間が気持ち悪かったのです。

 (中略)

 優劣の判断はともかく、臆病者の私は、いきなり玉頭に火の手が上がるのがこわかったのですよ。

 無事に一歩を入手しほっと一息というところ。△3二金右から△3三銀引と玉も固まり、これで戦闘準備完了です。

 ▲1八香は意外。意味不明。

 ▲6五歩と小池さんも動いてきました。

 しかし、もっと早く動けなかったのでしょうか。

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(中略)

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 3図の局面となっては、小池さんは味良く馬を作ったものの、私も飛車のサバキに成功し、穴熊の固さがものをいって私の優勢です。小池さんが、どこで間違えたか、私にも分かりません。

 いつのまにやら優勢になっている―これがプロの実力なのだ。

(中略)

 小池さんは、転ばぬ先の▲3九香と正解手。このあたりから俄然本気を出すのが小池流とは聞いておりました。

 そして4図。ついに恐れていたもの―相手の好手―が出ました。

 読者も考えてみてください。

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4図以下の指し手
▲6七飛△同馬▲同銀△6九飛▲5六角△8七竜▲7九桂(5図)

 ▲6七飛が好手。読者の中にも発見した方は少なくないと思います。

 私だってうっかりしていた訳ではないのです。

 対して、何とかの一つ覚えで△5八桂成では▲6八飛△同成桂となって、自慢の成桂が逆方向に行くのが気に入りません。

 しかし、こうしてじっくり成桂を使う手もあったかもしれません。気は進まないが―。

 飛をむしり取って、どうだとばかり△6九飛と打ちつける。恐怖の二枚飛車じゃ。

 ▲5六角と頑強な抵抗。やってくるとは思っていました。

 せっかくの二枚飛車。▲6六銀から▲8九角と抜かれてたまるかと、△8七竜。

 さあさあ受け方が難しいじゃろと思っていたら……。

 ▲7九桂には驚きました。全く考えていなかった好手です。

 私の動揺もお察しください。

 ここ▲5七金なら、以下△7八桂成▲同銀△5七竜▲6九銀△5六竜で楽勝。まさか、この順になるとは思っていなかったものの、先手に巧い受け手があるとも思っていませんでした。

 小池さんの底力を見せつけられた▲7九桂でした。

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5図以下の指し手
△同飛成▲6六銀△7六竜右▲5五馬△5一香▲5七銀△4二桂▲4六桂△5八歩▲3五歩△5四桂▲同桂△同香▲同馬△5九歩成▲3四歩△同銀▲3三歩(6図)

 ▲5五馬と引かれたところでは、優勢とはいえあやしい雰囲気を感じました。

 相手の顔を見る余裕なんぞは無かったのですが、さぞ迫力のある表情をしていたと想像できます。カラオケの時には仏様。将棋の時には鬼。二つの顔を持つ小池さんではあります。

(中略)

 ▲5七銀は当然とはいえ好手。△4二桂は悪手とはいえないものの、本手ではなかったよう。単に△5八歩が正解でしょう。この△4二桂から一分将棋になりました。相手は50分程残しています。これが、あやしい雰囲気の最大の原因です。

 外野席の奨励会の悪童によれば、「滝さんが、負けるとすれば、一分になって小池さんのアッパーカットをくらうとき」とは、小生意気ではあるが、正しい意見。

 △5八歩から△5九歩成と待望のと金づくりですが、▲3五歩と、さすがに急所を突いてきます。一本▲1五歩と突く手も考えられますが、手抜きもあり得て難しいところでしょう。▲3三歩は手筋の叩き。返事の仕方に迷いました。

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6図以下の指し手
△同桂▲4六桂△3五桂▲3四桂△5八と▲4四歩△4七桂成▲2二桂成△同金上▲2三香(途中図)△5六竜▲同銀△1九角▲1七玉△2三金右▲4一飛△2一香(7図)

悪手、また悪手

 △3三同桂は悪手。金で取ってしばらくは、相手の面倒をみて指す手でしょう。

 とはいえ、まだ優勢は続いています。

 桂の打ち合いから、いよいよ寄せ合い勝負です。

 私がと金の活用を図れば、小池さんも▲4四歩と馬を活用してきます。これを△同歩などと相手をしているのは論外。

 華々しい駒の取り合いから、小池さん、必殺の気合を込めて▲2三香(途中図)

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 この気合に負けました。

 こんな香車は「只ですね」と、わざと大きな声を出してから(意地悪こそが喜び)同金右と取ってしまえば、良かったのです。

 小池さんも指した後で気付いたと局後言っておられたが、素直に「アッ間違えた」と、対局中に白状してくれても良さそうなもの。知らぬ同士でもあるまいに……。

 必殺の気合に焦った私は、△5六竜の大悪手を指して、一挙に敗勢に転落しました。

 アマを相手に自分で転ぶとは……。

 これも実力と言わざるをえません。

 △2三同金右に▲同角成△同金▲4三歩成は、△3八成桂以下詰みます。

(中略)

 敗勢の7図、運命の女神は、私の美貌に惑わされ、突然こちらにウィンクしました。

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7図以下の指し手
▲4三歩成△3八成桂▲同銀△3九竜▲2七馬△1五歩▲同歩△1六歩(投了図)  
 まで、130手で滝五段の勝ち。

エアポケット

 ▲4三歩成が小池さんいわく「読みのエアポケットに入った」一着。つい何となく(誰しも経験のあることですが)指してしまったのでしょう。

 ここは▲4七銀と成桂を取って勝ちです。

 以下△3九竜▲3五桂△3七角成▲2三桂不成△同金▲2一飛成△同玉▲3二銀△同玉▲4三歩成△2二玉▲3三と以下詰みです。

 これを逃してからは、一手一手となりました。

 いやはや、何はともあれ勝ってほっと致しました。

 感想戦が短かった為、私の感覚による解説となり、小池さんには異説があるかと存じます。御容赦ください。

 その夜のカラオケ合戦では、小池さんに将棋の仇を取られ、この日は合わせて1勝1敗の痛み分けとなりました。

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滝誠一郎八段の剽軽なキャラクターがよく表れている楽しい自戦記。

しかし、二度目に読んでみると、指し手の意味、その時の心理などがそれぞれ描かれていて、非常にオーソドックスな、自戦記の王道を行くような構成であることに気が付く。

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この頃の小池重明さんは、真剣師の世界では「新宿の殺し屋」と呼ばれトップクラスの真剣師となっていたが、アマ棋界では名前を売り出していた時。

この翌年から2年連続でアマ名人を獲得することになる。

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小池重明さんの指し手を見ると、私などの棋力では中盤までは全くやる気のない振り飛車に見えるのだが、終盤近くになって急に妖気が漂うというか、殺気を帯びてくるように感じられる。

こういうところが、真剣師らしいところなのだろう。

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この2年後、広島の村山聖少年は奨励会入りを強く希望する。

その思いは広島将棋センターの本多さん→本多さんが幹事を務める広島将棋同好会支部の師範の下平幸男八段→東京奨励会幹事の滝誠一郎六段(当時)と伝わり、滝六段は、この話を弟弟子である森信雄四段(当時)に持ちかけ、村山少年が森信雄四段門下になることとなった。

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1995年から東京に出てきた村山聖八段(当時)を弟のように可愛がった滝七段(当時)。

『聖の青春』で書かれているように、派手なアロハシャツとサングラスという装いを村山八段にさせたのも滝七段だ。

11月に公開される映画『聖の青春』で、諸々の設定は異なるかもしれないが、安田顕さん演じる橘正一郎が、滝誠一郎八段をモデルにしているものと思われる。

安田顕さんは、『下町ロケット』では三度の飯より実験好きの熱血漢技術開発部長を、つい最近の『必殺仕事人2016』では超悪役の大目付預かりを演じているが、どのような橘正一郎を表現してくれるか、とても楽しみだ。