将棋世界1998年10月号、神吉宏充六段(当時)の「今月の眼 関西」より。
!!!……おそらく今月号は至る所で、村山八段の悲報を伝えていると思う。棋界全体が非堪の渦の中に投げ出されているだろう。嗚呼……!!!
痛報を聞いたのは8月10日朝、関西将棋会館。亡くなったのは2日前、本人の希望で密葬後の通達であった。その時私は「えっ」だったか「あっ」と言ったのか……とにかく二の句が出なかった。
対局中、気分転換に棋士室へ行くと、そこにはいつものように彼の顔があった。そしておもむろにスッスーと駒を置くと「この問題はどうです?」と詰将棋を私に見せる。これがまた難問で、暫く考えてみても仲々筋が見えない。当てずっぽうで「そうか、最後は角成やな」と言うと、彼は涼しそうな笑顔で「お、正解!流石ですね。で初手は?」と、まるで解いていないのを見透かされているかのように突っ込んでくる。
ホンマにサッと解けたときは「じゃあ次の問題ですけど」と突っ込みもせんのに、何で分かるんやろ?と思ったが、きっとそんな私の表情を楽しんでいたのだろう。それではと、私の作った詰将棋もかなり披露した。が、今度はよく余詰めを発見された。しかしいきなり彼は結論を言わず「う~ん、良い作品ですね。余詰めの検討は大丈夫ですか?」といつも言われた。
私が自信ありそうに「これは大丈夫やろ。それとも何か危ない筋ある?」と言うと「あ、いや大丈夫ならいいんです。でも、もしボクが余詰め見つけたらどうします?」「ほほう、そうまで言うからには勝負しよーか。余詰め発見できたら2,000円、出来んかったら1,000円でどうや!」
思えば彼の昼飯代をいつも出していたようなものだった。今はそれも彼の楽しいアルバムの一枚である。本当に将棋界は得難い男を招き、得難い男を失った。嗚呼、あの涼しい笑顔が懐かしい……。
「ボクも人生力一杯闘ったんだから神吉さんも頑張る一手でしょう!」
慟哭する仲間一人一人に、稀代の天才はそう励ましているような気がする。
うん、よっしゃ!頑張るでー!
(以下略)
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神吉宏充六段(当時)が心で感じた言葉だが、
「ボクも人生力一杯闘ったんだから神吉さんも頑張る一手でしょう!」
が、ものすごい説得力がある。
自分は今頑張っているのだろうか、そう自問させられる…
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今日から映画『聖の青春』が公開される。
私は、今日は昼からの飲み会があるので、来週の金曜日に観に行こうと思っている。
場所は、新宿か有楽町かで迷っている。
シン・ゴジラは新宿で観た。有楽町マリオンで映画を観るとなると、2001年のジュラシック・パークⅢ以来だ。
、、と書いているうちに思い出したのだが、ジュラシック・パークⅢを観たのは2001年8月8日。
8月8日は村山聖九段の命日だ。
ということは、有楽町で観るべきなのかもしれない。
なぜ日付を正確に覚えているかというと、恥ずかしいので言えない。