将棋マガジン1993年11月号、エトワール舟黎さんの「今月の将棋運 星座占い」より。
森内俊之六段
昭和45年10月10日生 血液型O型
向学心があり人間関係を大切にします。社会的な成功には関心が薄いけれど、好きな道に進めば本人の努力と、友人などからの応援を得て求めなくても名誉を得ることになります。独創性、精神力、洞察力がありますが、好きでないことに関しては無頓着です。去年の誕生日から、再来年の誕生日までの3年間は一生のうちで2度あるかないかの強運期となります。名声や富に恵まれたり、より人脈を獲得することができます。本人が望んでか周囲の事情で大きな方向転換をする場合は、事前の計画、準備に時間をかけるような慎重さがあればうまくいきます。
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森内俊之九段の1993年前後は、
1992年度 B級2組、昇級1年目に3位
1993年度 B級2組→B級1組を決める
1994年度 B級1組→A級を決める
1995年度 名人戦挑戦を決める
と連続昇級、そしてA級順位戦で1位となり名人戦挑戦を決めた時期。
「去年の誕生日から、再来年の誕生日までの3年間は一生のうちで2度あるかないかの強運期となります」は、1992年10月10日から1995年10月10日の間の3年間ということ。1992年度の途中から1995年度の途中。
森内九段がB級2組2年目の途中時点での占いなので、その後の連続昇級、A級での快進撃を見事に当てていたことになる。
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その後、森内八段(当時)はNHK杯戦と全日本プロトーナメントでの優勝はあったものの、七大タイトルとは縁がなく、無冠の帝王と呼ばれるようになる。
勝ち続けていたからこそ、そのギャップから無冠の帝王と言われていたわけだが、占いの「3年間(1992年~1995年)は一生のうちで2度あるかないかの強運期」が正しかった状態。
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森内九段は、2002年に初タイトル・名人を獲得し、一気にタイトル獲得面でブレイクする。
森内九段の著書『覆す力』にある通り、そこに至るまで、森内九段は悩みながら自らの意識を変えていた。
そういう意味では、占いに沿って考えれば、2002年以降は「一生のうちで2度あるかないかの強運期」の2度目とも考えられるが、強運期というものはそう長くは続かないもの。森内九段の2002年以降のタイトル戦での活躍は10数年継続されるわけで、「2度目の強運期」などではなく、「自分の力で引き寄せた実力」と断言できる。
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「本人が望んでか周囲の事情で大きな方向転換をする場合は、事前の計画、準備に時間をかけるような慎重さがあればうまくいきます」
大きな方向転換を、フリークラス転出、理事選出馬、と考えれば、両方とも森内九段の熟慮によるもの。
24年前の占いではあるが、「うまくいく」と卦が出ている。
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エトワール舟黎さんは、外資系航空会社国際線スチュワーデスから転身して占い師となった方で、現在も大活躍するカリスマ占い師。
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同じ頃の羽生善治二冠の占い→羽生善治五冠(当時)の占い