将棋ジャーナル1983年6月号、奥山紅樹さんの「盤側いろは帖」より。
以前、大山康晴十五世名人から「奥山さん……一局が終わるわね。仲間が誘い合って一杯飲みに行こうか、夜食に行こうかとなる。その時に、さりげなく『私は帰りますから…』と言って、さっさと帰る棋士と、ずるずるつき合う棋士がいるとする……ちょっとした差だけど、そのちょっとした断り方が出来るか出来んか。努力の差とか、才能の差というのは、案外こんな小さなことの中に、出るよ」
と聞かされていた。
大山名人の言葉は長い間、私の意識に、トゲのように刺さっていた。
ほんのちょっとしたことの中に、「努力の差」「才能の差」が現れる。大山語録は、才能、努力の言葉につきまとう観念性、神秘性を容赦なくはぎ取っており、きわめて具体的であった。
大山語録には思い当たることが多かった。
(以下略)
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何かが終わったあと、飲みに行く。
これは半ば定跡化というか、私などにとっては必然の応手となっているわけで、大山康晴十五世名人の言葉は非常に耳が痛い。
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これは将棋や囲碁の世界の話、企業などに勤めている人には一概には適用できない、と考えることもできるが、たしかに意識の中にトゲのように刺さってくる言葉だ。
少しでもできる細かい努力の積み重ねが、大きな差となって現れる、と読み替えたほうが良いのかもしれない。
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大山十五世名人のこの言葉が、ストイックさで最右翼をいくものだとして、その正反対の言葉として思い出されるのが次の言葉。
映画「仁義なき戦い 広島死闘篇」で、最凶のキャラクターとして描かれているヤクザ・大友勝利(千葉真一さんが演じた)の台詞。
「わしらうまいもん食うてよう、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの。それも銭がなきゃできゃせんので。ほいじゃけん銭に体はろう言うんが、何処が悪いの。おぅ」
この映画の脚本の笠原和夫さんは、本当に凄いと思う。
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しかし、銭に体を張って成果をあげるには、やはり細かい努力の不断の積み重ねが必要なわけで、そのように考えると、大山十五世名人の言葉は、大友勝利にさえも適用できることになる。
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それにしても、「わしらうまいもん食うてよう、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」は非常に乱暴な言葉に見えるが、人間の二大欲(食欲、性欲)をそのまま表現したわけで、違った意味で意識の中にトゲのように刺さってくる言葉だ。
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人間の二大欲が食欲と性欲であることは、高校の聖書の授業で教えられた。
三大欲だとすると、これに物欲が加わるという。
ところが、人間の二大欲、三大欲はすぐに覚えたものの、その時の授業で何が教えられたかは全く覚えていない。
毎朝の礼拝の時間を、英単語を覚える時間に変えれば、3年間の間に大きな差が出るだろうに、と思いながら礼拝に出ていた私はバチ当たりな高校生だった。
かといって、通学の行き帰りのバスに乗っている時間を利用して英単語を覚えるわけでもなく、頭では考えても実行に移すのは難しい。