将棋ジャーナル1983年10月号、才谷梅太郎さんの「棋界遊歩道」より。
升田元名人が陽性な印象を一般に与えるのに対し、同じ元名人でも塚田正夫先生の場合は、やや暗い感じがしないでもなかった。
しかし実際には塚田先生も、優しく明るい素朴な人柄であった、と思うのである。
塚田先生がA級順位戦の選手として、元気に対局していたころの話だが、こんな事があった。
その日、私は千駄ヶ谷の将棋連盟(まだ木造だった旧将棋会館)の2階の一室で、ほろ酔いかげんながら四寸盤を引き出して、棋譜を並べていた。
時刻は夜中の1時過ぎころ、と記憶している。年の瀬で冷え込みが厳しく、ストーブなしではいられなかった。
まだ棋譜を並べだして間もないころ、狭い八畳敷の部屋のフスマが、スッと開いた。
塚田先生であった。この日、先生は順位戦の対局があり、強敵を倒してご機嫌の様子だった。たしか数時間前に、何人かで連盟を出ていったはずだったが、してみるとどこかで戦勝の祝杯をあげていたに違いない。
そういえば、顔色もだいぶ赤みがさしていた。
いずれにしても、私はどう応対してよいのかわからず狼狽してしまった。なんといっても元名人であり、あらゆる意味で超大先輩なのである。むろんこれまで、面と向かって口をきいた事もない。
私の狼狽ぶりが、あまりに甚だしかったのを目に止めてか、塚田先生は優しく声を掛けてくれた。
「キミは、なんという名前だね。僕は塚田というものだけど」
これには私もおどろいた。ふだん粗雑な言動ばかりしている自分にとっては、これほど心に沁みわたる言葉を聞いたのは、初めてだった。
おどろくと同時に、このヒトコトで塚田先生に対する心の接点みたいなものを感じたのである。
この後、狭い部屋の中で30分ほど、塚田先生の話の御相手をした。その内容がよく思い出せないのは残念だが、話なかばのころ塚田先生が、
「僕の詰将棋を出題するから、キミ解いてみろ」
と、言われて駒を並べ始めたのである。
私はもう夢中だった。塚田先生と小さな部屋の中に、二人きりでいるのが嬉しくてしかたなかった。
先生が問題を盤上に示されて、私がそれに向かい、2、3秒すぎた時である。突然、先生がこう言ったのだ。
「もう、解けたかい?」
私はビックリした。もともと詰将棋は、解くのも作るのも得意なほうでなかったし、最初はからかわれたのかと思った。
しかし塚田先生はいたって真面目な顔をしている。その問題は15手前後の筋もので、それほど難しい問題でもなく、私にも1分ほどで解く事ができた。
しかし先生は不満そうな顔をしながら、こう言った。
「こんな問題に10秒も20秒もかかっているようじゃダメだ。見た瞬間に、詰ませなければ」
そのあとも塚田先生は、同レベルの問題を次々と示された。私はそのたびに、冷や汗を流しながら必死に問題と取り組んだ。
一題だけでも見た瞬間に詰ませて、塚田先生に誉めてもらいたいというのが私の本心であった。
しかしその思いは、ついに叶わなかった。今こうやって考えてみると、たとえ一瞬で解けた問題があったとしても、先生は『それが当然』という顔つきで、ただヒトコト「ウン」と頷き、静かに次の問題を並べ始めたであろう。
およそ10題も解いたころだろうか、先生はややふらつく感じで腰を上げ、
「僕は先に寝るから、キミもここで休みなさい」と言うや、上着だけ取ると何も掛けずに、ストーブの傍で横になってしまった。
やがて先生は、かすかなイビキを立て始めたが、私はとても直ぐには眠る気分になれなかった。
何故か数分の間、ポケーッと塚田先生の寝入った姿を見つめていた。
理由は自分でも、よく解らない。
しばらくして我に返ると、ともかく別室から掛け布団らしきものを引きずり出して、先生に被せていた。
そして、先生からストーブを少し離すと、明かりを消して部屋を出たのである。何故、部屋を出たのか、今でも理由は解らない。
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才谷梅太郎は、将棋ジャーナル編集部員だった元奨励会員の中野雅文さんのペンネーム。
今頃の季節の寒い日の夜。印象的で趣のある光景だ。
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塚田正夫名誉十段の詰将棋は実戦形で鮮やかな手順、解きたくなるような形であるのが特徴だった。
例えば、昔の中野の寿司店に飾られていたと伝えられる塚田名誉十段の詰将棋。
考えてみたくなるような形だが19手詰。
1分で解いても凄いのに、「こんな問題に10秒も20秒もかかっているようじゃダメだ。見た瞬間に、詰ませなければ」。
プロの世界は超人的であると痛感させられる。
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杜の都 加部道場の加部康晴さんが、自身が奨励会員時代だった時の塚田名誉十段の思い出話を書かれている。
加部さんが師匠の荒巻三之八段(当時)に連れられて蕎麦屋へ行くと塚田正夫九段が一人で酒を飲んでいた。
塚田九段と荒巻八段は兄弟弟子。
ほろ酔い加減で機嫌の良い塚田九段は、加部さんに
「ここは蕎麦屋だから、かけでも、もりでも、好きなもの食べなさい」
と言う。
かけでも、もりでも、と言われて他のものが頼みづらくなった加部さんは「じゃー、もりそばで」と頼む。
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