将棋マガジン1984年2月号、読売新聞の山田史生さんの第22期十段戦七番勝負第5局〔中原誠十段-桐山清澄八段〕観戦記「桐山八段、痛恨のトン死」より。
第5局の対局場は、京都駅前の「京都センチュリーホテル」。対局日の前日、12月7日、中原は王座戦の就位式に出席してから東京駅を出発、午後4時半ごろ京都入りした。
中原は割り当てられた部屋へ入り一休みしたところ、ゴトンゴトンと妙な音がする。配管の具合で、どこかの機械の音が聞こえてくるらしい。ホテルに言って早速、部屋を代える。音が気になって眠れなくては困るので当然の措置である。しかし、これも早めに来ていないと、部屋も代えにくくなることがある。用心のためにも早く来るにこしたことはない。
桐山は5時半ごろ到着。自宅が京都にほど近い高槻市なので、気軽な単独行だ。
6時からは両対局者、有吉道夫九段、田中魁秀七段の両立会人ら、うちそろって対局室の検分。
(中略)
夜は京風の懐石料理。中原は日本酒1合、桐山は例によってビールをコップについであるだけ。あとはすぐミネラルウォーターにして、それをちびりちびりと飲んでいる。
有吉九段が話し好きで、いろいろな話題が出るが、干支の話になったところ、対局者、立会人4人そろっていのししなのには驚いた。中原、桐山、田中は昭和22年の亥、有吉九段は昭和10年の亥だ。そういえば将棋界は大山康晴十五世名人をはじめとして亥年が多く、大いに幅をきかしている。
食後は有吉九段らが麻雀卓を囲み、それを中原、桐山ともに見物。田中七段は記録係の藤原直哉二段をつかまえて早指しの将棋を指して時を過ごす。
(中略)
さて8日。朝8時に食堂へ行くと、桐山はもう先に来て和定食を食べていた。ホテルなので、きちんとネクタイまでしている。日本旅館なら丹前でいいのだが、この面倒を嫌って中原は、ルームサービスを頼み、自室で洋風の朝定食。
午前9時、有吉九段の合図で対局開始。桐山は背広を和服の正装に代えている。中原ももちろん和服。
(中略)
なお3時すぎ、推理作家の斎藤栄氏が来京、控え室へ顔を見せた。
(中略)
この日の夜は、斎藤氏も加え、全員でフランス料理のコース。上等なワインを飲んで、洋風の雰囲気にひたった後、軽く麻雀。中原も1回だけ加わったが、それが珍しいほどのつきようで大勝ち。ダントツで気分を良くして自室へ。
桐山は麻雀を見たり、テレビを見たりしていたが、いつのまにか姿を消した。桐山は麻雀は名手とのことだが、今回は”やらない”と決めているのだろう。一度ぐらいどうですか、と誘われても「いや、見ていますから」と、パイにさわろうとしない。それはそれで立派な決意といえる。
一夜明けて二日目の9日。朝食は思い思いにとる。桐山は前日同様、和定食。中原も同様にルームサービスの洋式朝食をすませ、午前9時再開。
(中略)
この長考中に昼食休憩となった。桐山は前日と同じ肉うどんの大盛り、中原は野菜多めの天ぷら定食。食堂でテーブルを同じくしての昼食だった。適当に談笑したりして、激しい勝負をしている最中とは思えぬ和やかな二人である。
(中略)
中原も34分の熟考で△6七歩成と成り込む。
この熟考中の午後2時ごろ。ホテルの係から、私に”夕食は何にしましょうか”としきりに聞いてくる。質の良いものは、厨房で早めに準備しておかなくてはならないから、その気持はよくわかるが、主催者側にとっても、ここが難しいところ。
夕食休憩の6時前に終局になるか、それとも夜戦に入るかでは、夕食のメニューがカラリとかわるからだ。
夜戦に入った時の夕食は、もちろんアルコールなし。消化のいい軽めのものを用意するのが普通。しかし6時前に終局になってしまえば、感想戦のあとはもう仕事はないから、アルコールもついたちゃんとしたコースの食事をするのが通例。夜戦に入るものとして夕食を用意しておいても、6時直前に終局となり、夕食は全部キャンセルということもたまにはある。
本局の場合、ホテル側の催促があるので、私が直接両者に夕食は何にするかをたずねた。熟考中の対局者にたずねるタイミングもまた難しいのだが、まあそれはさておき、中原は笑みを浮かべつつ「夕食まで持つかなあ、忙しい将棋になってしまったから」という。
忙しい将棋でも、一手一手時間をかければ長引く場合もあるので「その時はキャンセルしますから」と私。
「そうですね、それなら―」と中原。考えた末、松花堂弁当の注文。桐山は小エビ入りカレーライスを頼んだ。
(中略)
このあとの中原の行動も、また勝負師らしかった。△6六銀の詰みは前々からわかっていたにもかかわらず、それを打つ前に席を立ってトイレへ行ったのである。
相手が自信を持って駒を進めてきているので、もしや自分に錯覚があるのでは―、そんな万一の時にも、少し時間をおき、冷静になって局面を見ると危険を避けることができる。
本局の場合は、約1時間はかかるであろう感想戦に備えてのトイレだったのかもしれないが。
最終手△6六銀の消費時間5分は、このような行動によるものである。
(以下略)
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対局前夜と一日目の夜の麻雀など、昭和の時代のタイトル戦の趣が溢れている。
二日目の昼食、中原誠十段と桐山清澄八段(当時)が談笑しながら昼食を食べるのは、これは昭和の光景というより、この温厚な同世代の二人だからということになるだろう。
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「中原誠十六世名人の最終盤でのトイレ」は「羽生善治竜王の最終盤での手の震え」と同様、勝ちを確信した時に出てくる現象。
もう誰も勝てない世界。「お前はもう死んでいる」と言われているようなものだ。
もっとも中原十六世名人の場合は、山田史生さんが書いている通り、一度冷静になって最後の収束を再確認する、という実戦的な手続きであることがわかる。
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「本局の場合は、約1時間はかかるであろう感想戦に備えてのトイレだったのかもしれないが」
たしかに、タイトル戦の感想戦の最中にトイレへ立つのは非常に味が悪いかもしれない。そういう意味でも、相手が投了をしそうな手を指す前にトイレへ行っておくということは、非常に実戦的かつ合理的だ。