将棋マガジン1984年5月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。
2月14日の記事で、米長や田中(寅)と共に新宿で飲んだことを書いたが、その折、フト思い出して、田中に「あいかわらず葉書がくるかい」と訊いた。
田中が谷川名人のことを「あのくらい、で名人になる男がいる」と書いたら、「なにをいうか」といった文体の投書がびっくりするほどきた、と聞いたからである。
「きます、きます、女房があきれるくらい。あの負けた日(プロトーナメント戦決勝第3局)が2月3日だったでしょう。節分に引っかけて、鬼は外!いい気味だ、というのもありましたよ」
「そりゃあおもしろい」
とみんなで大笑いしたが、
「投書ぐらいでくじけないでくれよ、君はあやまったことをしたのではないのだから」
と米長ともども励ましたのだった。
ところで――。
かりにプロ野球選手のAという男が、Bという投手のことを「あんなへなちょこな球を投げてエースか、よく20勝もしたもんだ」といったとしても、これはよくある話である。放言にすぎず、どうということはない。
田中の書いたのもそれと同じで、谷川ファンの中には、生意気なヤツ、と不愉快に思う人がいるだろうが、一方、田中という男は、将棋界には珍しく、はっきり物を云う、おもしろいじゃないか、と好感を持った人もいるのである。後者が断然多く、数十倍いや数百倍だろう。ただ、それ等の人々は黙ってるだけである。
こんな自明の判りきった話を続けるのは紙数の無駄だが、あえて続けると――。
それなのに、田中について書かれた記事を読むと、生意気なことを云うのはおよしなさい、身のほどを知りなさい、といった調子の、さとすような文章ばかりである。はなはだおもしろくないと思っていた所に、またそれにふれた観戦記を見かけた。
K氏のものだが、「ファンのなかには懲罰委員会にかけろっていう声もあるぐらいですよ。言葉を知らんのだな」という板谷の言や、「私は田中さんのことを悪くいったことは一度もないのに、どうして悪く書くのでしょう」という谷川の言が書かれている。
これには驚き呆れました。板谷が田中のことを「言葉を知らん男だ」というなどは、どう考えてもありえないし、谷川も、一行なにか書かれたことを気にするようなケチな根性の持ち主ではない。事実、何とも思っていないのだ。まして、悪く書かれたなどとは思いもしなかった。後日、その観戦記のことを話したら「ウヘーッ」と笑いとばしたのである。
(以下略)
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田中寅彦八段(当時)の家に投書が届く原因となったのは、将棋世界1984年2月号での田中寅彦七段(当時)の自戦記。
→田中寅彦七段(当時)「一方、あのくらい!?で名人になる男もいる」
田中寅彦七段(当時)のサービス精神から出た表現であることは、この自戦記を読めばわかるが、投書をするくらい立腹した人もいたということだ。
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この後、次のような展開となる。
→谷川浩司名人(当時)「これには、温厚(?)な谷川名人もカチンときた」
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「田中という男は、将棋界には珍しく、はっきり物を云う、おもしろいじゃないか、と好感を持った人もいるのである。後者が断然多く、数十倍いや数百倍だろう。ただ、それ等の人々は黙ってるだけである」
「声なき声」あるいは「サイレント・マジョリティ」という言葉がある。
声の大きい人達が多数派とは限らない。
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投書や苦情などによって、企業の商品のシンボルマークが変わったり、今まで使われてきた言葉が放送禁止用語になったりしている。
当然、問題がある場合は変えるべきだろうが、自主規制が行き過ぎているケースもあると思う。
是々非々の毅然たる姿勢を貫いてほしいものだ。