森雞二ワールド

将棋世界2004年5月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。

森将棋の真髄

1982年6月17日
第40期棋聖戦五番勝負第1局
▲八段 森雞二
△棋聖 二上達也

▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲6六歩△6二銀▲5八飛△4二玉▲4八玉△3二玉▲3八玉△1四歩▲1六歩△5二金右(1図)

 第37期、米長棋聖に挑戦した二上は、1敗の後、3連勝で棋聖位を奪取すると、第38期、39期と中原誠、加藤一二三の挑戦を共に3連勝無敗という完全スコアで防衛し目下3連覇9連勝の凄い成績であった。森は第30期に大山に挑んで以来、棋聖戦2度目の登場である。

 森の得意戦法は中飛車で「中飛車好局集」という著作もある。

(中略)

2図以下の指し手
▲8六歩△同歩▲同飛△同飛▲同角△6五歩▲8二飛△6六歩▲5八銀△8八歩▲7七桂△8九歩成▲6九歩△9九と(3図)

 機は熟したと見た先手は▲8六歩から果敢に打って出る。

 だが、後手に強く飛交換に応じられ△6五歩と突かれてみると、どうも形勢は先手側に思わしくない。

 というのは▲5八銀の局面で後手に軽手があったからだ。△8八歩がそれである。ひと目映る手は△8八歩で△6七歩成▲同金△9九角成であるが、それなら以下▲7七角△同馬▲同桂となり、次に桂を取れる形なので先手も指せる。

 だが△8九歩成の局面は次に△8八と▲同金△6八飛がある。おそらくこの筋を先手は軽視していたのだろう。

 ▲6九歩はつらい辛抱でここから森の苦難が始まると共に、独特の森ワールドが展開されてゆく序章でもあった。

3図以下の指し手
▲8一飛成△8九飛▲6五桂△6四銀▲4一竜△同銀▲8八金打(3-1図)

 森流の太鼓が鳴り出した。

 まず▲6五桂△6四銀と利かし、バサッと竜で金をむしり取り、返す刀で▲8八金打(3-1図)と敵飛を捕獲する。

 形も何もあったものではない、まるで野武士かゲリラの奮闘ぶりだ。

3-1図以下の指し手
△6七歩成▲8九金△5八と▲同金△6六飛▲7九金寄△8六飛(4図)

 対照的に二上はあくまで筋良く単に△6七歩成。▲5八同金の場面での先手陣は愚形というか珍形というのか何とも名状し難い様相を呈している。

 この状態が最後まで続くのだ。

 △6六飛はいかにも華麗で二上らしいのだが、平凡に△6五銀と桂を取り、▲6一飛△3二銀打▲6五飛成△8九とで大差であった。

4図以下の指し手
▲6一飛△5一香▲6四飛成△6三銀▲7三竜△7二歩(4-1図)

 ▲6一飛からようやく銀を取り返したが、△7二歩(4-1図)でその竜が死んだ。

 ところが、そこで何と▲8七銀(4-2図)と打ちつけたのだ。

 △8一飛には▲8二歩、△8五飛には▲7六銀△8六飛▲8七銀の千日手狙い。要は竜を救出する目的のみの僻地への銀の投入なのである。笑わば笑え、こうしなければすぐに負ける。俺は簡単には参らんぞ!という森の強い意志が打たせた感動の一手ですらあるのだ。

4-2図以下の指し手
△6六飛▲8四竜△6五飛▲6八金左寄△8九と▲同金△7七角成(5図)

 だが、ポロリと桂を取られ、形勢はいかんともし難い程離れてしまった。

 対して二上は△7七角成とまことに格好良い、▲同金は△6九飛成まで。

5図以下の指し手
▲7九金△5五馬▲4八桂△3二玉▲7六銀△6四飛▲8六竜△3五歩▲6七銀△4五馬▲8三歩(5-1図)

 あまりの良さに知らず二上は気がゆるんだのかもしれない。△3二玉では△7三馬▲8一竜△7五飛が分かりやすかった。

 昔、バーブ佐竹の”女心の唄”に「いつか来る春、しあわせを望み捨てずに一人待つ」という歌詞があったが、なぜか▲8三歩を見て、その唄を思い出した。

 森将棋には演歌が似合う、二上将棋はクラシックか。

 そして実際、この歩がしあわせを呼び込むことになろうとは…。

5-1図以下の指し手
△5五歩▲8二歩成△2五歩(6図)

 △5五歩では変な手だが△7三角として▲8二歩成△8四飛が良かったらしい。

6図以下の指し手
▲4六歩△3四馬▲9一と△1五歩▲6六香△9四飛▲6三香成△同金▲1五歩△6四飛▲8一と△1二香打▲7一と△1五香(7図)

 勝負に大切なのは、相手の云いなりにならず反発する精神だ。△1五歩に▲6六香と反撃し、銀をはがしてから▲1五歩と戻す。そして、▲8一とから▲7一ととにじり寄って行く。こうした手が相手の焦りを誘うのである。

7図以下の指し手
▲同香△同香▲4五銀△2四馬▲6一と△1九角▲3九玉△1八香成▲4九玉△2八角成▲4七銀△6五香▲6六香△同香(8図)

 ▲4五銀と後手玉の上部を押さえ、▲6一とで遂にあのと金が間に合ってきた。だが先手陣△1九角から△1八香成で右翼は完全に崩壊した。頼みは左翼に固まっている金銀の山。

 打ち明けると、この将棋を指し手の善悪で判断するのは私には難しい。

 芹沢博文がこの将棋を30回にわたって観戦記を書いたのも当時話題になったのだが、手元にその資料がないのが残念だ。

 △6五香が疑問で▲6六香から森にもチャンスが芽生えたようだ。

8図以下の指し手
▲同銀△6五歩▲同銀△同飛▲6七香△6四香▲6五香△同香▲5一と△6四香▲4一と△2九成香▲5九玉△2七馬(9図)

 △6五歩に▲同銀が強手だった。△同飛に▲6七香で飛車の捕獲に成功する。

 だが▲6九歩の底歩がタタリ△6四香のお代わりがきびしく、形勢は接近したものの、まだ逆転にまでは至っていなかった。▲5一とに△同馬と払っておけば、依然後手の優位は続いていたのだが、あれほど大差の将棋をここまで追いつかれては平常心でいられはしない。

 △6四香はさすがの二上も堪忍袋の緒が切れたといった観がある。

 それと、後手玉は危ないようでも左上から上部に逸路が開けていて、まだ大丈夫と思えたのかもしれなかった。

 しかし、ここでは逆転していたのだ。

 9図から森の放った一手が、二上を奈落の底へ突き落とす。

9図以下の指し手
▲1五香△4一玉▲8一竜△5一桂▲3八銀打△6七桂▲同金右△3八馬▲同銀△6七香成▲8五角△5二銀▲2二飛△3三馬▲5二飛成△同玉▲6三角成(最終図)
まで、143手で森八段の勝ち。

 ▲1五香が絶妙の決め手であった。

 △同馬は▲1二飛。△4一玉と下へ逃げるようでは、もういけない。ただ▲3八銀打では▲2二飛とすれば、
この手が▲3二銀△5二玉▲7二竜△6二歩▲4三銀成△同玉▲6三竜以下の一手スキなので決まっていた。本譜は▲8五角が詰めろ逃れの詰めろで決定打となった。

 最終図からは△6三同玉は▲6一竜以下、△6三同桂は▲4一銀以下の即詰となっている。

 森はその個性を縦横に発揮し本局で奇勝を博した。さらに続く第2、3局をも連勝して3勝0敗で初の棋聖位に輝いたのである。

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竜を切って、取った金で自陣にいる敵の龍を殺す▲8八金打(3-1図)は、昨日の記事の▲9四銀と同じく、嬉しくなるほど野蛮な手順だ。

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3図の1手前の▲6九歩、5-1図の▲8三歩は、まさに演歌調の一手。

真部一男八段(当時)の「昔、バーブ佐竹の”女心の唄”に『いつか来る春、しあわせを望み捨てずに一人待つ』という歌詞があったが、なぜか▲8三歩を見て、その唄を思い出した」があまりにも絶妙な表現。

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森雞二ワールド全開のこの一局は、芹沢博文八段(当時)が30回にわたって観戦記を書いている。

面白い手がたくさん出てくるので、30日観戦記にはピッタリな内容だったのではないだろうか。

もちろん、芹沢九段のことだから、対局とは直接関係のない情景も含まれていたということだが、この観戦記は当時の産経新聞の縮刷版でなければ見ることはできない。

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この真部八段の「将棋論考」の前段も面白い。

真部一男八段(当時)が語る森雞二九段