福崎文吾八段(当時)「あるような、ないような。ないかなと思ったらあるし、あるかなと思ったら、たいしてない」

将棋世界1994年1月号、池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢 福崎文吾八段」より。

戦意がすべて

 米長邦雄に挑戦した十段戦七番勝負は、皆さんご承知のように4-2で福崎が勝ち、タイトル初挑戦で十段位を獲得した。四勝のうち振り飛車穴熊は三局で、そのすべてに勝って「福崎穴熊」の威力をまざまざと見せつけたシリーズだった。

 だが、翌年の防衛戦では、高橋道雄の挑戦を受けて四連敗という不名誉なスコアで、ビッグタイトルをあっさり手放してしまう。

 最も不可解だったのは、福崎が穴熊を一局も指さず、全局、高橋のお家芸である矢倉で通したことだ。その理由を福崎は「気分的なもの。そのときは矢倉をやりたいという心境だった」と説明した。

 ところが一昨年、王座戦で谷川浩司に挑戦したときは、いきなり振り飛車穴熊を指して、私たちを驚かせた。

 福崎は、この王座戦での穴熊採用も僕に「気分的なもの」と言い、そのあとで「谷川さんとは、穴熊でまだ決着がついてなかったですからね」と付け加えた。

 作戦は理ではなく、気分で選ぶ。これはかつて十段戦挑戦のときに語った「僕は自分の好きな手を指す」と、ほとんど同じ意味である。福崎はちっとも変わっていない。

 さて、福崎将棋とその光の部分をざっと紹介してきたけれど、ここまでは単に”昨日の夢”のおさらいでしかない。

 いま、福崎は何を考え、何を求めているのか。現在の心境と”明日の夢”を率直に語ってもらった。

 インタビューしたのは十一月十三日で三時間にも及んだ。もちろんそのすべてを再現することは不可能なので、ここではその核心部分(=勝負にかかわる内容)だけを要約して紹介する。

―福崎さんは最近よく関西将棋会館に「顔を見せますね。何か心境の変化でも?

「A級に上がれるようにと思ってね。家でゴロゴロしてたら睦美に怒られるから」

―A級昇級が当面の目標ですか。

「そうですね。ずっとA級に上がるまでの目標でしょうね。それと、相手に関係なく、タイトルがほしい」

―将棋会館に来るのはプラスですか。

「プラスといえばプラス。でも、来てない人より明らかにプラス、とは言えませんね。純粋に強くなろうと思ったら、受験勉強じゃないけど、家で棋譜並べたり、詰将棋解いたりするほうがいいんじゃないかな。だけど子供いてるし、なかなか家では難しい。ちょっとしか強くならない。だけど、そのちょっとが大事かなと思って……」

―昔と比べると、いまのほうが少しずつ強くなってると。

「どうなんですかね。強さ自体はそんなに変わってないと思うけど、強さの質が違うんですよ。昔は一本道の順をどこまでもずーっと読んでやってたけど、最近は変化に対応する指し方になってる。戦い方がガラッと変わったんです。いまは第二、第三の受けを考えたり………。だから将棋が厚くなっていると思う」

―昔の「深く読む」棋風を、そのまま通したらまずいんですか。

「通せないですね。ピッチャーが直球だけでやっていけないのと同じで、スライダーを覚えないとダメやね。いまは昔と違って、形で判断するでしょう。いちいち考え込まなくても形でわかるんですよ。直感だけで危ないところは避けるし、あらゆる点で昔よりは良くなってるんですよ。例えば、走りでもね、コーナー、コーナーで曲がるでしょう。だんだんうまくなると、コーナーでスピードをわざと緩めるんですよ。曲がりやすいために。たとえていうとね。だから瞬発力だけでいうと昔のほうが強くても、勝負はいまのほうが勝つという……ね。昔は腕力しかないから、それだけで頑張ってたんだけど、それでいったら損だとわかってきた。だから強い弱いといっても、そのときの境地によるんですよ。本音でいうと、僕はほとんど読んでないですよ。序盤も中盤も終盤も」

―冗談を。けっこう時間を使ってるじゃないですか。

「時間は使ってるけど、局面状況を把握してるだけなんですよ。それをやるだけで、ほとんど手を読んでない」

―それで失敗したら「しまった」と思わないですか。

「まるっきり思わない。だから精神力が強くなったと思いますね。長くやってると精神力が強くなる」

―昔はそうじゃなかった。

「そうですね。気持ちが高揚したり落ち込んだり。ドキドキしたりハラハラしたり。負けたときは感情のコントロールが難しい。いろんな意味で自分を制御しきれない。負けたら”なんで負けたんや”と。自分が悪い手を指し、相手がいい手を指して負けるんだから、いってみれば当たり前の現象なのに、自分でそういう状況を受け入れなくなるでしょう。若いときは」

―そういう心境に、いつごろからなったんですか。

「王座を取られてから(笑)。いや、十段を失冠してからかな。それまでは穴熊にして、相手に将棋を指させないというか、相手の長所を認めない指し方というか、自分だけ主張して勝つという、そういう感覚でしたからね」

―そういうのって、いい面もあるんじゃないですか。

「いまだと村山君や阿部君が、自分のペースでやってるほうですね。とくに村山君はその勝負の感覚が強い。僕の場合は”力が抜ける”という状態ですね」

―それだったら、昔よりもっと勝たなくちゃダメじゃないですか。

「そうですねェ……。きょうの話、ボツにしましょう(笑)。実際、自分でもよくわからないんですよ。はっきりしてるのは、いまの羽生さんや谷川さんは相当なレベルだということ。終盤なんか見ててもね。そりゃあ研究すれば”これでギリギリ勝ちだ”というのはわかりますけど、それをなぞっていくだけでもすごいと思う」

―その谷川さんに、福崎さんはよく勝ってるじゃないですか。

「それは谷川さんが指し方を変えてるから。勝負するところが違うんですよ。谷川さんは、羽生さんとだったら自分の将棋をかけて、という感じだけど、僕とやるときは将棋に対するウデ比べみたいな感じです。指し方が全然違うんですよ」

―よくわからないな。例えば、対福崎の場合はどう違うんですか。

「緩めてくれるんですよ」

―えっ?

「つまり矢倉でね。だれもわからないぐらいの微妙な駆け引き、なんていうのを僕はまるっきりしない。そういうのは向こうもしないんですよ。例えば、いつも一円、二円の細かい計算をしてる相手だと自分も細かくなるわけですよ。相手次第ですけどね。千円、二千円とか言ってる人は一円、二円をねぎったって話が通じないでしょう(笑)。僕の場合、ワザが決まるか、みたいな感じでやってるから、そうすると谷川さんも”じゃあ、そっちの勝負でいきましょう”と指し方を変えてくれるんですよ、微妙にね。
現代矢倉の最先端とかいったって、僕にはわからへんしね。ちょっと打って引くとか、引いてから打つとか、そういうところにウェートを置いてない。僕は激しい戦いになっても自分で損得がわからないままに戦ってるから、相手も別段そこまではしないわけですよ。例えば池崎さんが、将棋を覚えたての人と平手で指すとするでしょう。相手は当然、めちゃくちゃやってくるわけですよ。初手から▲7六歩△8四歩に、▲6八金とか、▲5八金左とか。そうしたら”えっ?”と思うでしょ。そういうときに現代矢倉をしますか」

―しません(笑)。する必要もない。

「それと同じようにね。相手の指し方が違うと、ガラッと変わりますよ。相手が現代矢倉の第一人者で、その一手一手に意味があり、”あなた、知ってますか?”みたいにやってこられたら、谷川さんだったら「何でも知ってますよ」という感じでやるわけですよ。だけど、初めから石田流みたいな感じできてたら、サバキを消すか、ぐらいのもんでね。あとは気合と気合のぶつかりあいみたいな勝負になるわけですよ。最後がジャンケンポンみたいなね」

―谷川-福崎の場合は、福崎さんからそういうふうに持っていく?

「僕のほうが粗いんでしょうね(笑)」

―最近は研究会は?

「やってませんね。連盟で平藤君と一対一でやるくらい。研究会は、別にやる必要もないみたいな感じですね」

―昔はやってましたね。

「やってたけど、あんまり役に立ちませんね、僕の場合は。僕は、無理な仕掛けをやっても、別に平気だしね。悪手だろうが何だろうが、いいんですよ、勝負手だから……。実際、それで行けるんだから。そういう感覚さえあれば十分でね。これがいいとか、悪いとかの問題じゃない。そのとき、その相手に通用するかどうかが勝負で、通用できるという勝負観が大事なんですよ。だれとやっても勝てるんなら、だれよりも頭がよく、だれよりも記憶力がよくて、あらゆる変化に精通してとなっちゃうんですよ、最後は。それはコンちゃん(コンピューター)の将棋ですよ。だれが来たってメチャクチャ速い球を投げて、いつでも三振を取るそういう練習の仕方というのは、僕はナンセンスだと思う。そんなことないと思ってる。全然違うわけですよ、相手によって。ハッタリでも何でも、通用すれば、それは立派な手であってね。プロに通用するんだから、立派な手なわけですよ。勉強して手筋を覚えるとかいうんじゃなくて、そのときの相手に通用するかどうかが勝負なんです」

―じゃあ、家で棋譜を並べて相手の棋風を研究してるわけだ。

「いや、棋譜はあまり並べてませんけどね。勉強そのものより、戦意のほうが大事ですよ。戦意が高揚してるときのほうが強いし、いい手が指せる。

―戦意は、棋士ならだれでも持ってるでしょう?

「いや、みんなマチマチですよ。初めから自信がないとか、絶対勝つしかないとか、絶対負けるとか……。境地としては似たようなもので、かたくなな気持ちで凝り固まっている、ということに関しては共通してる。それと、執念がないとダメですね。

―福崎さんは、執念あるでしょう。

「あるような、ないような(笑)。ないかなと思ったらあるし、あるかなと思ったら、たいしてない(笑)」

―棋風が変わってきてないですか。

「池崎さんから見て、どうですか」

―穴熊時代と比べると、かなり変わってると思う。例えば、昔は鬼手がいっぱい出たけど、最近はちょっと減ってる。

「棋風はだんだん変わるんですよ。やってる戦法も変わってるし。昔は刺し違いで、手抜きして攻めることが多かったけど、いまは受けに回るようになってる。取ったらどうなるか、もう一手待ったらどうか、と考える。だから最近は、イビアナをやってても受けを考えてる。ただ、受けというのはなかなかマスターできませんけどね」

夫人の予感

 このインタビューの前後、福崎は対局ラッシュだった。前日は村山聖との順位戦B級1組。翌日は「将棋の日」で谷川浩司との記念対局。そして次の日は米長邦雄との棋聖戦準決勝が控えていた。

 対村山戦は福崎の快勝だった。

 妻の睦美によると「あの順位戦の日、朝、送り出すときに顔を見て、きょうは絶対勝つと思った」そうだ。「私、勝つときは何となくわかるんですよ。私の体調が悪いときに、負けてくることが多いんです。私ね、対局の前の晩は緊張して眠れないんです………」

 元女流棋士の悲しい性か、それとも夫への愛ゆえにか。

 そんなの、僕にわかるわけもないが、これだけははっきり言える。妻もまた、夫とともに勝負の世界を生きている、と。

 対米長戦は関西将棋会館であった。その日、僕は福崎が家を出たあと、こっそり睦美に電話で聞いた。「きょうの勝負はどうですか?文吾さんは勝ちますか、それとも負けますか」

「それがね………」と睦美は言った。「きょうはよくわからなかったんです。順位戦のときは、はっきりわかったのに・・・」

 僕は関西将棋会館に行って控室のテレビで米長-福崎戦を見た。結果は福崎が勝ったが、最後までかなり危なっかしい将棋だった。最初は福崎が優勢だったのに、終盤、米長が摩訶不思議な手順を見せてから流れがだんだんおかしくなり、一瞬だが、逆転した局面もあったのだ。

 うーん。こんな危なっかしい勝ち方では、妻が「よくわからなかった」のも無理はないな、と僕は思った。

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「初手から▲7六歩△8四歩に、▲6八金とか、▲5八金左とか。そうしたら”えっ?”と思うでしょ。そういうときに現代矢倉をしますか」は非常に説得力がある。

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「僕は、無理な仕掛けをやっても、別に平気だしね。悪手だろうが何だろうが、いいんですよ、勝負手だから……。実際、それで行けるんだから。そういう感覚さえあれば十分でね。これがいいとか、悪いとかの問題じゃない。そのとき、その相手に通用するかどうかが勝負で、通用できるという勝負観が大事なんですよ。だれとやっても勝てるんなら、だれよりも頭がよく、だれよりも記憶力がよくて、あらゆる変化に精通してとなっちゃうんですよ、最後は。それはコンちゃん(コンピューター)の将棋ですよ」

人間同士の対局の魅力、面白さの原点が端的に言い表されている。

コンピュータソフトによる研究が進んだとしても、このような部分は非常に大切だと思う。

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「そうですねェ……。きょうの話、ボツにしましょう(笑)」が、嬉しくなるような福崎流。

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近代将棋1982年6月号グラビアの写真。撮影は弦巻勝さん。