近代将棋1984年10月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。
これもやっぱり九州での対局だった。ちょっとはっきりしないが、同じく大山-中原の王位戦だったように思う。
そのころわたしは、記録係はみんなこんなに行儀のいい少年だと思っていなかった。いや、それ以前には何度もヒザをくずしているのを見ていたはずだ。だから。その日、ピタッと正座したまま動かないその記録の少年に声をかけた。
「君、ときにはヒザをくずしてもいいんだぜ」
ところが、そのちょっと女性的な顔の少年、こちらを見て、きっとした顔でいうのである。
「いえ、四段になるまでは正座を続けます」
余話がまだある。その少年はいつも記録机の下にちっちゃなバッグを置き、休憩時がくると、それを大事そうに持って自室にもどっていく。不思議に思ったので「それなに入ってんの?」と聞いてみた。対するひと言の答えに感心した。
「駒です」
その対局のとき、わたしは地元にある駒を用意してあったのだが、「もし、お粗末でタイトル戦などに使えないものだったら―」と心配して、関西本部に「記録係に駒を持参させてください」とお願いしてあった。それをすっかり忘れていたが、彼はその駒をなくしては大変と、常時身の回りに置いていたのである。
”駒は棋士の生命”―そんなような生活態度にまた「うーん」とうなったものだった。
その少年は、やはりすぐに四段に昇った。いまA級を狙っている福崎文吾七段である。
(以下略)
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福崎文吾九段の奨励会時代、記録係の時も対局の時も座布団を敷かなかった。
タイトル戦の記録の時はさすがに座布団に座らざるを得なかっただろうが、正座を一度も崩さない姿勢がすごい。
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100人中99人は、駒を泊まっている部屋に置いておこうと考えると思う。
それを常時身の回りに置いていたのだから、感動的なまでの責任感だ。
大盤解説会や中継解説などで爆笑かつ非常に面白い解説をしてくれる福崎九段だが、根本のDNAはこのようなところにある。