近代将棋1986年4月号、弦巻勝さんの第11期棋王戦〔桐山清澄棋王-谷川浩司前名人〕第1局「カメラ観戦記」より。
昨年暮れ近代将棋の新年号を手に取って印刷の良くなった事に驚いた。これは活版からオフセットになったので記事の中の写真が今までとは違いとっても見やすい、むしろ写真原版より不思議な効果がでていて面白いと思った。「写真とキャプションの観戦記はだめかなぁ」と何日かその事を考えていた。問題が二つある。手の解説が出来ないことと、終盤の撮影が困難な事。手の解説は聴いていてもメモすら出来ぬのでこれは無し。はなっから諦める。近代将棋社の中野隆義さんに話し、この棋王戦に目をつけ終盤の写真が撮れるかどうか相談した。対局者はもとより棋王戦の担当である共同通信の髙井慶三さんに話して戴きOKを待った。私も直接両対局者にお願いした。
谷川浩司前名人『知らない人だと気になりますが弦巻さんならいいですよ。慣れているから』
桐山清澄棋王『観戦期の文章もですか、大変ですねェ』
大きな勝負なのに心良い返事を戴いた。嬉しかった。
私は、対局者への迷惑を少しでも無くせればと自分の気持ちを楽にさせたいのとでドイツのカメラメーカー、ライツ社の広告文を話した。
「オープンマイクを使用中のテレビ、スタジオなどの撮影の際、シャッター音の静かなライカだけが許可される事も少なくない。さらに劇場、コンサートホール、美術館、法廷などでは最適です」
気休めにしかならぬがどんなカメラにしてもカメラが入ることはやはり大変気になる事に変わりは無い。素直に撮った。それだけが、救いと思っている。
(以下略)
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対局室にテレビカメラが入る以前は、特に終盤の緊迫した場面などは見たいと思っても見ることができなかった。
その終盤の様子を撮影できたというのだから、いかに弦巻勝さんが棋士たちから信頼されていたかがわかる。
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このカメラ観戦記には25枚の写真が掲載されている。
- 対局終了37分前の終盤の両対局者
- 前日16:40、京都駅でバッタリと谷川浩司前名人と会った時
- 前日、対局室下見
- 前日19:00、ホテルでのウェルカムパーティー(2枚)
- 前日19:10~21:30 両対局者の麻雀(2卓)
- 当日、対局前の写真(5枚)
- 当日、午前の対局(2枚)
- 当日、昼休の光景(4枚)
- 当日、大盤解説会
- 当日、控え室(3枚)
- 終局後(3枚)
素晴らしい写真ばかりだが、この中で、今の時代から見ると特に貴重な写真が2枚あった。
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1枚目が、当日の控え室。
控え室に小林七段一家が見学に。解説の次の一手の正解者をさがしたり、木村八段と奨励会の村山二段は局面の研究と、みんな一所懸命。
とキャプションが書かれているうちの1枚。(小林七段は小林健二七段、木村八段は木村義徳八段。段位は当時)
写真窓側、左から二番目が村山聖二段(当時)。
この頃は、髪の毛は伸びているが坊主頭だったようだ。
このような場面で撮られている奨励会時代の村山聖九段の写真は非常に珍しい。
この日は後から師匠の森信雄五段(当時)も来たに違いない。
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2枚目が次の写真。
対局室下見。京都新聞社の方がホテルの棋王戦の係の女性を谷川前名人に紹介。
とキャプションが書かれている。
この時の対局場は京都市の都ホテル(現在のウェスティン都ホテル京都)。
1989年の夏頃、谷川浩司名人(当時)が、浦野真彦六段(当時)が結婚をすると聞いてショックを受けたことを書いている。
→谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」
浦野六段のお相手は京都・都ホテルに勤務する棋王戦担当の女性。
実は私は、3年まえの棋王戦の時にもお会いしているわけで、あまり将棋に熱中しすぎるのも考えものだ。
谷川浩司九段は、この1986年の棋王戦(棋王位奪取)と1987年の棋王戦五番勝負を戦っているが、1989年の夏頃から「3年前」というと、1986年2月のことか1987年2~3月のことか、どちらを指すのか微妙なところ。
調べてみると、1987年の棋王戦五番勝負では都ホテルは対局場になっていなかった。
そうなると、この「3年前」は明らかにこの1986年の棋王戦を指していることになる。
つまり、上の写真の棋王戦担当の女性が、後の浦野真彦八段の奥様ということになる。
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浦野八段の奥様が登場するエピソードもある。