名人たちの控え室

将棋マガジン1990年4月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

 A級順位戦の8回戦を見た直後に本稿を書いているが、ここは面白くなるよう作ったみたいで、成績のわるい者が勝ち、よい者が負けた。その結果最終戦は、いさぎよく、全員勝たなければしようがない、ということになった。

 深夜、大山がふらりと若手がたむろしている棋士控え室にあらわれ、中原-塚田戦の最後の場面を作り「ここで銀打てば詰んでるよ。となりで見ていて、中原さんがなぜ指さんか思った」。そして、「これちょっといい手だよね」。

 羽生がうなずくと、さっと出ていった。大山も中原に勝ってもらいたいのだ。気持ちは判るが、でも、こんな場面を見たのは、はじめてである。

(以下略)

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羽生善治九段と大山康晴十五世名人が10局近く対局していることは頭ではわかっていても、このようなエピソードを見ると、羽生九段と大山十五世名人の時代が重なっていたことにあらためて驚きを感じてしまう。

それだけ、大山十五世名人が長く現役で活躍していたということ、羽生九段(当時は竜王)が早くから活躍していたということになる。

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下の写真は、この年のA級順位戦最終局の控え室の様子。

羽生善治竜王(当時)の隣に深浦康市三段(当時)、小倉久史四段(当時)の顔が見える。

将棋マガジン1990年5月号、撮影は弦巻勝さん。