近代将棋1985年4月号、能智映さんの「呑んで書く 書いて呑む」より。
開会10分前、その会場に入ったとたん、ワッと華やいだ雰囲気が身を包んだ。あっちに一人、こっちに一人、好男子がいる。この二人がムードメーカーだ。
(中略)
もったいぶって、はっきりしない前文が長くなってしまった。なにをかくそうこの二人、前のスーツの男性が”ミスター・ジャイアンツ”の長嶋茂雄氏で、後ろの羽織袴の紳士が四冠王・米長邦雄十段だ。そして、この会場は中原誠前十段を4-3で下して十段位を獲得するとともに、将棋史上3人目の四冠王となった米長十段の「十段就位式」の式場、読売新聞社貴賓室である。
お祝いにかけつけた長嶋さんは、4年ほど前に中原王座と二枚落ちを戦い、見事に勝って名誉三段を贈られたという大の将棋ファン。祝辞に立っても臆することなくよくしゃべる。まずしゃべり出しはユーモアたっぷり。「わたしは勝負事が好きで、学生のころからヘボ同士で将棋を楽しんでいましたが、気が付いてみたら、いつの間にか野球のほうへ進んでいました」
場内に笑い声。米長さんも「ふふんっ」といった顔にトレードマークの八重歯を見せている。長嶋さんは「将棋の道へ進んでも成功できた」といいたかったのかあるいは大勢集まった将棋関係者の度肝を抜こうとしたのか、とにかく”問題発言”で口火を切り、なじみにくい将棋指したちのほおをゆるめさせた。そうしてから、ぐっと踏み込んでくるところが、やはり千両役者だ。
「以前、わたしは報知新聞で米長さんと対談をしたことがあります。そのとき、いろいろ素晴らしいお話をうかがいました。そんな中で見つけた将棋と野球の共通点は、”とっさの直感力”ということでした」
こんどは米長さん、「うんうん」と合槌ちを打っている。それをチラリと見て、長嶋さんはスマートなフィニッシュに入る。
「先輩たちの経験に着実に乗り、きちっとまとめて、米長さんはさらにスーパー的な記録を打ち立ててください!」
万雷の拍手。チョウさんならではのさわやかさだ。ややあって、こんどは将棋界の”さわやか流”家元、ヨネが上についたチョウさんが、負けぬ拍手に送られて壇上に上がった。例によって憎いせりふからはじまった。
「読売新聞社は亡くなった正力松太郎社主の時から将棋と野球に力を入れてくださった。だから、一度は御社が主催するタイトル戦の十段を取りたいと思い続けてきました」
こんどはミスターが白い歯を見せて拍手拍手だ。そのほうをちらっと見た米長さんは満足げな笑顔。そして澄まし顔であとを続ける。
「きょうはまた、子供のころから憧れていた長嶋さんにわざわざおいでいただいてありがとうございます。実は、長嶋さんとわたしには、ある共通点があります。それは女房の名がアキコ(長嶋は亜紀子夫人、米長は明子夫人)ということです」
大奇襲戦法。これには百戦錬磨の長嶋さんもあ然とした表情。場内も一瞬シーンとしてから大爆笑だ。わが将棋界の米長、他の世界の一流を相手にしても決してヒケはとらない。次ぐに出てくる言葉に長嶋さんもオデコをたたいて降参のゼスチャーだ。米長は顔色一つ変えずに、堂々といってのけたのである。
「わたしは、勘だけではなく、理詰めの将棋も指します!」
動物的な勘で打ち守った”長嶋野球”へのユーモアたっぷりの皮肉。ウィットにとんだウィンストン・チャーチル(戦中戦後のイギリス首相)を思い出させる名せりふではないか。
中年の男からかもし出される明るさは実にいい。いっそう会場は華やいできた中でパーティーだ。笑顔が笑顔を呼んでいる。米長さんと長嶋さんも杯をくみ交わしてしばしの談笑だ。
(以下略)
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読売ジャイアンツの第1次長嶋監督時代が1975年~1980年、第2次長嶋監督時代が1993年~2001年なので、この頃は浪人時代。読売新聞とはうまくいっているようないないような微妙な時代。
そのような時期に読売新聞で行われた十段就位式に長嶋茂雄さんが駆けつけたのだから、かなり凄いことだ。
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米長邦雄十段(当時)の「長嶋さんとわたしには、ある共通点があります。それは女房の名がアキコ」は絶妙なスピーチ。
”アキコ”というと、すぐに思い浮かぶのが『巨人の星』の星明子(主人公の星飛雄馬の姉)。いつも木や電柱や障子の陰から見守って泣いてる人の代名詞的存在だ。
思い返せば、『巨人の星』や『タイガーマスク』のように、昔は実在の人物多数+架空のキャラクターという図式の漫画が結構あった。(たまたま両方とも梶原一騎原作)
『日本将棋連盟の星』のようなタイトルで、実在の棋士多数+架空のキャラクターのアニメがあっても面白いように思えるが、羽生善治九段、藤井聡太七段などがいるので、インパクトを出そうとするとかなり難しいかもしれない。