怒涛の剱持松二七段(当時)

将棋世界1980年7月号、「メモ帖より」より。

剱持七段のゴルフ

 意外に凝り性の剱持松二七段がこの1、2年ゴルフに熱中、研鑽功あって習志野カントリークラブの1万人大会で9位に入賞した。

 20位までがマニラ3泊旅行の招待となり5月下旬に現地で優勝戦を行うという。

——————

将棋世界1982年8月号、剱持松二七段(当時)の「棋士の近況報告」より。

 ゴルフの腕も落ちついたので、今度は弟子を育てる意味もあって新宿にマンションを買い、カヤ盤、ツゲ駒とそろえて高級な将棋教室を安い料金で開放することを会員の人達と企画し、オープンした為にゴルフに出掛ける日が少なくなり、その分将棋の指導に力を入れながら対局も頑張る考えです。

——————

習志野カントリークラブは様々なプロトーナメントが行われたゴルフ場で、ジャンボ尾崎(尾崎将司)選手がホームコースとして利用していた。

1万人大会もすごいが、9位もすごいし、20位までマニラ3泊旅行の招待もすごい。

まだバブルが来る前の時期なので、やっぱりすごい。

——————

剱持松二七段(当時)の新宿のマンションは、株式投資の利益により購入されたもの。

剱持七段は連盟内でも有数の株式投資家だった。

——————

当時はあまり勝率の良くなかった剱持七段が、1988年のC級1組順位戦で羽生善治五段(当時)を破り、羽生五段のB級2組昇級を阻む大きな要因となったのは有名な話。(羽生五段は8勝2敗の頭ハネで3位)

若手と対すると、別人のようにファイトを燃やすと言われた剱持松二九段。

無理な話ではあるが、剱持松二七段(当時)-藤井聡太四段戦、見てみたい。

当時の週刊将棋紙面。

→剱持が勝つと言えば絶対勝つ。(1)

剱持が勝つと言えば絶対勝つ。(2)

剱持が勝つと言えば絶対勝つ。(最終回)

剱持松二九段逝去

——————

剱持九段は、力道山とも親しかった。

写真は1962年、力道山が亡くなる1年前のもの。

将棋世界2003年2月号掲載の写真。撮影は清水孝晏さん。

剱持松二四段(当時)と力道山アマ三段

 

 

コメントを残す