近代将棋1988年2月号、湯川博士さんの「十代、この凄いルーキーたち」の「師匠ゆずりのエンタテナー」より。
若い棋士の取材は、しゃべってくれないのでおじさんレポーターには少々辛い。ひとり先崎クンはエンタテナーで、感想戦や控え室の検討盤でも回りの笑いを誘っている。
筆者がはじめて見たのは、数年前でまだ彼が中学生のころ。対局の記録係をやっていて、局後の打ち上げ会に誘われると、急に目が生き生きとし、なみなみと注がれたビールをキューッとうまそうに飲み干した光景が忘れられない。
当時から天才少年と騒がれていたが、一方では酒と麻雀の噂も聞いて、奨励会足踏み状態を見ていると、この天才クンつぶれるんじゃないかと思ったくらい。
奨励会の6年間は、どうだった。
「長かった、長かった。三段リーグに変わったでしょ。あれでもうチャンスは3回しかないと思った。なにしろ2級でストップしちゃって……長く辛かったァ」
高校進学は考えなかったの?
「中学もあんまり行ってないですから。これから高卒のライセンスとろうか、なんて。冗談ですけど」
米長家に内弟子に入っていたって言うけど、近頃じゃ貴重な体験だねェ(先崎クンのところだけなぜかインタビュアのことばがラフになるが、そういう雰囲気なので)
「小学校の4年から6年までの3年間ですけど。辛いばっかりで内弟子体験なんて役に立つもんじゃない、なんて思ったくらいです。先生の子供は遊んでいるのに、こちらは同じ子供でも、雑巾がけや皿洗い、庭掃除に便所掃除までやって。その上風呂の水をあふれさせたことが続いた時に、師匠にすごく叱られまして……。でも先生が雨でゴルフに行けない日なんかは将棋を指してもらいましたね。飛香落とか飛車落を10局ぐらいですか」
本が好きとか。
「前は星新一や筒井康隆が好きでしたが、今は大江健三郎なんか読んでます。小説は相当読む方ですね」
頭が良くてひょうきんで、そこの所は師匠似だが、驚異的な米長の集中力に匹敵する力があるかどうか。将棋は序盤から動き自分で作ってゆくタイプ。自分も楽しみ人も楽しませるエンターテナー先崎クンの今後やいかに。
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「中学もあんまり行ってないですから。これから高卒のライセンスとろうか、なんて。冗談ですけど」
先崎学九段の著書『うつ病九段』には、通った中学が荒れた学校で、内弟子をしてこまっしゃくれていた先崎少年が酷いいじめのターゲットとされたことが書かれている。
そのために、中学には行かない日が多くなり(いじめについて訴えても担任の先生の対応が最悪だった)、将棋連盟へ行って記録係を務めることや仲間と将棋を指すことが多くなった。
どんな無頼派の少年であっても、中学へ行かなくなる理由は存在していたのだった。
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「前は星新一や筒井康隆が好きでしたが、今は大江健三郎なんか読んでます。小説は相当読む方ですね」
中学へ行かない分、先崎少年は様々な本を読んで知識を得るようになる。
星新一・筒井康隆と大江健三郎ではほとんど真逆な世界だと思うが、このような幅広さも、そのようなことが背景にあるのだろう。
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「風呂の水をあふれさせたことが続いた時に、師匠にすごく叱られまして」
これは、風呂の水だからということではなく、集中力の散漫さについて米長邦雄永世棋聖が叱ったと、何かの本で読んだ記憶がある。