将棋世界1988年3月号、谷川浩司王位(当時)の第13期棋王戦勝者組決勝〔対 中原誠名人〕自戦記「一歩が明暗を分ける」より。
南八段が棋聖のタイトルを獲得し、遂に、7つのうちの6つまでが20代、残るは名人だけになってしまった。
いよいよ世代交代、という雰囲気だが、どうも私にはそう簡単に進むとは思えない。まだ一波乱あるような気がするのである。
もっとも、他の20代タイトルホルダーが、先輩棋士に五分以上の成績を挙げているのに対して、私だけは、中原名人に12勝20敗、米長九段に12勝21敗、と大きく負け越している。
だから、南棋聖、塚田王座、中村王将、高橋十段らとは思いが違うのかもしれない。
名人挑戦者として、世代交代を完了させるべき立場の私が、こんな弱気な事を言っているのも妙だが、私達も15年経てば40歳。他人事ではないのである。
(中略)
中原名人とは、昨年3月以来実に10ヵ月ぶりの対局である。
だが、全日プロの準決勝でも当たっているし、名人戦の七番勝負もある。今年はかなり対戦がありそうである。
また、棋王のタイトル保持者が高橋十段、全日プロでも、向こうのブロックに高橋十段の名前がある。実際に棋王戦と全日プロで対戦できるかどうかは別にして、今年も数多く顔が合うと思う。
同じ20代タイトルホルダーでも、他の南棋聖、塚田王座、中村王将とは、まだ大舞台で対局するような予感がない。やはり、それだけ高橋十段が活躍している証拠であろう。
(中略)
先月号の対島六段戦と似た戦型になって申し訳ない。だが、不思議な事に私は、寒い時期になると角換わり腰掛け銀を指したくなるのである。
(以下略)
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将棋世界1988年4月号、福本和生さんの「検証・素顔の棋士達 谷川浩司王位の巻」より。
現在の将棋界は若手の時代といわれている。タイトル保持者が高橋道雄棋王・十段(27歳)、谷川王位(25歳)、中村修王将(25歳)、南芳一棋聖(24歳)、塚田泰明王座(23歳)と、7つの公式タイトルのうち6つまでを20代棋士が獲得している。かつてないことである。
そして羽生善治四段ら10代の俊秀がひしめいて、20代のタイトル保持者に迫ろうとしている。
天才集団といわれる将棋界に、よくぞこれだけの若い優秀な頭脳の持ち主が集中的に集まったものだ。
時代の覇者がいて、それを追う数人のライバルがいる、というのがこれまでの将棋界の構図であった。それが。みごとに突き崩されて一気に20代棋士の5強時代となった。そのすぐ後ろに10代の精鋭がひしめいているというのだから、いまの将棋界はすさまじい時代といえる。
異論があるかもしれないが、わたしはこれだけの将棋の超エリート集団が誕生したのは、天才少年である谷川の登場が強い刺激となって、優れたこどもたちが続々と棋士を目指したためとみている。
谷川の輝かしい棋歴については改めて述べるまでもあるまい。昭和48年2月、11歳で関西奨励会に入り、14歳で四段という加藤一二三九段と並ぶ記録。四段で1年間足ぶみしたためにA級八段になったのは19歳。加藤の18歳八段には及ばなかったが、19歳八段も容易には破られない記録である。そして史上最年少の名人位獲得である。そのまま”谷川時代”を一直線と思われていたが…。
(以下略)
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「遂に、7つのうちの6つまでが20代、残るは名人だけになってしまった」
この頃、
中原誠名人
谷川浩司王位・棋王
高橋道雄十段
南芳一棋聖
塚田泰明王座
中村修王将
の時代。
「いよいよ世代交代、という雰囲気だが、どうも私にはそう簡単に進むとは思えない。まだ一波乱あるような気がするのである」
この直後、40代の森雞二王位、30代の田中寅彦棋聖が誕生し、その後は中原誠名人、米長邦雄九段の逆襲があり、そうこうしているうちに、羽生善治竜王の誕生、羽生世代の棋士の猛烈な台頭があり、羽生七冠誕生という歴史の流れになる。
谷川浩司王位・棋王(当時)の予言が、谷川二冠の想像とは違う形で当たってしまったということになる。