近代将棋1988年10月号、湯川博士さんの書評エッセー「将棋連盟が甦った日」より。
悔しいが、将棋小説はあまり部数が出ないといわれている。
知り合いにSF小説の売れっ子作家がいて、将棋を少々指す。彼が出版社の奨めもあって将棋小説を書き、まとめて本にして出した。
彼の本はほとんど20万部30万部という売れ方なので、初版も5万部くらいは考えていた。ところが出版社が示した数字は1万部程度だ。まあしかしすぐに増刷だろうと思っていた。
初版を刷ったあと、大した動きはなかった。
作家は自分の芸域を広げるためなら、かなりの犠牲も払う。奴はあれしか書けない、と思われるのが無性に悔しいからである。
彼もそういう意味でも期待するところがあっただろうし、出版社だって新しい鉱脈に当たってみたかっただろう。彼はびっくりもし、ちょっとあきれた。
馬場信浩が100万円懸賞小説で、作家としてデビューした時の作品が将棋小説だった。
その後何本か将棋小説を書いたのだが、ついぞ久しく本にしてもらえなかった。
作家としても将棋小説から方向転換する必要に駆られていた。
さんざん苦労した末に、ラグビー小説を書き上げ本にした。こちらは確実な手応えがあり、続けて何冊もラグビー小説の本を出し、テレビ映画化されたものもあった。
彼が出した表題の本は、デビュー後書いた作品群で、今まで陽の目をみなかったものばかりだ。
それだけに将棋ファンにとっては喜ばしいことであるが、ひとつこの機会になぜ部数が出ないのか考えてみた。
もともと将棋小説はマイナーな分野である。(同じ将棋小説でも推理小説仕立てだと内容はともあれ部数はそこそこ出るようだ)
まず全人口の半分の女性の読者が避けるからだ。それからギャンブルの嫌いな人、ルールのわからない人も避ける。そして一番怖いことに、ゲームに凝っているいわゆるマニアも避ける傾向があるのだ。
将棋小説を雑誌に載せても非常に読書率が低い。実録ものなら文句なく数字が上がるが、小説となるとガクンと落ちる。
いろいろな理由があるだろうが、私の場合、将棋年鑑の棋士紹介の欄を丹念に読んでいた時ハッと思ったことがあった。
嫌いなものの問いに”ウソ”が嫌い。またはかなり近いニュアンスの人がかなりいたのだ。
私はウソは好きでもないが特に嫌いでもない。それでも将棋小説を読んでいて細かい所がけっこう気になる。これがウソを嫌悪する人だったら、「なんだこの作家はウソばっかり書いている」と思うかもしれない。
将棋ファンが感じるウソとは、細かい間違いばかりでなく、作家の創ったフィクションの部分も入るかもしれない。
将棋ファンほど、自分の唯一得意の分部を安っぽく汚されたくないとの思いが強い。ふつうの読者なら読み過ごすところでも「こんなことまで知らんで書いているのか」といっぺんで嫌になることがある。
女性が駄目、ギャンブル嫌いの人が駄目、将棋のわからない人が駄目、その上将棋マニアにも嫌われたら、いったい誰が買ってくれるのか。
実を言うと私も将来は将棋小説を書いてみようと思ってはいるのだが、ここのところをクリアするハッキリした答がわかっていない。答のヒントとして阿佐田哲也の「麻雀放浪記」があるのだが、阿佐田こと色川武大の体験はどの作家も成し得ないことである。(最近では安部譲二が出現したが)
裏世界の体験と抜きん出た筆力が結びついてあの大ヒットが出たのである。
(中略)
表題にもなった「将棋連盟が蘇った日」は終戦後のGHQ(米占領軍)に将棋連盟の幹部が呼ばれ、将棋のルール特に捕虜を虐待する思想(駒の再使用)について毎日のように詰問される。その交渉を通じて米軍将校と棋士と通訳(日本人)の間に奇妙な友情が生まれる。升田幸三がモデルであろうこの小説はなかなかの味を出している。
(中略)
一般的に言って、将棋界全体、業界とファンの両方とも、将棋に対してきれいなイメージを望んでいると言える。趣味の世界だけは美しくあってほしい。たとえ内側はどうとも、そう思っていたい。こういう気持ちが強いような気がする。
将棋を小説にするのはいいが、頼むから悪役にしないでくれ、へんな小道具に使わないでくれ、という思いを強く感じる。
一方作家の方は、人間の裏側をえぐりたいし社会の見えざる部分をひっぺがしてやりたいという気持ちに駆られる。
ウソが嫌いで正義が好きできれいであって欲しい。こういうファン気質とどこまで折り合いをつけながら、ワクワクするような内容を書けるか。
将棋小説のカギは、どうもそのあたりにあるような気がしている。
(以下略)
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馬場信浩さんは、若い頃、俳優の故・田崎潤さんの弟子になって役者修行をしていたが、修行の合間に書いた小説が雑誌の懸賞小説最終候補に残るようになり、1978年には将棋を題材とした小説『くすぶりの龍』が光文社第1回エンタテイメント小説大賞を受賞している。
テレビ朝日系「23時ショー」の司会を務めていたこともある。
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「将棋小説を雑誌に載せても非常に読書率が低い。実録ものなら文句なく数字が上がるが、小説となるとガクンと落ちる」
プロ棋士の戦いは非常にドラマ性が高く、フィクションに勝るとも劣らない現実が繰り広げられているので、たしかに将棋小説は他のジャンルに比べ相対的に難しい分野かもしれない。
小池重明さんのようなドラマチックなアマ強豪もいる世界だ。
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「さんざん苦労した末に、ラグビー小説を書き上げ本にした。こちらは確実な手応えがあり、続けて何冊もラグビー小説の本を出し、テレビ映画化されたものもあった」
このラグビー小説は、1981年に出版された『落ちこぼれ軍団の奇跡』で、1984年からTBS系で放映されたドラマ『スクール☆ウォーズ』の原作となっている。
『落ちこぼれ軍団の奇跡』は、山口良治さんが伏見工業高校ラグビ―部の監督となり、全国制覇するまでの7年を追ったノンフィクション。
ドラマの『スクール☆ウォーズ』は制作の大映テレビならではの脚色が入っているが、ラグビ―部ではなく将棋部を舞台としていたら、全く違うドラマになっていたことだろう。
もちろん、天文部や華道部や奇術部でも同様のことは言えるが。
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