近代将棋1988年6月号、「第3回奨励会三段リーグ」より。
新人の中では屋敷がグルグルの二重丸と言ってもよいほどの大本命。強者ぞろいの三段の中にあって、その棋才はひときわ輝いて見える。こんなことを言うと、他の三段はオコルと思うが、芹沢流でいうところの「将棋の格が違う」のである。
屋敷の将棋を数局ほど見た印象では、勝負のつけ方というか、勝負のつく場所が他の者とは違う。例えば、攻められそうになっている展開の将棋だとして、他の者はまずとにかく破られないようにと必死に防戦する。それがなんとか成功した時は良いが、ひとたびどこかに欠陥が生じ、破綻をきたしてしまえば、将棋もそこで終わってしまう。屋敷の場合は破られた後を見ている。敵の侵入をあっさり許しはしても、そこで負けにしてしまうということはない。破られても悪くないというより、逆に鋭い反撃を浴びせて優位に立ってしまうことさえある。
近代将棋1988年7月号、「第3回奨励会三段リーグ」より。
田畑、藤原の走りっぷりは予想通り。郷田も白星を重ね、大がけの気配である。
新人の将棋を見る時、筆者はその終盤を見る。昨今の情報時代にあっては、序盤戦は多少の努力をすれば誰でもブリッ子できるので、その上手下手を見ても、本人の素性を正しくつかむことはできない。その点終盤戦ともなれば、知識という化粧は全く役に立たない世界になる。そこでの戦いぶりを見れば、その人の素っ裸の強さを見ることができる。
終盤力という面から見た郷田の印象は、二重丸である。いずれ昇がる人であるから、別段あせることもないけれど、世に出るのは早いに越したことはない。
近代将棋1988年7月号、「関西奨励会」より。
あと今泉6級が7勝3敗と、あと2番。彼は奨励会に入会する前から有名で、噂になっていた程、口がうるさいそうだ。流石に、将棋を指している間はそうでもないが、感想戦が始まれば、すぐわかる程だ。相手の投了直後に、「いやー、100回負けの将棋だった」とさけび、成績を付けに立ち上がったところも見たことがある。上に昇がれば、何かにつけて話題になりそうで楽しみだ。
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屋敷伸之三段。郷田真隆三段。やはり後のトップクラスの棋士たちは、奨励会時代からひときわ輝いていたということがわかる。
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「序盤戦は多少の努力をすれば誰でもブリッ子できるので、その上手下手を見ても、本人の素性を正しくつかむことはできない」
”ブリッ子”は死語に近いが、非常に斬新に聞こえる言葉だ。
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今泉健司6級はこの時14歳。
「奨励会に入会する前から有名で、噂になっていた程、口がうるさいそうだ」
この若さで、変わった分野ではあるけれども、有名になっていたのだから、すごい。
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「上に昇がれば、何かにつけて話題になりそうで楽しみだ」
紆余曲折はあったが、今泉四段は、この時の想定をはるかに上回る話題を創り出すことになる。
→「名前が同じケンジで、しかも生意気なことも言って、とにかくよくしゃべる」