近代将棋1990年2月号、湯川博士さんの「若手プロインタビュー・林葉直子女流王将」より。
レディース・オープン89クイーンの表彰式会場。
原田九段が祝辞を述べている。
「林葉直子ちゃんについては100点満点、いうところなし。将棋も強いし、美容、というか、顔立ちというか、とにかく美貌の持ち主であります。随筆も面白く小説も、おまわりさんのトンデモハップンとか書いて大活躍、なお欲を言えば角一枚強くなってほしい。今はアマ県代表クラスより強いがなお強くなってアマ全国名人を倒すくらいになってください」
お得意の原田節で会場を笑いで包んで、次には作家の高田宏さんが立つ。
「決勝第2局を書かせていただいたのですが、その2局目で決まり、たいへんよかった。林葉さんは女流将棋の世界ではNO.1。しかしもっと超えた広い世界で活躍してほしい」
最後に本人が立ってあいさつ。
「中井広恵ちゃんは結婚が決まっていたので、(広恵が)勝ったらご祝儀を出さないよって言ったんです。でも私が勝たしてもらいまして、ご祝儀はちゃんと出しました(笑)。私は実力よりも運が強いとよく書かれています。私が力の割に勝つのは応援してくださる力がハンドパワーとなって作用しているんでしょう。レディースオープンは2回続けて獲った人はまだいないので、ぜひ獲りたいですね」
表彰式のあとは立食パーティー。
(中略)
このあと主催者の慰労会が近所の寿司屋で行われることになっているので、合間の30分ほどを拝借して会館地下の食堂でインタビューを試みた。
―これで3つ(名人、王将、レディース)獲りましたね。
「はい。今回はこれ落としたらいけないんだという思いが中心になっていましたね。負けたら辞めるわよ、と思っていました。フフ、でも本当に負けても辞めないけど、その時はそう思ったんです」
―なんとなく勝てそうだ、という予感はあったんですか。
「広恵ちゃんが落ち着いたな、という感じと同時に元気ないな、という感じも受けました。それで中井さんは結婚するんだなと思ったら、なんにもない自分は勝つしかないと思ったりして……」
林葉直子が大学へ入った時、中井広恵が同じことをいっていた。彼女には大学があるけど私には将棋しかない。だから、勝つしかない、と。
勝負事では闘志が燃えるかどうかが、勝敗のカギになっていることが多い。林葉と中井のライバルは仲がいいだけに、闘志を燃やす材料がある方に勝負が傾くのであろうか。
(中略)
―ところで中井さんはわりあい早い結婚ですが、林葉さんはどういう感じかな。
「私は27,8歳でいいです。同年代の人(男性)は気に入らないし、年下は駄目」
―すると、相当上の年代になっちゃう。
「早く社会に出たせいか、いろんな方のいい部分を求めちゃうみたいな。アハハハ。そんな人間存在しないんでしょうけど、現実はないようなものを求めちゃうんですね」
―そうすると、一生独身の可能性ある。
「フフ、一生独身でも楽しいかもネ」
(中略)
―小説のこと、話してください。
「小学中学では文章は全然興味なくて。中2の時交換日記書いたくらい。高校の時、赤川次郎さんに凝ってそうとう読んだの。そのうち、私でも書けそうだと思って授業中にこっそり書いたり。大学に入ってから小説らしきものをちょっと書きはじめたんです」
―それがどうして本にまでなったの。
「例のペントハウスのグラビアが多少関係あるんですよ」
―あの棋界を騒がせたヌード写真集の件が、ですか。
「あの話、途中で断ったんですが、凄いこといわれてやらざるをえなかったんです」
―どういうことですか。
「途中でやめたら損害賠償をとるとかもうセッティングしちゃったから駄目だとか」
(中略)
―それがどうして小説に。
「もう駄目だと思ったんで、私、ひとつだけ条件出したんです。今、小説書いているから原稿見てくださいって」
―なかなかしっかりしてますね。
「写真でお金欲しさと思われるのが嫌だったし、この際なにか代償をと思って。それで4、50枚書いたものを持っていったら読んでくれて、これなら少し直せばどうにかなるんじゃないかって。ちょうどティーンズハート(講談社)シリーズが出てきたころで、それに乗って出していただいたんです」
―どの程度売れるもんなんですか。
「年に2冊ずつのペースで出しているんですけど、4、5万部は出ているようですよ」
―凄いねェ。今どき3万出たらヒットでしょ。
「でも文庫なんで、安いんですよ」
文庫の定価340円とすると、3万部出たといっても、定価1,000円の本の1万部と同じわけだ。
(中略)
「ファンレターは小中学生が主で、可愛いの。ハート型の封筒とかピンクの便箋で書いてくるんですけど」
―将棋ファンと比べると。
「将棋ファンは、この手はマズイとかあの手の変化はこうとか。中井が強いのは私が教えたからとか。どうたらこうたら書いてあるのが多いですね」
―収入面は将棋とその他の比率は。
「女流名人王将の二冠の時で、年収400万くらい。意外に少ないでしょう。今は王将だけですから。でもその他の収入が将棋の倍くらいかしら。エッセイとか対談とか、たまにテレビに出るのと、あと本の印税ですね」
―女流棋士をどう考えてますか。
「将棋は男子先生より弱いけど商品としては将棋界を盛り上げていると思うの。すぐに強いとか弱いとかいわれて。それから社交辞令なんでしょうけど、天才少女とか書かれると、とてもやりにくいんですね、その後が。もっと育て方があるんじゃないでしょうか。女流棋士は、ファンにとって身近というかわかりやすい将棋を指すんじゃないですか。そういう考え方もできると思うんですけどね」
―やはり天才少女ではやりにくいですかね。
「女流棋士でなくてはできない分野もあるだろうし、もっと可能性があると思うんです」
―たとえば。
「将棋の勉強は半分くらいにしておいても、全員に英会話習わせるとか。外人の方も女性から教わると違うと思うんです。それから着物の着付けを強制的に習わせるとか」
―直子ちゃんの英会話は。
「聞くのはちょっとわかります」
―じゃあ、しゃべるのはわけないですよ。
「時々、仕事がらみで海外へ行くんですけど、私も思うようにしゃべれるようになりたいですね」
将棋界は閉鎖的な人が多くて、将棋もおろそかにしてほかのことをやるなんてとんでもない、と怒る人が多い。しかし女流棋士の役割は将棋のイメージをやわらげ、とりつきやすいものにする。強さの追求は男子プロの役割であってそれをそのまま女流にあてはめるのは似合わない。
林葉をただのきれいな可愛い子ちゃんと思って甘く見ている棋士は、自分が時代に取り残されていることに気付かない人になるだろう。
―ところで大学の方は今、何年生なの。
「エヘヘ。内緒です。薬剤師っていうのも国家試験が難しくなっていましてけっこう大変そうなんです」
―理工系は実験や実習が多いから、単位取るの大変でしょうね。でもそんな難しいところへなぜ入ったの。文系の方が楽だったでしょうに。
「祖父が医者だったので、一人くらい似たような者がいたほうがいいんじゃないかと」
(中略)
―これからも、いろんな方面で活躍してください。
「はい、ありがとうございます。テレビなんか出ると、とっても反応があるんで、そういう役割もけっこう大切かな、なんて思っています」
寿司屋の2階の慰労会の席でも、主催者の社員にビールをついだり。
林葉直子―女流将棋界の得難い外交官である、と感じた。
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「それで中井さんは結婚するんだなと思ったら、なんにもない自分は勝つしかないと思ったりして……」
「彼女には大学があるけど私には将棋しかない。だから、勝つしかない」
ライバルだからこそ湧き起こる思い。
それぞれ、心を打つ。
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林葉直子さんは、女流棋士をやめてからしばらく経って、六本木でカレー店を経営している頃(2006年頃)、「お金持ちになって女流棋界を応援したい」と何度も語っていた。
平成の初期のこのインタビューを受けている頃から既に、女流棋界全体のことを考えていたことがわかる。